出りょく 11

昼飯を食べるとき、なぜか頭をよぎるシーンがある。
それがコレ。

ONE PIECE(44巻)のワンシーン。
詳細は割愛するが、簡単に言うと
「命令したことに意見した部下を銃で撃った」シーン。
特段大事なシーンでもないし、このキャラ(オニグモ中将)に思い入れがあるわけでもない。無理矢理強いて言えば「いや、やり過ぎだろw」と思う部分が自分の極端な思考と近いということぐらいか。
にしても、なぜ昼飯のときに限ってこのシーンが頭をよぎるのかは全く分からない。


最近、友達や知り合いの子供に会う機会が多い。
自分には子供どころか彼女も嫁もセフレもいないので「『もしもボックス』で何て言おうかな?」と考えるのと同じぐらい不毛なことなんだが「どういう子供になってほしいんだろ」と、ふと考えてしまった。
「健康で人様に迷惑を掛けなければそれで充分」というのはもちろん本心だろうけど、実際はもっと、こう、なんかあるよね?的な。
自分の経験則上、足りなかったものや「ああしとけばよかった」みたいなことを子供で補完したいってことあるんだろうなぁって。
「子供のころから、早いうちからサッカーやっときゃよかった」って思うんであれば子供にはそうさせたいだろうし、「勉強しときゃよかった」って後悔してんなら勉強させたいだろうなって。そうすればきっと、少なくても自分(親)よりは幸せになれる可能性があると思うんだろうね。
逆説的なことを言えば「もし自分がそうしていれば、今の自分よりもっと幸せで、いい人生を送れていたはず」ってことなのか?
そう考えると、その人の子育てや教育方針を見てると「ああ、この人って自分でそういうことが足りないと思ってんのか」とか、もしくは「今の自分があるのはそういうことをやったからだと思ってんだ」ってのが見えるようで面白いし、ちょっと怖い気がしないでもない。

これって仕事とかでも同じかな。上司が部下に…ってのと。

子供のころ、ファミコンを買ってもらったとき、父親が汗だくになりながら接続しチャンネル設定してくれた。永遠に流れる砂嵐の画面に、ゲーム画面が映るよう調整しているが、途中テレビ番組が映ったりしてなかなか自分の思う通りにはチャンネルが合わせられない。
趣味趣向・選択肢というチャンネルが無限にある中で、自分が見たいもの・見せたいものだけを子供に映そうとするのって、なんかだいぶ無理があるよね。何が映るか分かんない上に最終的に決めるの子供本人だし。(かと言って教育や期待をすることが『糠に釘』とは断言はしないけど)
人格形成、幸せの尺度、音楽やファッションの趣向、味の好み、スマブラの使用キャラ、モンハンXXの武器とスタイルを選ぶ理由、ロリコン、熟女、性癖・性感帯などなど自分含め「なんでそうなのか?」なんて誰も分かりゃしないんだもん。
仮にもしそういうことが完璧に解明・判断できる人がいるなら、「どういう教育をすればいいのか?」ということより、まず教えてほしい。


なんで昼飯のときだけ、あのシーンが頭をよぎるの?

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