(非)現実ライブハウス

感覚を忘れるってのは、とても怖いことだ。「慣れって怖いよね」ということばは自分もよく口にする気がするけれど、全くもってその通りだと、最近よく思う。

先日、半年ぶりにライブハウスでライブを見た。

思い返せば自分はいつもライブハウスに居た。毎年、年末に一年を振り返ると、9割がライブハウスでの思い出だ。カメラロールなんてもんを遡るとなると、その日のライブの看板の写真と、ライブハウスの外観、ドリンクのメロンソーダの写真ばかり。

そんな自分が半年間ライブハウスに行けなかったのには、たくさんの事情があったわけだけど、それに関してはもう説明する必要性もないとすら思う。そういうこと。

あれから丁度2週間が経った。

半年ぶりに来ても、何も変わっていない会場の佇まい。それに安心感を抱きつつも、自分のなかには今までに味わったことのない緊張感があった。

拭いきれない不安も、なかったとは言いきれない。


ポスターが壁いっぱいに敷き詰められている無駄に長い階段を駆け上がっていくうち、どんどん大きくなっていく音。もしかして、これは夢なんじゃないか?みたいな気持ちになってしまう。半年間、飽きるほどライブハウスに行く夢を見たせいだろうか。

はじまる前からずっと、終演後の自分はどんな気持ちなのだろうかとずっと考えていた。
あのバンドの一音目を聴いた瞬間、自分はどんなことを思うのだろう。
目の前に広がっている画面越しではない景色に、なんともことばでは表しがたい気持ちになる。現実味がまるでなくて、頭の中はずっとふわふわ。

ガツンと爆音で引っ叩かれるような音でふと我に帰る。
有人ライブが決まった瞬間、なんとなく「はじまった瞬間、泣いてしまうかもな〜」なんてことをぼんやり思っていた。けれど、涙が出る余裕なんてものはなく、あっという間に持ち時間の25分間が過ぎた。

そう、これ、これ!思わず叫びたくなる気持ちをグッとこらえ、目の前に広がる夢のような景色を1秒たりとも見逃さないよう、とにかく焼き付けようと必死になってしまったからか。

けれど、それと同時に溢れ出す「自分、生きてる....」と言う抑えきれない実感がそこにはあった。

変わったことがたくさんあった、ものすごく濃い半年間に想いを馳せながら。

ライブハウスでライブを観る、ということ。非現実的で、不思議なことだ。ここ半年間、生きてる実感なんてものは、一度も感じることがなかった。同時に、それに気づかず生活と呼ぶにも呼べない毎日を繰り返していたことに、恐怖を覚えた。

終わった瞬間、ペットボトルのオレンジジュースを無心で一気飲みしてしまった。そこからしばらくなにも考えられなかった。というかなにも考えたくなかったんだと思う。


爆音でバンドの生音が鳴り響く場内、2mごとに足跡マークがついている床、大きな拍手、出してはいけない歓声、限られたキャパシティ、ペットボトル類のみのドリンク。


今まで観てきた景色とは全く違うものだったけれど、やっぱりライブハウスはライブハウスで在って、そこに居る自分が本当の自分だった。あれは幻とかじゃなくて現実で、改めて文字にするとくさいし恥ずかしいけど、ここが一番自分が人間らしくいれる場所だった、そういえば。


絶対に忘れてはいけないことを忘れかけている。
だから、感覚を忘れないために今日も生活をする。

全ては画面に映らない一瞬のため、
電波が繋がりやすすぎる世界から逃げるために。

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