火曜日しばらく雑記帳・27:金木犀、知性と直観
意識と知性は意識作業のむかう相反する二方向をあらわす。直観は生命の方向そのままにあゆむのに、知性は逆の方向にすすみ、したがって物質の運動とごく自然に調整があう。完全で充実した人間性とはそうした両形式の意識活動を発達させきった人間性のことであろう。
(ベルクソン「創造的進化」p.315)
■先週の金曜日は久しぶりにチームの飲み会が催され、団体活動が苦手な私も参加することにした。前回が1年以上前で、私はそのときに参加しなかったので、2年ぶりか3年ぶりかもしれない。
ついつい調子にのって喋り過ぎてしまう、要領を得ない話がさらに要領を得ず周りは呆れているはず、こういう時に見ている人は見ているものだ。
そういえば、その昔、私の後輩で飲むと態度がでかくなり、持論を喋り過ぎたうえ、上司の上司に説教たれるわ、先輩社員には生意気な質問でチャレンジするわ、で、次の日になって、その自分の振る舞いの全てがきちんと記憶に残っているらしく毎回青くなっているのがいた。こういうのも気の毒ではある。
そういえば、その昔、私の先輩で飲むと態度がでかくなり、上司の行きつけの店に私たちを連れて行き上司のツケで飲むは、現金もクレジットカードもないのに、同期の後輩社員をスナックに連れて行き、女の子にいたずらして怒られるわ、支払いを後輩社員に押し付けてとんずらするわ(*1)、しかも、一番最初に飲み始めたところからまったく記憶になく本人ケロっとしている、というとんでもない人もいた。ちなみに現金もクレジットカードも持っていなかったのは、危険を感じた奥様が財布から抜き取っていたからである。
そこまではいかないが、土曜日の朝は「あのとき、もうちょっとこういう言い方していればよかった」「こういう反応を返すべきだったな」など少し引きずった。そんな感覚も久しぶりで、まぁいいだろう。
終電までにはまだ余裕があったし、同じ方向に帰る同僚3人と帰宅の途についたので、今回は乗り過ごしはしなかった。
■このように、会社のあとに飲み会があったり、何か用事があったりする場合、弁当箱を持って歩くのがジャマだな、と思う場合には、プラスチックの使い捨ての弁当箱に詰めて持っていく。
昼は形が出来ていて、主菜は肉類と野菜の炒め物、野菜のおしたしか焼いたの 1-2品、だし巻きにごはんといったメニューだ。野菜をそのときそのとき入手しやすく安いものを選んでいくことで、季節と旬に従って移ろっていく。
今週も昨日(10/3)、朝から弁当を作り川崎のラボに出社した。F2F で話ができるのは、やはりいいものだ。おかげで来週10日が休日であることを知った。私としたことが迂闊であった。
■今週、ひっかかった音楽を少し。
1.ZaRa
タブラの名手ザキール・フセインと、バンスリーのラケシュ・チャウラシアの演奏でそれぞれの名前の頭をとって、"ZaRa" というアルバムがリリースされた。
タブラはインドの打楽器、バンスリーはインドの竹製の笛だ。
YouTube でも聴くことができる。通しで聴いたほうがよいが、Kausi Kanada Jod のリンクを貼っておこう。
2.メキシコのシンガーソングライター、ナタリア・ラフォカルデもなかなかいい。2017年の NPR Tiny Desk Concert。
2020年5月の "Mi Religion"
そして2021年のアルバムはこちら。
■街中では、そこここで金木犀の香りも漂い、ぐっと秋らしくなってきた。
8年前だったか9年前だったかの今頃、中国に出張で行ったときのことを思い出す。蘇州にあるサプライヤ様の工場へ1週間の出張だったが、その中の一日、蘇州からさらに車で1時間ほどだったか無錫へ、品質問題の疑いがあった材料メーカに乗り込んで対策を協議しに行ったのだ。
直に取引のあった蘇州の工場は、マネージャ達や部門長など、英語も堪能でコミュニケーションはまったく問題なかったが、その会社に部品を納める数々のローカルのメーカに行くと、中国語のみしか通じず通訳を一人つけてくれるかどうか、といった状況であいさつ程度の中国語しか話せない私は難儀した。
無錫のそのアルミ・ダイカストのメーカは、技術陣も製造の責任者も、そして社長も全員が中国語だけだったが、皆、朴訥とした話しぶりで、ニコリとしない真面目な方々ばっかりだった。蘇州のサプライヤ様が通訳をつけてくれたので対策の協議はなんとかできたのだが、理詰めで言うと決して十分でなかったように思う。しかし、なによりそれよりも、直接会って話をし彼らの真摯な態度に接することで、なんとかなるだろう、と安心した。
午後の遅く、天井が高く重厚な調度品が飾られた広い会議室で、一人ひとりに桃が配られた。手で皮をむくと甘い果汁が溢れてテーブルにこぼれた。同行した中国の方々には桃をひと箱づつお土産に渡されたが、私は持って帰ることができないので遠慮した。その会社の門を出るころは陽がかたむき、車の窓から見える周囲の木々や古びた建物はオレンジ色にそまって長い影をひいていた。
金木犀と銀木犀の香りが強く漂っていたことを思い出す。
知性と直観は両方とも大事だと、いつも思う。
■注記
(*1) もちろん、私はその時点で終電を口実に逃げたのである。被害にあったのは、気のいい私の同僚である。支払いの段になって、その先輩の財布からポイントカードとか病院の診察券とか、そんなものしか出てこなかったときには、胸倉つかんだらしいのだが、まぁそれは仕方あるまい。巻き込まれるほうも巻き込まれるほうなのだ。
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