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私たちは何を見ているのだろうか:Stephen Hawking "Brief Answers to the Big Questions"

今年2月に、Stephen Hawking の Brief Answers to the Big Questions を読んだ。偉大な宇宙物理学者の、人類への遺言のような本だと、誰もが感じるだろう。ホーキングは宇宙論、とりわけブラックホールの研究、とりわけ、一般相対性理論と量子力学、そして統計力学を統合した革新的な理論で有名である。また、ALS(筋萎縮性側索硬化症)のため、ほとんど全身を動かすことができず、車椅子と、頬の筋肉の動きで文字を入力してコンピュータで合成した音声で発話する、その姿はほとんどの方がご存知のことであろう。


ところで、20919年4月10日、初めてブラックホールの撮影に成功した、というニュースがかけめぐった。

国立天文台(NAOJ)の発表資料はこちら

https://www.nao.ac.jp/news/science/2019/20190410-eht.html

視覚に訴える力は強い。映像は、私たちがブラックホールとはこういうものだろうというイメージと合致し、あたかも、高精度の望遠鏡を覗いて肉眼で見たかのように思って、そのまま疑問に感じずにいる人も多いのではないかと思う。なにしろ、この "Brief Answers to the Big Question" の表紙イラストとあまりに似ている。

しかし、私たちは何を見たのだろうか。ブラックホールの影だろうか。いや、ブラックホールがあるならば見えるはずだと私たちが考えるブラックホール周辺の電波の放射を地球上の複数の天文台で確認し、そのデータを高度な数値演算によって処理して可視化した、その結果の映像を見た、とでも言えばいいだろうか。

カントが「純粋理性批判」で説くところによれば、私たちは決して実体そのものを感知できず、実体があるかどうかはわからない。我々は現象を直観できるだけである。目の前にあるものでさえ、私たちは私たちの感覚器官を通じて刻々得られる膨大な情報を統合して、ア・プリオリに持つ純粋理性の形式、空間と時間の枠組みに位置づけることによって始めて経験とできるのである。カントは言う。

物の現実的存在が、近くの経験的総合の原則(類推)に従っていくつかの知覚と関連していさえすれば、(略)、かかる物の現実的存在を認識することができる、つまりその場合には、この想定された物の現実的存在は、(略)我々の現実的知覚から可能的知覚の系列を辿って、このものに達することができるわけである。(略)知覚と知覚の連関との達するところへは、物の現実的存在に関する我々の認識もまた達するのである。(純粋理性批判(上)カント著篠田英雄訳 岩波文庫 p.300)

言うまでもなく、測定器やデータ処理のアルゴリズムなどは私たちの知覚の延長であり、この知覚の延長が正しく関連付けられている限りにおいて私たちは「見た」と言ってもよいのである。物そのものそして世界が実在するからこそ私たちは現象として知覚できるのであり、世界に働きかけ、その結果としての現象の変化を期待通りに得ることができるのである。やはり実体はあるのだ、と理解するべきものなのだ。

しかし、私たちは現象しか見ていないのだ、というところには注意しなければならない。そして、可能的知覚の系列を辿っているのかどうか、という点が大事なのだ。しかし、その妥当性に関しては、理解そのものも難しく若干「おや」と思う部分もあるようだ。

画像取得の際のアルゴリズムに、ブラックホール自体の存在仮説が含まれているのも重大なポイントである。
(略)
非常に意地の悪い言い方をすれば、仮説に基づいて画像描写を行っているため、仮説通りの結果が出てもおかしくはないのではないか。
(略)
我々は一体何を見たら、何が、どこまでわかたと言えるのだろう。
(「天体観測画像の視覚化における認識論」野内玲, 現代思想 vol.47-10 2019 p.116)

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さて、この本では、そのホーキング博士が、10の問いに対して答えている。いくつかの質問は、おそらくは人類の発祥のころからの、答えのない問いである。

1. 神はいるのか?
2. この世界はどのように始まったのか?
3. 宇宙には人間のほかに知性体がいるのか?
4. 未来は予言可能か?
5. ブラックホールの中身は何か?
6. 時間旅行は可能か?
7. 人類は地球で生き延びられるか?
8. 人類は宇宙に出て行くべきか?
9. 人口知能は人類を超えるのか?
10. 私たちの未来は?

これらの難問にそれぞれについて、科学でわかっている事実や理論、物理、そして、彼自身の考えを、素直で明解な英語で解りやすく解説している。ユーモアのある軽いタッチで、楽しめるエピソードも織り交ぜ、読みやすい。

中でも、神、人間、知性、そしてAIに関するホーキングの考え方が、とても興味深く私には思われた。

物理学によれば、宇宙は、無からビッグバンで始まったとされる。そして、数限りない平行宇宙があるはずだという。自然に生まれるのであるからして、創造主のようなものをあえて仮定する必要はない、という。ホーキングは特に知性がどのように生まれたかについて見解を明確には書いていない。私が読んだところでは、ホーキングは単純なアルゴリズムであっても複雑さを増していけば、どこかで知性は自然と生まれてくるものだと考えているようだ。実際、私達は遺伝子から作られ、私達の脳は、1000億ものニューロン同士の複雑な接続によって作られている。人間の知性は、構成要素そのものによって生まれるというよりも、構成や関係の複雑さによって自然に生まれる、実際、私達の意識は自然に生まれてきた、と考えることができ、そこに、理性や魂、または「考える私」というものを、物質の外、あるいは物質世界を超越するものを、あえて仮定する必要はない。

私自身は、宇宙や人間、そして知性も、何もないところから何の目的もなく、自然に生まれてきたものであり、誰かがなんらかの目的のためにデザインして作り上げたものではない、と考えていて、ホーキングも同様の考えでいるように感じた。この考え方は、多くの日本人にはそれほど奇異なものではないと思われるが、欧米人にはかなりショッキングなものかもしれない。もっとも、今から200年以上も前のカントが、約130年前にニーチェが、「神は死んだ」と言い、ハイデガー、サルトル、そしてさらに多くの哲学者が続いている。

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この本では、さらに世界的な気候の変化、人口の増加、ポピュリズム、AIの進化などに私達人類にとって、状況はますます難しいものになってきているという認識を示し、これらの困難な課題と待ち受ける未来に対し、人間はさらに知性を進化させる必要があり、その鍵となるのは、教育であり、とりわけ、科学の教育に力をいれる必要があるとしている。私も本当にそう思う。

しかし、全体的なトーンは、著者特有の楽観的かつ明るい雰囲気であり、「下を向かず、星を見上げることを忘れないようにしよう」という言葉を受け取って前進していこう、と改めて思うのである。
何人もの人が、前書きや後書きで言葉を寄せているが、特にホーキングの子のルーシーの心暖まる後書きは、心を動かされる。

R.I.P.


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