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番外編(日本の歌姫たち)2:氷川きよし「限界突破×サバイバー」

世界の歌姫たち」という我ながらベタな名前だなと思うマガジンを作って、愛している女性シンガーばかり、愛している思いのたけを26回にわたって週1、火曜日に投稿してきた。

ダイバーシティ、インクルージョン、LGBTQ+、SDGs時代に「歌姫」というのはどうかと思う、「女性シンガーばかり」などと書くなんてどういうこと?性別とは関係なくミュージシャンでしょ?、と眉をひそめていた人もいたかもしれない。しかし、私自身は生物学的な性別から見ても、社会的な位置から見ても、自分自身の性認識にしても100%男性であって、少年の心のままの私は、いつまでたっても20歳以上のすべての女性はお姉さんに見えるし、私を導く女神に見えるからして、しかたがないのである。

27回目・最終回の今日は、番外編として日本のシンガー・氷川きよしについて書いておこうと思う。

私にとって、愛している対象か、恋焦がれているか、あるいは手の届かない無条件の崇拝の対象か、というと、違う。だから今回は番外編だ。

しかし、素晴らしいミュージシャン・大スターとして敬意をこめて、きっとこれからさらに大化けするかもしれない、という期待を込めて、今が少し苦しいのかもしれないけれど、限界突破してサバイブしてほしい、という応援も込めて、この妖艶なミュージシャンを日本代表として「世界の歌姫たち」に加えて、最後を飾る。

動画でもオフィシャルのものはあまりあがっていないが、「限界突破×サバイバー」はライブパフォーマンスを視聴できる。

2010年のコンサート「きよしこの夜」が非常によかったので、非公式の動画ではあり、ちょっと問題あるかもだが、リンクしておく。

同年リリースの「虹色のバイヨン」に続いてリズム歌謡の3曲「ときめきのルンバ」「上海帰りのリル」「コーヒー・ルンバ」も軽快でいい。侍姿での立回り・寸劇の後の歌謡もいいし、銀色に輝く派手な衣装やシックな紫のジャケットに次々に衣装替えしてのムードある歌謡曲や演歌の数々も捨てがたい。

やはり、この人の歌唱力はいい。1時間26分10秒あたりから、司会の西寄ひがしの名調子からの「三味線旅がらす」「大井おっかけ音次郎」「箱根八里の半次郎」の3曲は圧巻だ(*1)。お別れの一曲「浪曲一代」も素晴らしい。アンコールでは演歌と歌謡曲のいいとこどりでドラマティックな「寒立馬」、「ズンドコ節」と続く。

最近では「母」という曲が評判だった。

インタビュー記事を見つけたので、参考まで。
母の愛と父の背中――氷川きよしのルーツに迫る 「あと何回一緒に過ごせるのかな、守ってあげなきゃって」 (utabito.jp)


それにしても、氷川きよし、このようなミュージシャンは世界広しといえども他にはいないのではないだろうか。

インクルージョン、LGBTQ+、といえば、日本では中村中というミュージシャンがいることを思い出す(*2)。最近はずっと聴いていないが、この人の歌もなかなかよい。応援している、というほどのファンでもないが、ずっと「大丈夫かな、元気でいるかな」と、たまに気にかかって公式サイトをチェックしたりする。だが、この人は逆にジェンダーを強く感じさせる。

氷川きよしはジェンダーレスだ。

ジェンダーから解放されたミュージシャンというとプリンスを思い出させるが、プリンスは人間ではない。超人、あるいは神かもしれない。いずれ、プリンスについては別に記事にするつもりだ。

氷川きよしは、もっと身近で人間的だ。

いくら事務所の理解があるといっても、なかなかツライこともあったのではないだろうか。商業音楽の世界ではミュージシャンはキャッシュを生み出すマシーンでもある。しかも演歌の世界だ。そして、大人気の押しも押されぬスターであるということは、単なる個人ではなく社会の財産であるともいえる。本人がそれを十分に理解していることは間違いない。そこには私たちの想像のつかない苦しさがあるに違いない。

それなのに、あの屈託のない、明るさである。SNSの発信だって積極的で明るく楽しい。

そして全方面から人気がある。この人のことを悪く言うのを噂でも聞いたことがない。

2022年1月21日に2022年末をもって活動を一時休止すると発表したという。また、しばらく休養、も伝えられている。

やはり年齢もあるだろう。思うとおりに身体が動かない、自分の思い通りのパフォーマンスを出せない、という悩みがあってもおかしくない。頭の固い人たちからの逆風だってあるだろう。


Spotifyでは 2021年の "You Are You"を聴くことができる。 

このアルバムはそのタイトルどおり、自分が自分らしく、あなたはあなたらしく、それでいいんだ、というメッセージがつまっている。演歌は入っていない。全曲、ポップスよりの歌謡曲だ。ちょっと残念だが平凡な出来だと感じてしまった。ファンの方には悪いけれども。

自分のメッセージを込め、自分の思いを込め、「自然体でいいんだ」「自由に生きればいいんだ」と歌えば歌うほど自分の枠に囚われていくように聞こえるのはなぜだろう。歌うべき歌を与えられ、演歌のプリンスという不自由かもしれないビジネスの枠の中で歌うほど、思うまま自由に歌っているように聞こえるのはなぜだろう。

音楽は不思議だ。

私が、氷川きよしに「ビジネスの枠を飛び越え、ジェンダーの枠を飛び越え、ジャンルの枠も飛び越え、もっともっと自由に枠を超えたミュージシャンになってほしい、私が愛する「世界の歌姫」に並ぶシンガーになってほしい、それだけのミュージシャンのはずである」と願っても、それは勝手な私の願いだろう。

氷川きよしは氷川きよしでナチュラルな自然体 Kiina(*3) でよいのではないだろうか。

いや、未来のことは誰もわからない。今から10年後、今では想像もつかない氷川きよしになっていて、Kiinaなどは忘れてしまっているかもしれない。正直であるべき素直であるべき対象としての「自分自身」は、未来の自分にとっては別の「自分自身」に変わっているかもしれないのだ。そして、受け取る側の私も変わった私になっていることだろう。

私たちの自由とは、私たちの自然体とは、私らしさとは、私とは、どこにあるのだろう。

案外、私は私の中ではなく、あなたの中にあるのかもしれない。


去年の1月に亡くなった義母は氷川きよしの大ファンだった。天国から「きよしー」と少ししゃがれた懐かしい声をかけながら、目を細めてニコニコと笑いながら見守っていることだろう。


■注記

(*1) 私は今日まで知らなかったのだが「股旅演歌」というらしい。


(*2) 中村中

私ごときが何か評論したりコメントすることはない。そっと応援するだけだ。以下リンクをいくつか貼っておく。

(*3) Kiina

2019年に氷川きよしは、自分を「きーちゃん」と呼んでほしい、それによって、本当の自分ありのままの自分を表現していきたいと表明したという。そして、2021年2月のデビュー20周年を転機に、Kii という新たな愛称で呼んでほしいと呼びかけ、そして「ナチュラルな自分」を合わせて Kiina となったということである。


■ 関連 マガジン

1. 好きでよく聴いているミュージシャンを紹介。毎週木曜日に更新中。ギタリスト多め、たまに懐メロ。

2. 愛している女性シンガーに特化したのが、我ながらベタな名前だと思うが「世界の歌姫たち」。こちらはさらに愛している思いのたけのみの記事ばかり、週一、毎週火曜日に新しい記事を書いてき懐メロ多め。

今週、今回で、世界2周を終えて長い旅が終わった。


3. いずれも、耳もあまりよくないし、知識も少ない、語彙力もない、なので、基本YouTubeやSpotifyのリンク貼り付けと「好きだー」「愛している」というだけの記事ばかりになっているし、そうなっていく。

「なんだ、超有名どころばかりじゃないか。やっぱり音楽のこと何もわかってないんじゃないの」という批判は甘んじて受ける。

私本人が楽しく書いていることだけは間違いない、それだけは伝わるだろう。

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