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Paul Simon "Hearts and Bones"

前に書いたが、アルバム One-Trick Pony のあと1980年代の前半、ポール・サイモンはかなり迷い苦しんでいたのではないだろうか。1983年のアルバム "Hearts and Bones" にはそれが現れていると思う。

1曲目の Allergies はアル・ディ・メオラがリードギタリストとして迎えられ、独特のパーカッシブな超高速ソロを聴かせる。ドラムスはスティーヴ・ガッドにスティーブ・フェローンも加えてツイン・ドラム、ベースがアンソニー・ジャクソンだ。重厚なリズムセクションで、シンセサイザーの音が効果的に多用され、エレクトリックないい曲に仕上がっている。


■このアルバムを語るには、まず、その前年の Simon & Garfunkel の再結成コンサートに触れなければならないだろう。NYCののチャリティコンサートで二人がセントラル・パークのステージに立ったのは 1981年の9月だ。

私は、テレビでの放送を見て痺れ、リリースされたこのアルバムを擦り切れるほど聴いた。

S&G のライブは、Mrs. Robinson から始まるのが定番だったと思う。その期待どおりのオープニング、そして "Homeward Bound" "America", とおなじみのS&Gのヒット曲が続く。

Simon & Garfunkel "The Concert in Central Park"
Wikipedia では Warner からのリリースとされているが、Geffen からのリリースで、ジャケット裏面にはPaul Simon appears courtesy of Warner Bros. Records Inc.とクレジットされている。あとから権利をワーナーが買ったのかもしれないが、私には事情は不明。
ひょっとして売りに出せば、高く売れるかも?
LP 2枚組

リチャード・ティー(key)のエレピの音とスティーヴ・ガッド(ds)とアンソニー・ジャクソン(b)のタイトなリズムが主体で、サイドギター2本にトランペット2本やサックス2本が華を添える、そんな軽めで派手めのサウンドがいい感じだ。

ポール・サイモンのギターは、Ovation のエレクトリック・アコースティックの Custom Legend、漆黒のボディで螺鈿のインレイが綺麗に輝き美しい。そのころ、すでに取り掛かってた新しいアルバム Hearts and Bones のリードギターとしてアル・ディ・メオラに参加してもらうつもりでいたはずだ。アル・ディ・メオラは、アコースティックギターを弾くときには Ovation だ。彼の影響かもしれないと想像する。

ストロークもアルペジオも、低音も高音も柔らかで軽くて煌びやかな明るい音がよい。

アート・ガーファンクルのソロのヒット曲も1曲あるし "Scarborough Fair" "April Come She Will", "Bridge Over Troubled Water" など、アートが前面に出る曲もある。S&Gのファンとして、面白いのはエヴァリー・ブラザーズの "Wake up Little Susie" だろう。しかし、S&Gの名曲の数々もポール・サイモンの作詞作曲なのだからあたりまえだが、全体、ポール・サイモンのソロの印象が強い。

2枚組LPの見開き
50万人もの観客が詰めかけたという。

コンサート中の二人の表情は和やかで楽しそうに見えるし、このアルバムジャケットでは素晴らしい笑顔だ。ただ、ビデオで見ると時折ポール・サイモンが神経質そうな固い表情を見せていた印象だ。

このころ、ポール・サイモンは、すでに One Trick Pony の次のアルバムの製作にとりかかっていたという。それがこのコンサートの大成功によって、Simon & Garfunkelの再結成アルバムが期待されることとなってしまった。

もともとそんなつもりではなかったはずだが、ワーナーからの要請は相当に強いものだったに違いない。何しろ前作のセールスが期待にそぐわないものだったろうし、皆が求める昔懐かしいアルバムをS&Gで作ればセールスは期待できるのだから。

このコンサートの後、S&Gはワールドツアーに出た。私も後楽園球場に聞きに行った。かなりの値段だったが小遣いをつぎ込んでS席を購入した。しかし、一般に売られていたなかで一番いい席であったはずのその席は、ステージからはるか遠くの内野席で肉眼ではとても見えず、外野席からのエコーも重なって音響は最悪だった。

それはともかくとして、一緒にステージを重ねるごとに二人の仲は険悪になり、一切口をきかなくなったらしい。どんなやりとりがあったのかは知るところではないが、どんなことを言ったら相手がもっとも傷つくか一番知っている、もはや夫婦や家族のような者同士が一緒に音楽を創ろうと思ったら、それは難しいだろう。特に、音楽の方向性が全く異なる2人なのだから。

アート・ガーファンクルが歌いたい歌とポール・サイモンが創りたい音楽が異なることは、このコンサートアルバムを聴いていると透けて見えてくる気がする。

それに続く"Hearts and Bones" の録音でも二人のコミュニケーションは最悪だったらしい。そのあげくに、ポール・サイモンは、いったん録音したアート・ガーファンクルのトラックを全部消去したということだ。

失ったコーラスの厚みを、再度、自身のコーラスで創りなおしたのではないだろうか。アルバムを通して、バック・コーラスほぼ全てポール・サイモンが一人でこなしている。他のアルバムでも自身がコーラスで音を重ねていることもあるが、このアルバムは顕著だ。


■S&Gでヒットを、という圧力とともに、時代の音を取り入れろ、という圧力も強かったのではないかと想像する。もっとも、外から言われたというよりはポール・サイモン自身の内的な動機で実験を試みたのかもしれない。

どの曲も新しいシンセの音をうまくブレンドして全体的に柔らかな音になっているが、エッジの立った音が際立つ曲が数曲ある。1曲目の "Allergy," 3曲目 "When Numbers Get Serious," 6曲目 "Think Too Much (b)" 9曲目 "Cars Are Cars"。  

これらの曲はどれも、数字とヒット曲を求める周囲へのポール・サイモン流の返答のように受け取れる。

数字数字、工業製品じゃないんだからさ、考えすぎかもしれないけど、やってらんないよ、とちょっと自虐的に笑いながら言い返す感じだろうか。

あっと言わせる超絶技巧のギタリスト、マイケル・ジャクソンがエディ・ヴァン・ヘイレンを起用して”Beat It"をヒットさせた二番煎じ、まさかそんなことはないだろうけれども、そういうものを求める時代の雰囲気はあったはずだ。

そのころ、アル・ディ・メオラは人気絶頂でちょうど 1982 年にそのころのライブを収録した "Tour De Force - Live" という名アルバムをリリースしている。このバックのバンドのリズムセクションは、スティーヴ・ガッドにアンソニー・ジャクソンだ。つまり、S&Gのセントラルパークコンサートの二人だ。

たぶんそんな繋がりもあってポール・サイモンはアル・ディ・メオラを起用することを決めたのだろう。アル・ディ・メオラのギター教則本を持っているのだが、それまでのサクセス・ストーリーを綴った序文には「なんとポール・サイモンがアル・ディ・メオラのコンサートに訪れたのだ!」と嬉しそうに書いてある。

ポール・サイモンはジャズ・フュージョンの素晴らしいギタリストを多く知っていたはずだし、自分の音楽にどんな人がぴったりかわかっていたはずだ。もともとは、新しいアルバムに派手なリードギターは予定していなかったのではないだろうか。

しかし、時代の求める音と自分の作りたい歌とのギャップ、数字を求めるレーベル、アレルギーでたまんないよ、というふうな歌に、ツインドラムスにしてエレクトリックなエッジのたった音で派手めに音を作って、メカニカルでパーカッシブな超絶高速ギターのソロがばっちり合うのは、たしかにそうなのだ。

だから、1曲目の "Allergy" に唐突にアル・ディ・メオラが参加していて、しかもそれっきりだというのは象徴的だ。


■"Hearts And Bones" は個人的な思いを込めたアルバムだから、S&Gで出すことはやめた、ということだった。うまくいかなかった結婚、キャリー・フィッシャーとの交際、自身をここまで連れて来た音楽について、そして今自分が作りたい音とメロディ。

それらは 2曲目 "Hearts and Bones," 4曲目 "Think Too Much (b)" 7曲目 "Train in the Distance," 8曲目 "Rene and Georgette Magritte with Their Dog After the War" ラストの10曲目 "The Late Great Johnny Ace"を聴くとよくわかる。

どの曲も穏やかな音作りで歌詞もメロディも美しい。

そして、このアルバムが好きな人は、やはりみな感じるのだろう。ポール・サイモンがこのアルバムで本当に作りたかった音楽はどの曲なのか。

2023/12/30 現在の再生数。
タイトルソングの "Hearts and Bones" がだんとつ、 "Train in the Distance," "Rene and Georgette Magritte with Their Dog After the War," "The Late Great Johnny Ace"と続く。
Al DiMeolaが参加している一曲目は見る影もない。この曲をきっかけにディメオラのファンになった私としてはつまらないところもあるが、納得できる。

1981年9月のセントラルパークコンサートのころには、"Hearts and Bones" の曲作りをしていたというわけだが、セントラルパークコンサートで一曲披露している。それが、"The Late Great Johnny Ace" だ。

冒頭のMCによれば、これが初演ということだ。この曲のギターの陰影ある和音の組み合わせが美しい。よりそうようなリチャード・ティーのピアノとスティーヴ・ガッドのドラムスとの息のあった演奏を聴くかぎり、この気心の知れた仲間たちと歌を作りこんでいたに違いない。

往年のロックンローラー、子供のころのアイドルだったジョニー・エース、S&Gでヒット曲を飛ばす直前の、ジョン・F・ケネディ、そして前年に死んでしまったジョン・レノン、3人のジョンを通じて自分のたどってきた道を思い返す、そんな歌だ。

It was the year of the Beatles
It was the year of the Stones
It was 1964
I was living in London
With the girl from the summer before
It was the year of the Beatles
It was the year of the Stones
A year after JFK
We were staying up all night
And giving the days away
And the music was flowing
Amazing
And blowing my way

Paul Simon "The Late Great Johnny Ace"

この演奏のクライマックスは、この動画では 3'40" くらいのところだ。歌の最後の一節のところにさしかったところで、男が何やらわめきながらステージに乗り込んできてポール・サイモンに襲いかかろうとするが、セキュリティに取り押さえられて連れ去られる。

一瞬演奏が止まるが、何事もなかったかのように歌を続け、平然と演奏をしめくくる。

この曲は "Hearts and Bones"の最後に収められた。フィリップグラスのストリングスのオーケストラが加わり、全体的な音はさらに柔らかい感じになったが、どちらかというとこの初演の演奏のほうが好きだ。残念ながらリリースされたセントラルパークコンサートのアルバムには収録されていない。


■それぞれの曲はやはりポール・サイモンらしく作りこまれた佳曲が揃っている。巧みに韻を踏みながら想像の余地を多く残す陰影のある詩もいい。しかし、アルバム全体を聴いたときに、コンセプトがまとまっていないバラバラな感を感じた。

実際、このアルバムはセールスは全然だった。それはそうかもしれない。

ずっとポール・サイモンを好きで追いかけている人ならともかく、S&G再結成のアルバムを期待していた多くの人々、Sounds of Silence, Scaborough Fair, Mrs. Robinson, Bridge Over Troubled Water, の現代版焼き直しを期待していた多くの人々にとっては期待はずれだったろう。

かといって、Still Crazy After All These Years や One Trick Pony の世界観でもない。

そして、そのころのチャートを賑わしていたヒット曲の路線とも違う。いつにも増してエレクトリックな音作りだし、ジャケットは、ノイズが乗ったTVか映画のカットのようで派手めな色使いが印象的だが、だからといって大衆に媚びた感はない。

アルバムとしては全体的にまとまりがないと思う。そのまとまりの無さには、ポール・サイモンの苦境や悩みが現れていて、私はそのあたりの雰囲気が好きでよく聴いた。Allergy … 高校生だったそのころ、勉強だって運動だって全然ダメ、友達関係だってうまくいかず、うだつがあがらず、かといって何をするわけでもなく、言いようもない不安と焦燥の中、夕方の渋谷の雑踏にまぎれてブラブラしていた。


今、この記事を書きながら聴き直しているが、本当にいいアルバムだと思う。


■ 追補

いい曲ばかりだ。"Rene and Georgette Magritte with Their Dog After the War" や "Hearts and Bones" は本当に美しい曲だと思う。"Rene and ~" は私もギターの弾き語りをよく練習した。

Train in the Distance など、その後のライブでもよく歌われている。


■追補2

あまり確かなことがわからないので本文では触れなかったが、ポール・サイモンの音楽活動をより複雑にしたのは、キャリー・フィッシャーとの交際もあったと思う。

今年の2月ごろに、このころのことをアル・ディ・メオラのオフィシャルが Facebook に投稿していた。アート・ガーファンクルとの確執の生々しい証言とともにキャリー・フィッシャーについても少し否定的に触れられている。

Flashback Friday: It was such an honor when Paul Simon asked me to come into New York to record “Allergies” with him. I...

Posted by Al Di Meola on Friday, February 3, 2023

ポール・サイモンの周囲でかなり騒がしくしていたようだ。そして、この年に結婚したものの翌年に離婚している。


■ 関連 note 記事
Paul Simon の記事は、アルバムごとに思いのたけを綴っていく予定だ。おそらく多くの記事が、軽く5000文字超、しかもそれでも語り足りない、そんな個人的な記事になるはずである。

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