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中華街はいいけど、風俗店はいや?

シルクさんの「大阪都構想」に反対するブログに対して、次のツイートをした。
https://twitter.com/trailights/status/1320552502815842315?s=20

そうしたら「中華街はいいけど、風俗はいや」というリプがついていたので反論しておく。
個人の好悪感情の話をしてるんじゃないんだよ。そんなもんはそれぞれ好きに思えばよいけれど。中華街も風俗も、NIMBYとして書かれているよう読めるから「残念だ」と書いたのだ。

ここでシルクさんが書いていることをもう一度見直してみる。
財政カットによる問題や既得権について批判しており、それは十分に理解できる。続けて二重行政によって起こる問題を挙げている。この部分引用すると、

「東京の友達が言うてた。。各区で保育園料金違うんだと!豊島区とかは7000円台で、渋谷区とかは3万円台とか。。4区になったら、北区、高くなりそう。。でも自治権ないですから、ひたすら府に陳情、却下、陳情、却下。。
区長の名前なんか知らんてさ。。ニアイズベタ-ね。。しかも都にたてついたら、いやがらされるとも。。府の機嫌取りにならなあかんね。。
風俗店できても反対できない。。商店街歯抜けやから、中華街にしようか、、反対できませんよ。。」

最後の一行以外は言わんとすることは分かる。だが、なぜここでこの一行が加わらなければならないのか。
行政の形が変わることで、自分にとって好ましくないことを訴えることができなくなる、ということが訴えたいのだろう。だが、その事例として特定のものをNIMBYとして挙げることは、果たしてふさわしいのか。

これまでもNIMBYは、「わかりやすい好悪感情」が差別や蔑視を背景に隠しながら社会に表出しがちだったと考えている。そこでは、当事者の都合や社会的に置かれた立場などは、一顧だにされない。その当事者は往々にして社会的マイノリティだ。中華街や風俗店とここでわざわざ挙げられたものは、どちらも日本社会の中で蔑視され差別を受けてきた歴史がある。その歴史があるからこそ一般に受け入れられやすい、つまり「わかりやすい好悪感情」なのだ。
大阪維新の政策を批判する文脈であろうと、被差別側に置かれてきた特定の当事者をNIMBYとして挙げることは、これまでの差別を上塗りし、蔑視することが自明であるという印象を残す。
だから、この部分については、批判すべきなのだ。
差別を上塗りするのか、自分が今ここからそれを止めるのか。

住環境を維持したい気持ちは、多くのひとが持っているだろう。当然の権利でもある。もちろん場合によっては、正当な忌避もNIMBYには含まれるだろう。
だが、その表現の中でマイノリティを踏みつけ蔑視するようなことはあってはならない。差別に反対することをプロフィールに掲げているなら、なおさら繊細に言葉を選ぶはずではないのだろうか。

そして、もうひとつ。維新がこのような「わかりやすい好悪感情」を巧みに利用して、その存在意義を大阪の人たちに認めさせてきたことに思い至らないだろうか。「大阪都構想」という言葉は、東京に対抗するための言ってやった感に支えられてここまで支持を伸ばしてきたのではないだろうか。それはとてもわかりやすく、大阪のひとの心をくすぐらなかっただろうか。批判したいことの本筋からはズレるけれど、このことを指摘しておく。
シルクさんというひとがどういう人物なのかは、よく知らない。きっと悪気なく、差別や蔑視しているなどと思いもせず、一般的な多くのひとに共感してもらえるだろうごく当たり前のこととして書かれたのだろう。例えばここで、静かな住環境を害する事例として、なぜ別のものではなかったのだろうか。うるさいとか落ち着かないということなら他にもある。酒席を伴う飲食店でもなんだっていいはずだ。だが、ここでは中華街や風俗店なのだ。それは、シルクさん自身の無自覚な蔑視に加えて、これを言えば賛同されやすいという感覚があったのではないだろうか。
だが、悪気のないポロリと出てしまうこのような蔑視が、もういまの日本社会では当たり前のようになってしまっていることに、抗わないわけにはいかない。散々メディアが垂れ流してきた好悪に、慣れきってはいけない。
わかりやすい、言い換えれば、声の大きいものたちの言葉を無批判・無自覚に受け取ること、となるのかもしれない。それを受け取ったひとたちが群になり、この社会での当たり前をかたちづくっている。それは、一方では差別が温存された社会だ。当たり前のことに差別が紛れ込んでいる。だから自覚的にならざるを得ない。だから当たり前を変えねばならないのだ。
そして、個人がそれぞれ持てばよいであろう好悪感情が、どれほどこういった社会で自明とされてきた当たり前の影響下にあるのかということも、自覚しなければならないはずだ。

ついでに風俗営業に対しての許認可について。
風俗店が、そうそう簡単に住宅地の中にできることはない。それが覆るかもしれないのが「大阪都構想」なのだ、と言われるかもしれないが、実際に確度の低い仮定を持ってきて維新を批判するのは悪手だろう。
まず、風俗営業に対する法律についてだが、これは大阪の場合「大阪府風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例」になるだろう。仮に大阪市が消滅しても、この条例を改変することができるのはこれまで通り大阪府のレベルだということには変わりがない。
風俗営業に対する地域制限について具体的にみると、基本的に都市計画法でいうところの「商業地域」でしか店を出せない。住居専用地域(第一種、第二種、、など細かく規程が分かれている)に風俗店を出すことはできないと条例が定めている。なので住宅地に風俗店ができることなど実際に現実的ではないのだ。ただし条例の中に次のような例外が書かれている。第一種住居地域、第二種住居地域及び準住居地域に限って、この制限の規程を外す権限を持っている公安委員会が許可を出すことが可能なのだと。公安委員会がどのような見地からこの制限を外す場合があるのか、実例は知らないが、住宅地に風俗店を出すことは確かに可能になる。しかし、この公安委員会というものは、都道府県として設置されているため、行政レベルとして大阪市の有無には関係のない話なのだ。
また地域地区の変更についてはどうなのか。住居地域が商業地域に変更されれば、風俗店を出すことは可能になる。ただしこの地域地区の変更は、現況の大阪市のままでも可能なことなので、これも「大阪都構想」関係なくできてしまう。都構想を批判する文脈で持ち出すことではないだろう。
これらのことが「大阪都構想」によって悪い方に変えられるということに、どれほどの根拠があるのだろうか。


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