見出し画像

母との会話

昨年の秋に実家に帰省したときのこと。2年あまり帰っていなかったのは、40代半ばも過ぎて大学院に通い始めて忙しくしていたからだった。父とも母とも頻繁に電話で話していたので、取り立てて目新しい話題があるわけではなかったのだけど。
二人きりになったときに、母が
  ——これからは文章を書いて出したりしていくつもりなの? と尋ねてきた。大学院でつくった冊子に載せた文章を読ませようと父に送っていたりしていたので、そんなことを言いだしたようだった。うん、まぁそういうこともあるかもしれないと答えると、続けて、部落のことを書いたりするの? と言う。
自分には離れた街に住むふたりの甥がいる。姉夫婦のところのふたりだ。ここ数年会っていないうちに、声変わりしたり受験生したりしているらしい。
  ——○○さん(姉)は、彼(義兄)には部落のことを話してるけどあちらの実家には話してないんだと思う。子供らには、どういう話をしてるのか、知らないんだけど。でも、あんたがおもてで何か書いたりするんならなぁ、、、
つまり母は、甥たちが自分の母親が部落の家系に生まれたことを、両親の意図を離れた場所で、叔父の書いた文章などで知ってしまうことを心配しているのだ。
姉が部落を語ることについて、どういう距離を取ってきたのかは、なんとなく知っていた。それは思うようにすればよいと思うし、子らにどう伝えようとそれもこちらがとやかく言うことではない。でもね、それは心配かもしれないけど、だからといって、おれがなにか書くことを止めたりはしないつもりだよ。そう伝えると母は、まぁ、そうなんだろうなぁ、と弱く言って黙った。
語ることも語らないことも、それぞれの自由だ。誰かになにかを強要するつもりなどないよ。ただ、抗うつもりなら、語りながら抗うことの方がたやすく思えたんだよね、自分は。黙っているよりも。その方が、自分の立つ場所や考えの輪郭を、はっきり示せるように思えたから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?