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メンタル免疫、情報のもつ栄養について

俺は Twitter でワクチン賛成・反対・慎重派をごた混ぜにフォローしてる。

直接フォローしている人もいれば、リストにまとめてるだけでフォローしていない人もいる( COVID-19 alternative )。
賛成派は情報環境の主流を占めており、勝手に情報が入ってくるので、特にリストにまとめたりはしていない。

賛成派、反対派の両方に極端勢がいて、どちらも視野狭窄に陥ってる感はある。しかし自分の考えを補強する情報を多方面から頑張って探してくるので、参考にしたい情報も混ざっており、俺とって有用だ。
極端勢は賛成・反対に関わらず逆の立場の情報や意見を馬鹿にしている
どちらも感情的に反応して冷静さを欠いており、ある意味騙されやすく危険だ。
慎重派は自身がワクチンを摂取済みかどうかに関わらず、情報が出る度に認識をアップデートしており、認知の歪み度は最も少ないだろうと思う。
真実を知りたい志向の人は、自分の立場を抜きにして多方面からのより確かな情報を求めている。

賛成・反対、両派の極端勢が「騙されやすい」のは、彼らは不安にドライブされているので、自分の立場を補強するものであれば「なんでも飛びつく」からだ。真偽確認の前に、不安を解消してくれるものであればパクっと即座に飛びついてしまう。情報をFeedする側からすると、パクっとすぐ飛びつく easy に hook しやすいのが極端勢だ。

人に何かを買わせたければ、まず極端に不安な状況に陥らせ、欠乏感を植え付ければ、何でも買わせることが出来る。今回はCovid-19 で全世界共通の強い不安が既に醸成されているので、多くの人が、既に何でも買わされやすい状況にプリセットされていると言っても間違いないだろうと思う。

本来、まだマシな真実らしきものに漸進的(progressive)に辿り着くには、自分が信じている立場とは反対の意見を意識的に取り込み、その反証に耐えうるかを見なければならない。
それによって認識が鍛えられ、無駄なものが削除され、洗練されていくと考える。
異物に晒し、取り込み、生き延びさせることで考えが洗練されるプロセスは、免疫系が異物にさらされ鍛えられ、対応力が強化されるプロセスと似ている。
風邪を経験することで体が刷新されるように、陰謀論と思われるような異物に晒すことで思考プロセスや、世界認識、情報処理のリテラシーが向上すると俺は信じているところがある。
一方で、これは不安にかられた人からすると、不安を解消するのではなく、逆に不安を増強するだけの作業であろう事も分かっている。
どうやってその有効性、有用さ、つまりはメリットを伝えられるかが課題になる。

一つの良い方法は、Joe Roganや、Lex Friedman 等がやっているような、長時間の対話を聞くことだ。
彼らの長時間会話(Long-Form Conversations)を聞く事が良い方法であると俺が考える理由は2つある。
1つはホストがオープンマインドである点、もう1つは形式(フォーマット)自体にある。つまりLong-Form(長時間)である点

1つ目のホストのオープンマインドさについて。異なる意見であっても、馬鹿にすることなく、互いに敬意を払い、興味を持って質問し、相手の思考プロセスを、相手がそう考える理由を理解しようとする。Joe も Lex もポーズでそうしている訳ではなく、好奇心からそうしている

2つ目の長時間フォーマットについて。短時間のフォーマットの典型がTVの一口(Bitesize)コメントだ。一言で分かったような気にさせるスナック菓子のような情報。それと間逆なのが多くの割り切れないニュアンスを含む長時間フォーマットだ。時間を意識してナーバスになりつつ、重要なニュアンスを端折って慌ててまとめたりする必要もない。たっぷり時間を使い言いたいことを表現し、ニュアンスを端折らず説明することが出来る。曖昧な箇所があれば追加で質問を投げ、それについてまたあーだこーだと会話が際限なく続く。
互いの思考プロセスを開示し合い、その事によって互いの思考や、対話が発展する。意見が違っていても友好的に会話が続き、双方にとって良い作用をもたらす。
このような栄養たっぷりのコミュニケーションの仕方を盗み聞きできるのが Log-Form Conversation だ。
「栄養のある対話」の条件として「ホストのオープンマインドさ(open mindness) + 時間制限のなさ(Long-Formatted) + 基本1対1であること(多いと他の参加者に気を使ってしまうためトピックの掘り下げが起こりにくい)」等が挙げられると思う。
ホストの姿勢から、間違いを認めたり、意見の異なる人とも友好的に話す事は可能なのだと知る事はとても良い精神の栄養になると俺は信じる。

オープンマインドネスを実現するための1つのキーとなる姿勢は、自分が現時点で持っている「考え」は自分自身とは異なると識ることだ。
Do not identify yourself with your idea. You are not your idea なのだから。
この「自分」と「自分の考え」の切り離しは何によって可能なのだろう?
人によって異なるとは思うが、何らかの体験を通じて深く思い知る、というのが良くあるキッカケであろう。
カルトに騙された。詐欺にあった。信じた人に裏切られた。親離れにメチャ苦労したけど離れられた。社会に復帰できないような大病を経験した等、自分がそれまで無意識に保持していた世界認識がもろく崩れ、自分がいた世界から疎外され、地図やガイドを失ってしまったところから、もう一度意識的に世界観を再構築せざるを得なかった様な、そういう経験だ。
そうすると現時点での世界理解が、うつろいやすく、暫定的なものにすぎず、今後もまた変わり得るのだという感覚を自然と体得するに至るであろう。その結果として、自己と、自分の考えとの分離が促進される気がする。

考えは変わり得る。異なる考えに晒すことは有益だ。
それにより対話力や思考力が向上し、無明が晴れる、かもしれない。喧嘩腰に感情的にならずに、友好的にやれる、かもしれない。
練習すれば良いと思う。俺は練習している。感情的になるのは思考と自分を同一視しているからだ。
内容に漏れがあれば補足すればよいし、認識に抜けがあれば素直にそれを認め、有用な外部からのインプットがあれば積極的に取り入れれば良い。そう分かっていても、我々は自分が攻撃されたと脊髄反射してしまう未熟さからなかなか自由になれない。
「意見された内容」に興味を持つより前に、攻撃されたと感じ、即座に反撃に転じることで、「自分」を守ろうとしてしまう。
「意見」と「自分」を切り離す練習をしよう。指摘された内容に興味を持とう。Who や How ではなく What にフォーカスしよう。誰から言われた、どう言われた、という点を気にしすぎると、何を言われたかが分からなくなってしまう。不安が強いほど、自分を守りたくなるからこの傾向は強くなる。
しかし本当は「何(What)」が一番重要なのだ。嫌いなやつが鋭い指摘を行うことはある。尊敬する人がどんくさい人生論を語ることもあるのだ。

情報には栄養がある。情報にもジャンクフードや、栄養たっぷりのナチュラルフードがある。
結論、アジェンダありきの情報は、真実が持つ多面的な解釈の幅という栄養を削ぎ落としたジャンクフードだ。人の思い込みを強める作用しかない。
ジャンクフードが体に良くないように、ジャンク情報はメンタルに良くない。
ニュースやアート等、形式に関わらず、結論が表現されてしまっている発信物はジャンクだ。例えば役者が意見を「表現」してしまうタイプの演技はジャンクだ。受信者の感受性の入り込むスペースが無いから、感受性が育たない。
ニュース、映画、音楽、どんなフォーマットであろうと、情報の発信側が相手が受け取るべき結論を与えようとしている表現形式での配信は、受信者の感受性を尊重していない(disrespect)。
ジャンクな化学調味料の効いた、分かりやすい情報を与え続けていれば、餌付けされた受信者は考える力、ニュアンスを理解する力が減退してしまう

柔らかく、細切れにされたプロセスフードでは咀嚼する顎の力がつかないから現代人の顎は劣化しているが、それと同じようにジャンク情報ばかりとっていると、考える力が劣化していく。
気づかないうちに、平面的な人間観・世界観がインストールされてしまうので、他人や世界を一面的に解釈してしまい、甘えた期待を抱く様にもなってしまうかもしれない。
甘やかした結果のツケは時間差でコミュニティ全体が払わされることになるであろう。

資本主義社会では「儲け」が目指すべき指標(metric)なので、その過程で人間が成熟するか、劣化するかといった議題は優先度が低いか、棚上げにされる。
人間が成熟した方が良いが、劣化したとしても「儲け」が出るなら良しとされる。そしてそれは儲けの増大という点では成功であり、称賛される。
その称賛を当事者は免罪符として、正当化の手段として使うことができる。当事者は、儲けを産出する途上で精神の劣化を加速させたと自覚しているかもしれないが、パブリックな称賛を得られれば、罪悪感を中和することが出来るであろう。
それが良いことか悪いことかは決めずにおくとしても、儲けがもたらした称賛を、社会的な負の影響への中和剤として用いない方が、より倫理的ではある
儲けにドライブされた社会エンジンは止める事が難しい。誰かが止まって降りても、別の誰かがそのエンジンを動かし続ける。その巨大なエンジンは、結果として、議論を呼びそうな、炎上しそうな、感情が揺さぶられる様な、つまり釣り上げ(hook)やすい情報と、ありもしない欠乏感の2点セットで常に「儲け」を産出し続けようとする。その副産物として人間と自然環境が劣化していくとしても、それは先延ばしにして良い課題としてできるだけ先送りにされる。

ニュース等の情報源が「儲け」を産出するエンジンと結合した時、人間の劣化が加速される。
儲け産出エンジンは倫理性や精神の健全さ、精神の自然免疫を鍛える栄養のある情報などには興味がない。興味がある様な顔を見せることもあるが、それはエンジンの最優先事項ではない。
より間口広く「儲け」を呼び込むためのストーリーテリングの手法として、倫理性や正義が語られるから、いい気分にさせられて釣られることもある。
良いことをやっていると信じている人が集団で地獄への道を舗装している事はあり得るのだ。誰しもそのネガティブな可能性から自由ではない。俺もあなたもよかれと思ってやっていることで、今日もせっせと地獄への道を舗装しているかもしれないのだ。

そしてまた、あとから「だまされた」といっては、自らの善人キャラ設定を維持したまま、自分がだまされた事の責任は不問にするのだ。周りのみんなも騙されたのだし、騙したやつらが悪いのだから。

そうならないように、多方面から情報を吸収しつつ、変わり得る暫定的な世界観を継続的に更新しつつ、不安にのまれず、感情的にならず、友好的に話すよう、練習を続けよう。

各自がオープンマインドであろうとし、喧嘩腰にならないようにすればコミュニティ全体にとって良い効果がある。
「分断、対立の結果としての暴力的な内戦」ではなく、「平和的な対話による生活・情報環境の継続的な改善」を望む。

戦場は我々のマインドの中にある。
どちらの Wolf を勝たせるか、我々は選択できるのだ。


↓ おかね。。。おかねをください。