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憧れという感情の欠如 - 190313 -

人に備わっているいろんな感情のうち、いくつかが欠如している自覚がある。

例えば小さきものを守りたいとか、そういう感情が人よりも少ない。もちろんだからといって傷つけてもいいと思っているわけじゃなくて、歩き出したばかりの小さい子が、てとてとてと、こてん、みたいに平和に転んで泣いてしまったときのあやし方が「よしよし、痛かったねえ」じゃなくて「痛かったかあ。泣きたいよな、今のうちにたくさん泣いておくんだぞ、大人になったらな、泣きたくても泣いちゃいけないシーンがたくさんあるんだからな」と声をかけたくなってしまう、みたいなこと。

そういう、人に備わっている感情が少し欠けている人間だということは自覚していたのだけど、さっき自分には「憧れ」という感情も欠けているんじゃないかと、ふと思った。

憧れ
理想とする物事や人物に強く心が引かれる。思い焦がれる。「名声に―・れる」「都会生活に―・れる」

引用元:goo国語辞書

憧れの人、憧れの先輩、もしくは理想の人とか、そういう人がいない。もちろん尊敬する人はいる。その違いってなんだろうなあと考えたら、憧れの人は「あんなふうになりたいな」という人、尊敬する人は「あの人はすごいな」という人。"憧れ"には、その人みたいになりたいという意味を自分の中では含んでしまうらしい。わたしにはそういう人がいない。(尊敬している人はたくさんいる。挙げるとキリがない。)

人より欠けているにしても、憧れの先輩や憧れの夫婦みたいな人たちが過去のわたしにもいたんだけど、憧れていた先輩はわたしが勝手に憧れていただけでわたしのことを助けてはくれなかったし、憧れの夫婦は訳あって離婚してしまった。

たしかに女優の夏木マリさんみたいに年齢を重ねても美しくしゃんとしていたいと思うことはあるけれど、夏木マリさんみたいになりたいというより、年齢を重ねても美しくしゃんとしていたい気持ちのほうが強い。

憧れは素敵な感情だけど、だれかのコピーになりたいという意味での「憧れ」は、少し違うよなあ。

今日「憧れの人は?」と聞かれてそんなことを思ってしまったという、記録。

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