言葉の先で

「思っていることは言葉にしないと伝わらないんだよ」

いつか、君はそんなことを言っていたね。あのときのわたしは、たしかにそのとおりだと一瞬は納得したんだ。けれど、どこかひっかかる気持ちが、今だって消えない。

それに多くの人も同じようなことを言う。大切と思っていたって伝えなきゃ伝わらない。好きならちゃんと好きだと言えばよかった。そういう類の言葉は、生きているうちに何度か触れてきたよ。

でも、違和感がどうも拭えないんだ。

なんでだろう、と考えていたら次第にそのもやもやの輪郭が見えてきたんだ。わたしは、人の言葉をあまり信用していないのかもしれない、ってね。

どんなに「好きだ」と言われても、それが本当だと誰がわかるというんだい? 相手が嘘をついていることだって、大いに有り得るじゃないか。

みんなにやさしい人がだれにもやさしくないのと同義だと思ってしまうわたしには、「好き」の大安売りをしている人のそれがどうもぺらぺらとした嘘のように思えてしまうんだ。悲しい人間に聞こえるかい? 

つまりなんでも言葉にしないといけない、とわたしは言いたくないんだろう。言葉にすれば、必ず気持ちが伝わるとも言いたくない。言葉にしたって伝わらないこともあるし、言葉じゃない方法のほうが伝わることも、時にはある。

そう思ってしまうんだ。


そんなことをあのころの君に言ったとしたら、君は笑うだろうか。

「相変わらず気難しいな」って。



なあ、笑ってくれよ。

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