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BTS:曲語り『名前のない野花のひとつひとつに名前をつけていく曲』


今回の記事は、RMさんのソロ曲『Wild Flower』の曲語りです。



オリジナルタイトルは『들꽃놀이 (with 조유진)』で、MVはこちらですね↓



「들꽃놀이」はそのまま英語タイトル「wild flower」、つまりは「野生の花」というような意味合いになるようです。



初めてこの曲に触れた時からいろいろと思うところがあり、RMさんの思いやビハインドは敢えて極力聴かない、観ない状態でこの記事を書いています。



音楽、歌詞、MVの世界観を中心に、自分なりに向き合ってMVの映像を切り取りながら、行間を埋めるような感じで文字を重ねてみました。


歌詞は、MVの日本語歌詞をそのまま画像とともに掲載しております。




考察というよりもあくまでも一個人の感想文です。


勝手に想像して、考えて、言語化したものなので、まだこの曲をじっくり堪能していない方にはおかしな先入観になってしまう可能性があるため、この先を読むことをお勧めいたしません。



オタクアミの(愛ある)妄言よりも、まずはぜひぜひ原曲、そしてRMさんのメッセージに向き合っていただくことを強く強くお勧めいたします♪




これまでも主に花様年華シリーズで行間を埋めてみることをやってみましたが、すでに完成している作品に対して、敢えて空いている行間を埋めること自体、微妙なところもあるかな~と思いつつ、作品の世界観のより深いところまで楽しむためには好きな方法だったりします。



ということで、音楽を愛で、楽しむことを愛でるオタクアミの(愛ある)妄言でも興味のある方、楽しめる保証はございませんが、よろしければこの先ご覧くださいませ。


最後にちょっぴり解説もいたします。





それでは始めます。



*************







空一面を覆う雲。



雲の上は明るく晴れ渡る。


地上では厚く重い雲が光を遮る。








雲の下は闇。


明るい光をすべて遮る暗闇。



つまり、世界は闇そのもの。



闇から始まり、闇の中で朽ちる。








遠雷のような轟きと閃光。



例え暗くても、今の僕にははっきりと世界が見える。






打ち上げた花火の光で世界を照らすから。

「一面の花畑、それが僕がいる場所」




「開かれた大地、それが僕のいる場所」




「無名、それが僕の肩書」




「無恥で、自分の墓の上にいる」





その一歩は本当に自分の足で進んだ一歩だろうか。






自分自身を護るためと言って必死で研いだ刃を強く握っているけれど、柄をつけることを忘れてはいないか。







僕が思い描いている「夢」は本当に僕が叶えたい「夢」なのだろうか。

それは「僕の夢」か?






「僕」が思う「僕」は本当に「僕」なのだろうか。







きっと、すべてが正解で、すべてが間違いだ。


消去法で正解から探しても、間違いから探したとしても、結局はどこかの地点で交差して、答えは逆転する。







闇に咲いて、世界を照らす花火。


見上げた顔を煌めかせる一瞬の光に憧れた。




僕もそうして照らしてもらった記憶があるから。








輝きは一瞬で消えてしまうけれど、明確な役目を果たして、きれいに消え去り、終わりを告げる。






「終わり」のための「始まり」だったのかもしれない。

「夢」とは「終わり」を意味していたのかもしれない。








始め方もわからなければ、終わり方もわからなかった。


ひどく曖昧だとしても、明確に見えなかったとしても、行く道の先にとても強い光を求めていた。







それでも光を求めれば求めるほど、光に近づけば近づくほど、僕の後ろに伸びる影は長く遠くなるばかりだった。







光を見失っても、足元を引きずる影はそのままで、その影の先は世界を覆う闇へとつながる。







世界の大きさを知り、自分の無力さを知り、所詮、夢は夢だと自分を納得させようともした。





欲しがらなければ手に入らない痛みは知らずにいられる。



けれど、どんなに抑えようとしても、考えてしまうし、欲してしまう。




痛みを抱えても、進むことを止められない。







広大な「世界」を前にして悪あがきだとわかっていても、「僕」が「僕」だとわかる「光」が必要だったんだ。






だから、僕は足元を見た。





花火を打ち上げよう。





これまで歩んできた道に咲いた花に火を灯し、花火を打ち上げよう。







毎日、毎晩。


光が途切れないように。


その光が行くべき道を照らし続けてくれるように。






「消えない痛みと、罪の意識」



すべてが「僕」そのもの。







全身がかじかんだように震えながら、何度眠れない夜を過ごしただろう。

恐怖や怯え、絶望からの震えだったのかもしれない。



けれど、今思えば、それらすべてが生きる鼓動。

僕が僕として生きている証の脈打つ「声」そのものだったんだと思う。








欠けた月の光では足りない。


僕はいつまで経っても、満月にはなれない。




けれど、そんな満月だって、太陽の光がないと輝けないんだ。


逆を言えば、光が当たれば誰でも強く輝ける。








明るく温かな光に満ちた夜であるように、強く願いを込めるよ。


痛みや恐怖から解放されて、心地良い眠りのある、何の変哲もない当たり前の夜がいい。







子どもの頃は当たり前だった、そんな何気ない夜が貴重になるとは思わなかった。



良くも悪くも想像もしなかった夜を過ごす日々。




夢に見ていたけれど、実際に触れたら、まるで他人のものみたいな人生。



だから、僕は「僕」を何度も何度も見失った。








風船をつかんで、少しでも宙を舞えれば、自分の居場所が少しは見えるだろうか。







「僕」のことなのに、辺りが暗くて、今いる場所がわからないんだ。






「君はどこへいく?君の魂はどこにある?」





「なぁ、君の夢はどこだ?」




キミはダレだ?







「終わり」を知らない「始まり」と、「終わり」が見えない道の途中。






どんな終わりであっても、花火みたいに散りたい。







だから、花に火を灯して打ち上げよう。






光の花を咲かそう。








世界がどんなに暗い闇に覆われていたとしても、僕がその夜空で一瞬でも光り輝いたら、誰かの足元が明るくなって、小さな一歩でも進めるかもしれない。



僕もそうして足元の道を見つけたんだ。


咲き誇る野花を見つけたんだ。







花に火を灯そう。








ひとつひとつに意味がある。


見えないだけで顔がある。


聴こえないだけで鼓動がある。


知らないだけで名前がある。








いつ「終わり」が来るかはわからないけれど、いつまでも答えを探していたい。







嫌なんだ。


得体のしれないものに支配されること。


顔が見えない顔を持つこと。


鼓動が聞こえない心臓で生きること。


名前のないものに囲まれて歩くこと。








ただ重たいだけで、手に余るいくつもの仮面。


剥がしていった先に、本当の僕の顔はあるのだろうか。







「僕はヒーローでもなければ、悪党でもない」






その顔も、その鼓動も、その名前も僕ではない。






笑顔で肯定しては、鼓動で否定する。


そうしていつか都合の良い記憶と、その反対の記憶が本当の記憶を飲み込んでいく。






手探りでも這いつくばっても、前に進むことが正しいと思っていた。


けれど、ふと立ち止まって、横になって、空を見上げて気づいたんだ。









僕は同じ場所をただグルグルと蠢(うごめ)いただけだったこと。


始まりの時を忘れ、終わりも見失い、やみくもに歩いていたこと。








かつて種をまいて咲かせた花も台無しにして、真実かどうかも曖昧な記憶の中の小さな光が心の支えだった。




たどり着かないはずだ。




頭の中の光には決して手は届かない。




目を開いて、世界を見るんだ。






「そうだ、僕は進み続けるよ。目の前に何が立ちふさがってもかまわない」






僕はまだ暗闇の中にいるかもしれない。


まだ始まってもいないのかもしれない。


もしかしたらとうに終わりを迎えているのかもしれない。








朝が来ない夜はない、というけれど、それと同じだ。


目を開けば必ず光が差す。








そんな大きな声が、小さき者たちの口を塞ぐ社会。







言葉にしてしまったら、その言葉には命が芽生える。


僕を離れ、どこへでも行ってしまうんだ。


顔を変えて、鼓動を変えて、時に名前を変えて。




例え沈黙を貫いても、誰かの憶測が僕の仮面をかぶり、僕の振りをしてあちこちに徘徊する。


いつしか、僕と入れ替わり、僕自身がニセモノになる。







言いたいけれど言えないことのすべてを手紙に書いて、小瓶に詰め込んで、暗く荒れた海でも帆をはり、船を出し、キミに届けようか。


例え、船が沈んでも、その小瓶だけは君に届くだろう。


僕が紡いだ本当の声として、君の中に残るだろう。







どれもこれも「僕」ではないと伝えたい。


自分のことを語ることができるのは自分自身だけだろう。









「キミ」も「アナタ」も「この子」も「あの子」も僕じゃない。






今、こうして、世界を見つめ、世界を感じて、鼓動を感じているのが「僕」なんだ。







意識的にも無意識にも、内的にも外的にも、ありとあらゆる花々が僕を作ってきた。


ひとつひとつに名前を付けたいけれど、到底追いつかないから、そのほとんどが名前もなく、僕の記憶や意識から消えて星になる。







あの雲を突き破って、ここを抜け出せたら満足するだろうか。


けれども、どんなに願っても星には手は届かない。



そもそも飛び立つことすらままならない。





けれど、今ならはっきりとわかる。







ここが僕の居場所だ。







この世界そのものが僕の居場所だ。







悲しみの正体は知っていた。

けれど恐れず抱きしめて同化した。


光に照らされて伸びる影も自分自身。

影を取り込んで、闇に同化すればやっぱり怖くはない。







だから行こう。


この道を行こう。


この世界を進もう。








そして、いつかは世界に同化するんだ。








花に火を灯して打ち上げよう。


世界に光の花を咲かそう。






世界がどんなに暗い闇に覆われていたとしても、目を開いて、顔をあげるんだ。






名前もない花々でも、良い香りで存在を示して、世界を照らす光になる。







足元を見てごらん。


君の世界は「光」で満ちている。


そんな光の道を、君は自分の足で歩いてきたんだ。







僕が育てた花も誰かが育てた花の種を分けてもらったものだから、僕の中には間違いなく別の「誰か」が存在している。





けれど、そんな別の「誰か」と比べないでくれ。






その人がいなければ今の僕は存在しないかもしれないけれど、その『誰か』は僕じゃないし、僕もその『誰か』ではない。







花に光を。

光に花を。






詩を書くことは、名もなき野花のひとつひとつに名前を付けることに似ている。


名前を付けることで存在が確かになって、生きる鼓動が芽生える。


「言葉」が命を吹き込むんだ。







「言葉」で表現することが僕にも命を吹き込む。


宿った命で、世界を夢見る。







命が燃え尽きて、たとえ朽ち果てても、大地に帰り、次の花を育てる栄養になる。


名もなき花でも同じこと。







少年の時は一瞬で過ぎ去る。

花火みたいに。


けれど、その輝きは朽ちることはない。

永遠みたいに。







だからここが僕の居場所だ。







何者でものなかった僕も、僕であることは変わりがない。


置き去りにはしないよ。


僕は僕を繰り返す。







闇に向き合うのも、光を求めるのも、自分自身。






だから、無限に広がる花の大地に光を灯そう。


そして、この大地に立つ僕を観てくれ。


声を聞いてくれ。


鼓動を感じてくれ。







君の世界が闇に覆われていても、僕が君の世界も照らすよ。


かつて、僕もそうしてもらったんだ。







だから、この大地に広がる花に火を灯して打ち上げよう。


光の花を咲かそう。








「一面の花畑、それが僕がいる場所」





「開かれた大地、それが僕のいる場所」





「無名、それが僕の肩書」





「無恥で、自分の墓の上にいる」






一面の名もなき野花こそ、僕がこの足で歩いてきた証。






傷だらけの両手の力は抜いてもいい。


その手の傷は、勇ましくも闘った証拠だ。


この先は、この大地に美しく咲き誇る花を愛でるために使う方がいい。







傷を重ね合わせて、静かに祈ればいい。







夢も僕だ。






僕が僕でない時も僕そのものだ。







この世界もすべて僕自身。








ただ必死に走って、倒れて、立ち上がって、這うように、一歩一歩進んできた場所が自然と耕され、花が咲いた。



たくさんの実が熟し、やがて種となり、花畑は知らないうちにずいぶんと広大なものになった。





あとは、まだ目覚めてない「僕」を起こすだけ。




目覚めたら、火を灯して、大輪の光り輝く花火を打ち上げるんだ。










*************




ということで、以上です。





「花」、「花火」、「野花」。


「花」って何なんでしょうか。




歌詞の中の「flowerwork」とは、「firework」からきているのかな、と思います。

fireworkは「花火」と訳しますが、fire=火であれば、work=花ですね。


となると、flowerworkは「花花」でしょうか。


…さすがに、違うかな😅?




この作品のことを考えていて、脳裏に何度も蘇ったのが、WINGSシリーズのRMさんのソロ曲『REFRECTION』でした。



こちらの記事↓にて、今回同様、行間を埋めてみることをしておりますので、もしご興味があればどうぞ。



『REFECTION』に触れて以来、冒頭の引用の中に出てくる「realm」の意味をずっと考えているのですが、『Wild Flower』の世界観そのものがまさに「realm」な気がするんです。



「realm」って領域みたいなことだと思いますが、『REFECTION』にしても、『Wild Flower』にしても、世界観は異なっても、「自己」を最大限に表現している作品なのではないかと思っています。


花様年華シリーズ自体がそうかもしれません。


なので、私の中では、『Wild Flower』も花様年華シリーズの一部のような感覚です。




ちなみにね、出てくるんですよ、『REFECTION』に。



「花火」が出てくるんです。



これはまさにオタクの妄言なんですけれど、このWINGSシリーズでいろいろアイテムが出てくる中、花火だけは「ナムジュン」にしか出てこないんですよね。(たぶん)



ワタクシの目が節穴である可能性もありますけど、詳しくはこちら↓をどうぞ。



お時間のない方へ「花火」に関する引用を記載します。

ナムジュンにだけ現れます。
鏡張りになった部屋が砕け散る時に突然現れて、ガラスが割れる音には思えないような優しい音色とともに、部屋が粉々にはじけ飛びます。
『REFLECTION』の記載では、打ち上げ花火の美しさと儚さになぞって、囚われていた領域が壊れ、離脱すること自体は良いことであるととらえて書いてみました。
しかし、花火自体は異質なものに感じて違和感があります。


この時は、何で突然「花火」が出てきたんだろう、と違和感を感じていたんですね。



RMさんの中で、「花火」って特別な意味合いがあるのだろうな、と思っています。


その意味合いについて考えて書いていくと延々続きそうなので、今回はここまでで留めておきますが、「花火」で一つ思い出しました。


一年以上も前のお話ですが、突如夢に現れて、素敵な街で手を引いて、美しい花火を見せてくれたのはJUNGKOOKさんでした↓


花火の輝きって、そのシチュエーションとともに強烈に記憶に残るものですね。




そして、「野花」です。


この記事のタイトルでは、「名前をつけていく」と書いたのですが、行間にも書いた通り、すべてに名前をつけていくのは到底無理ですよね。


RMさんは美しい比喩を多く用いられる印象がとても強いですが、この「野花」も比喩だとしたら、いったい何を表しているんだろうと考えたんです。


それで、MVの行間を埋めていきながら思ったことは、これも花様年華シリーズに共通して感じることですが、これまで積み重ねてきた「瞬間」の数々なのではないか、思ったんです。


「野花」って、敢えて種をまいたものでも、育てたものでもないですよね。


知らないうちに種がこぼれて、育って、繁殖していくものですが、我々が日々通り過ぎる瞬間も同じかなって思うんです。


自分の行動で結果的にその瞬間を迎えることはあるかもしれませんが、時間は誰にでも平等に一刻を刻むので、「瞬間」はコントロールできるものではないですよね。


それでも、確実に存在して、自分の歩いてきた道や自分の周りに咲く野花のように咲き誇るわけです。

思い出して、スポットライトを当てないと思い出せないから存在を確認することはできないですし、思い出すことなく記憶から消される=枯れ果てる瞬間は無数にある。


名前のつかない「瞬間」には、その時の「思い」だとか「感情」だとかも含まれています。


これはまた別の機会に書こうと思いますが、RMさん自身、多くの本を読んで、語学にも優れていて、何よりも語彙や表現力の幅の広さ、奥深さにはいつも感動と驚きでいっぱいになります。


勝手な想像として、その時々の正体不明な感情などについて、言葉で表現することが、野花に名前を付けていく行為に似ている気がしていて、実際にRMさんがご自身と向き合う時、幅も奥にも広大な世界で、フルスロットルでそんな途方もない行為をされているんじゃないかな、という気がいたしました。



そうすると、花に火をつけて、花火として打ち上げる、というのは一体どういうこと?となりますが、これもまた、名前をつける行為に似ていると思います。


触れて、火を灯して、打ち上げる=存在を認めること。


名前をつけることも存在を認めることだと思うので、たとえ名もない存在だとしても、自分の一部であることを認めて、自分自身を照らす光にする、というような意味合いになるのかな…などと考えました。


「Wild Flower」であって、「Wild Flowers」でないことも、ひとつひとつを「個」として認めたい表れなのかもしれませんね。



というわけで、ただただ想像の世界で、明確な結論を求めているわけではないので、ぼんやりと感覚だけの解説になってしまいましたが、これが新たな「種」になるので、今後も事あるごとに掘り下げてみようと思います。



これで心置きなくRMさんのいろいろなインタビューなど観たり読んだりできるので、たいへん楽しみです💜


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