見出し画像

モーセの葬られた場所

もしも主なる神が、ピスガの山頂に登ったモーセに向かって、「やっぱりお前も、約束の地、カナンに入れてやろうか?」と問い直していたとしても、モーセはきっと、断っていたに違いない。

なぜならば、モーセにとって、あるいは、イスラエルの民にとって、あるいはまた、人類全体にとっての、本当の「約束の地」とは、「荒野」にこそあったのだから・・・。


申命記のはじまりにおいて、モーセはたしかに、「ヨルダンの向こう側」の約束の地に入りたいと、熱望している。それゆえに、そのように、神に向かって祈り求めている。曰く、「どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください」、と。

しかし、主なる神は、そんなモーセの祈りを、聞こうとしなかった。代わりに、「もうよい。この事を二度と口にしてはならない。ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ…」と言い渡す。

モーセは、失望と落胆を隠しきれずに、イスラエルの(男だけで)約60万の民に対して、「主は、あなたたちのゆえにわたしに向かって憤り、(わたしの)祈りを聞こうとされなかった」と、グチっている。

さりながら、

申命記もおわりにおいて、そのグチはなりをひそめ、いささか違った、というか、ほとんど正反対のトーンをもって、モーセは自らの人生の終焉を、語っている。

曰く、「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、誰も彼が葬られた場所を知らない」、と。

さらには、

「モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった」、と。

モーセは知っていた。

モアブの平野からネボ山、すなわちピスガの山頂に、ひとり登り、ヨルダンの向こう側を――乳と蜜の流れる佳美(うるわ)しい土地を――、そのかすむことのなかった眼をもって、一眸のもとに収めた時に、はっきりと悟ったのである。

もはや、自分の生きるべき世界はそこになく、自分の死ぬべき場所もまた、ヨルダンの向こう側などには、ありはしないのだ、と。

モーセは知っていた。

イスラエルの民とは、まことにまことに、心のかたくなな民であった。40年に及んだ荒野の旅路において、その本性をあますところなく、さらけだされたように、すなわち「神を忘れ、神を捨て、神を侮り、神に逆らい、神を離れて、他の神々へ心を寄せ・・・」という歴史を、性懲りもなく、「ヨルダンの向こう側」においても、繰り返しつづけるであろうと。

モーセは、そんな民の姿をば、嫌というほど、荒野の中で見てきた。ほかならぬ自分の身をもって、嘆きと呻きと哀歌をば、味わってきた。そして、そんな、まつろわぬ民の象徴たる自分の本性もまた、苦しい旅の中で、見せつけられてきた。

モーセは知っていた。

「ヨルダンの向こう側」に渡っていったからといって、そんなイスラエルの民の姿は、決して変わらない。乳と蜜の流れる地に安住を得たからといって、人間はふたたび、同じことを繰り返す。主なる神のその口より、モーセはそんな来るべき未来の様相を、語り聞かされている。

モーセは知っていた。

そんな、堕落と反逆の民をば、神はけっして、そのまま放っておかれはしない。乳と蜜の流れる大地は、涙と血が流れる亡国となりかわり、世にも恐ろしき神の裁きによって、まつろわぬイスラエル王国は、かつて自分たちが逃れ出たエジプトのように、災いをくだされ、必ずや、滅ぼし尽くされることになる、と。

それゆえに、モーセは思った。

もしもそれが、なんぴとたりとも、けっして逃れられないような、哀しき、悩ましき、憐れましき人間の宿命であるとするならば、そんな人間のための救いとは、いったい何であろうか、と。

エジプトの圧政によって、奴隷として苦しめられていた軛から解き放たれ、ふたつに割られた紅海の底を歩き、海の向こう側まで導かれた時、すべての民の目にも、モーセの目にも、「薔薇色の未来」が見えていた。乳と蜜の流れる大地において、これから未来永劫、「満ち足りた、幸せな人生」がくりかえされるに違いない、――そんなふうに信じて疑わなかった。

ところが、実際は、そうならなかった。

葦の海を渡った民とモーセを待ち受けていたものとは、食べるにも飲むにも事欠ける、過酷な、危険な、はてしがないような、荒野の旅だった。

民は、当たり前のように、不平不満をつのらせた。ほとんどすべての民が、神を疑い、恨み、憎みさえした。なんどとなく、「エジプトの方が良かった。たとえ奴隷の身分でも食い物もあり、飲むものもあった。こんな荒野の旅路よりも、ずっと、明日を思い煩わずに済んだのだ」というような文句を言い連ねては、エジプトへ引き返そうとまでした。

神は、そんな民にむかって、当然のように、怒りをあらわにした。情け容赦なく、裁きを行った。すなわち、エジプトにしたような病や災いをくだして、神の主であることを、見せつけた。

しかしモーセは、そんな荒野の旅をふりかえって、こう言った。「あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった…」、と。

また、

「この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった」、と。

が、モーセのその言葉に、あるいは、主なる神のその言葉に、心から同意したイスラエルの民など、おそらくは、誰もいなかった。もしかしたら、ヨシュアやカレブのような例外はあったかもしれないが…。さりながら、たとえそれの「真実」であったとしても、この二つの言葉が、どれほど「事実」に即していただろうかと思い起こした時、イスラエルの民が心から同意しなかったことは、まったくやむを得ず、けっして一言のもとに非難されるべき態度だったとも、思われない。

がしかし、それでもモーセは、「四十年の荒れ野の旅路において、主が、人間の手の業をすべて祝福し、まとう着物は古びず、足がはれることもなかった」というこの「真実の言葉」を、諄々と、粛々と、正々堂々と、なんぴとにも揺るがしえない確信に満ちみちた心をもって、述べている。

なぜか。

モーセは知っていた。

乳と蜜の流れる地であろうが、荒れ野であろうが、あるいはエジプトであろうが、どこであろうが、――この地上に、ほんとうの「約束の地」など、ありはしない。

それのどこであろうと、この太陽の下にくりかえされるものとは、「御怒りによって消え去り」、「ため息のように消え失せる(詩90篇)」、わずか70年か80年あまりの、労苦と災いに満ちあふれた、人の生涯ばかりである。すなわち、その人間がこの地上のどこにいて、何をしていようとも、すべて、すべて、すべて、それは「荒野の旅」なのだ、と。

それでは、そんなたった100年にも及ばないような、憐れましき人間の「旅」にとって、いったい何が、「救い」なのであろうか?

ピスガ山の頂で、いまだ悩みの去り切らないモーセを包みこんだものとは、世にも不思議な恍惚感だった。

その時、モーセは、すべてを悟った。

まだ乳飲み児だった自分が、パピルスの籠の中に入れられ、ナイル河の葦の茂みの中に置かれた時のことを、――エジプトを逃れ、ホレブの山で燃えあがる柴の間から、神に語りかけられた時のことを、――ふたつに割れた紅海の底を渡り、数多の民とともに、ふたたびエジプトを逃れた時のことを、――物々しい煙に包まれたシナイ山に登って、聖なる戒めを授かった時のことを、――荒野を行く民の中心に張られた幕屋の中で、顔と顔を合わせて、神から語られた、その「真実の言葉」のひとつひとつを、――すべて、すべて、すべて、悟ったのである。

自分が生まれ、生かされ、いまなお死にきれずに、ピスガ山の頂にあって座っている――この瞬間に至るまでの、すべての思い出こそが、実は「約束の地」であったのだ、と。

考えてみれば、当たり前だった。

主なる神は、昼は煙の柱となり、夜は火の柱となって、そんなふうにいつもいつでも、一緒にいてくれた、――いつもいつでも、神の御声を聞き、その御声に聞き従った、――いつもいつでも、神の右の手に守られていた、そんな旅路こそが――、

辛く、苦しく、終わりも見えず、希望も見い出せず、信じることも、愛することも、従うこともできなかった時にあっても、そんな時こそ、いつもいつでも、神によって守られ、導かれ、恵まれていた、苦難の旅路こそが――、

いつもいつでも、主なる神は自分のかたわらにいて、そばにいて、共にいてくれた、そんな旅それ自体が、「約束の地」にほかならなかった、と。

それゆえに、40年の苦しき旅は、いや120年の悩ましき人生は、最高に楽しき旅であり、最高に生きがいのある人生だった、――そんな生涯の、ひとつひとつの日々こそが、「永遠の命」だったのだ、と。

だから、自分は、「ヨルダンの向こう側」など、このかすむことのない両眼をもって、ただ眺めるだけで、十分である。

そこは、「約束の地」であっても、「真の約束の地」なんかではありはしない。

自分にとっての「真の約束の地」とは、主なる神と、顔と顔を合わせて過ごした人生である。

なぜとならば、いつもいつでも共に居てくれる、インマヌエルの神、イエス・キリストと顔と顔を合わせて、語り合うことこそが、「永遠の命」に、ほかならないのだから。

だからモーセは、「やっぱり、お前もヨルダンの向こう側へ、行かせてやろうか?」という、イエスの申し出を、きっぱりと断った。

それゆえに、モーセはモアブの谷に葬られたが、葬ったのはイエスであって、人ではなかった。

それゆえに、今日に至るまで、モーセの葬られた場所は、「誰も知らない」のだ。

モーセが葬られたのは、ほんとうの、「真の約束の地」であり、真実の「永遠の命」の中にこそ、モーセは葬られたからである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?