『あん』 リバタリアンの映画評 #7

最低賃金が奪うもの

マクロン仏大統領は、燃料税引き上げ方針をきっかけに反政府デモが全土に広がったことを踏まえ、来年1月から最低賃金を月額100ユーロ(約1万3000円)引き上げるなどの対策を発表しました。

最低賃金を引き上げると企業が新たな雇用に慎重になり、若者など職のない人から就労のチャンスを奪うことは経済学のイロハです。にもかかわらず、労働者にやさしい政策だと誤解している人が日本でも少なくありません。

最低賃金という親切の押し売りは、人々から働く機会を奪います。就労が収入を得る手段以上の何かである場合、生きる意味さえ奪いかねません。『あん』(河瀬直美監督)を観ると、あらためてそう感じます。

どら焼き屋の雇われ店長、千太郎(永瀬正敏)の店に、徳江(樹木希林)という高齢の女性が働きたいとやって来ます。徳江が作る粒あんが評判となり、店は大繁盛。ところがある日、かつて徳江がハンセン病を患っていたことが近所に知られ、楽しい日々は終わりを告げます。

徳江から最初に雇ってほしいと頼まれたとき、千太郎は「いまどき時給600円しか出せないから」と断ろうとします。しかし徳江は300円、200円でもいいからと食い下がり、千太郎は熱意にほだされて採用を決めます。

おかげで徳江は短い間ですが、充実した日々を送ることができました。もし時給1000円の最低賃金が課されていたら、千太郎は徳江を雇うことができず、徳江は施設で満たされない思いを抱えたままだったでしょう。

千太郎自身、人にけがをさせ、重い障害を負わせた過去を背負います。その千太郎に徳江は「私たちには生きる意味がある」と言い残し、人生に希望を与えます。それも千太郎が雇うことを通じて徳江に出会えたからです。

最低賃金という心ない制度が、仕事を通じた人と人との出会いを世界中でこれ以上奪わないよう、願うばかりです。
(Netflix)


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