『デス・ウィッシュ』 リバタリアンの映画評 #10

銃規制への問い

米国で銃乱射事件が起こるたびに、銃規制の声が高まります。昨年2月、フロリダ州パークランドの高校で17人が死亡する銃乱射事件が起こり、3月に米各地で一斉に銃規制強化を訴える抗議デモが行われたのは記憶に新しいところです。

まさにその3月、銃規制の議論に一石を投じる形となった映画が米国で封切られました。『デス・ウィッシュ』 (イーライ・ロス監督)です。

銃犯罪が多発するシカゴ。外科医のポール・カージー(ブルース・ウィリス)は、撃たれて運び込まれる負傷者の治療に日々忙殺されます。ある日、家を留守にした間に何者かに妻を殺され、娘は昏睡状態に。警察の捜査が進まないことに業を煮やしたポールは、自ら銃を手に入れ、犯人を捜し出して抹殺することを決意します。

銃規制を支持する人なら、銃の使用は警察に任せればいいと言うでしょう。けれども現実はそう簡単ではありません。作中で何人かの人物が口にするとおり、警察は呼んでもすぐには来てくれません。撃たれた後に駆けつけてくれても手遅れです。

しかも、お役所仕事の警察は、ポールをいら立たせたように、犯人を捕まえるにも時間がかかりすぎます。捕まえられればいいほうで、事件を解決できない場合も少なくありません。映画では警察の壁のボードに未解決事件のカードがびっしり貼られ、「もっと大きなボードを!」というメモ。

規制しないと銃犯罪が増えると心配になるかもしれません。ですが経済学者ジョン・ロットの研究によれば、市民に銃の携行を認めるほど、凶悪犯罪は減るといいます。犯罪者が反撃を恐れるためです。

米国での公開時、高校銃乱射事件の直後だったため批判もありました。ロス監督は「もし自分の家族がカージー家のような目に遭ったらどうしますか、という主題にこだわりたかった」と語ったそうです。この問いは軽くありません。
(東京・新文芸坐)


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