『search/サーチ』 リバタリアンの映画評 #2

ネット社会は悪くない

インターネットの普及した、いわゆるネット社会は、しばしば批判の槍玉に上がります。ネットで他人の暮らしを見て劣等感を抱いたり、ネットでのつながりの薄さに孤独を感じたりするからよくないというのです。けれども人間心理のそうした側面は、ネット社会以前からある話でしょう。むしろ私たちは、ネット社会のありがたみをもっと噛みしめるべきです。

『search/サーチ』(アニーシュ・チャガンティ監督)の主人公、デビッド・キム(ジョン・チョー)は3年前に妻を亡くし、高校生の娘と二人暮らし。ある日、娘が忽然と姿を消し、行方不明事件として捜査が始まります。残されたパソコンから娘が利用していた交流サイト(SNS)にアクセスを試み、懸命に手がかりを探るデビッド。やがて事件は思わぬ展開に向かいます。

デビッドがSNSの調査を進めるうち、娘には本当に親しい友人がいないことが明らかになったり、行方不明事件がマスコミで話題になったとたん、冷淡だった同級生たちがにわかに親友ぶったりと、ありがちなエピソードが語られます。しかしこの映画はそこで安易なネット社会批判に走ったりしません。絶望しかけるデビッドに希望をもたらすのは、警察の捜索(search)という行政サービスではなく、グーグルの検索(search)サービスです。

最近、巨大ネット企業を政府が規制すべきだという意見が強まっています。けれどもいくら巨大でも、市場競争にさらされる民間企業である限り、利用者にそっぽを向かれればそれまで。劣悪なサービスでも国民に押しつける政府のほうが、よほど厄介で危険な存在です。27歳のインド系米国人で、ユーチューブに公開した短編映画で頭角を現したというネット時代の申し子チャガンティ監督は、その道理を理解しています。

(東京・TOHOシネマズ日本橋)


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