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教科書を生きて、作る

「あの時はお出かけできないからとにかく家でいろんな料理を作ったり、美味しい高級グルメをお取り寄せしたり、ひたすら映画を見たり本を読んだり、家の周りをお散歩したり、それでも時間を持て余して暇だったわ。首相や知事が外出しないでって呼びかけても、街には人がいっぱいで、そういう私もせめてクリスマスやお正月は家で贅沢したいから何度も買い物に出かけたわ。ぶっちゃけ私は感染しても死なないだろうと鷹を括っていたけど、年末の高島屋が60代、70代のおばあさんで溢れていてギョッとしたのを覚えているの。

Rちゃんも知ってるでしょ、私のお友達のSさんやNさん、コロナの患者さんにも接していたのよ。毎日感染者がどんどん増えて、コロナの人は感染防止のために家族にも会えず死に際の処置も十分できないらしくて、医療従事者の人がすごく疲弊しているって噂だった。

コロナ対策の初期がひと段落したくらいで安倍首相が病気で倒れて、菅首相に代わったけど、科学と経済の狭間で悪戦苦闘してたわね。科学的には外出禁止にしたら感染拡大が防げるとわかってたけど、そうすると経済的に死んじゃう人がいっぱい出るからね。実際秋頃から赤坂や銀座で閉店します、と掲げたお店がいっぱい増えた。そりゃああんなとこ、賃料払えないわ。開けてるお店も密を避けるために席を間引きするところがほとんどだったから、お料理の値上げが増えたりね。普通に気兼ねなくどこにでも行けるようになったのは2、3年経ってからだったわ。Rちゃんには想像つかないだろうけど」
 
こんな昔話を、多分私が70歳くらいになった時に孫のRちゃんにする。私が祖母からこんな話を聞いたように。

「昔は田舎で日が昇る前から起きて、よもぎ摘んだり牛の世話したり、牛舎いっぱいに牛がいたからね。7人兄弟で仕事分担して。朝の仕事が終わったらお母さんが朝ご飯用意してくれるけど、7人で取り合いよ。香川の田舎は戦争でもあまり関係なかったから食べ物も豊かで何不自由なかった」
 

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私が45歳くらいになった時には、娘のKちゃんにこんな話をする。

「社会の教科書に『2020年新型コロナウイルスの流行』って書いてあるやろ、あれ私が28歳の時やってん。皆取り憑かれたようにマスクして、どこに行ってもアルコール消毒させられて、お出かけもできないし大変やったよ。マスクするから蒸れて顔が荒れて、アルコール消毒で手が荒れて。

とにかくあらゆる業界に大きな影響があったけど、良い影響も悪い影響もあった。Kちゃん、どういうところは良い影響があったと思う? 例えばマスクを作る会社は売上爆増よ。パーテーションとか体温計を作るところは、たった数ヶ月で生産体制を何十倍にしたりして、メーカーの本気ってすごいなと思った。

逆に悪い影響は、こちらの方が多かったけど、まず医療が大変なことになった。これは教科書にも書いてたでしょう。あと皆が旅行しないから、観光業は丸潰れ。外食も減ったから、レストランで使う野菜やお肉、魚の量が減って、スーパーの野菜がアホみたいに安くなったりした。立派なリンゴが77円やったの忘れられへんわ。切ってみたら蜜たっぷりで、あれは美味しかった」

私は母から震災の記憶を聞いた。

「あの時は堺でもすごい揺れてね、まりちゃん2歳、龍くん0歳でもう皆死ぬかなと思った。しばらくしてテレビつけたら阪神高速倒れてるし。神戸のおばあちゃんの家は食器棚が倒れて、あちこちにヒビが入って大変やった。まりちゃんも知ってるでしょう、リビングの床がいまだに歪んでる。おじさんの住んでる新長田は火災で全滅、更地から再開発されたから、たくさんタワマンが建ってるのよ。でも幸いなことに家族は皆無事だった」

神戸で被災した祖母の教えを受け、私は少しでも揺れたらドアを開け、お風呂に水を張る。非常用持ち出しリュックを枕元と玄関に置いている。
 
第二次世界大戦も、阪神淡路大震災も、勉強で得た知識と家族の語りが混ざり合って私の頭の中に入っている。 悲劇の記憶は本になり、番組になり、映画になり、教科書になる。その横で戦時中も食料に困らず、神戸で被災しても親戚一同死ななかった人のサイドストーリーが語り継がれる。

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コロナ禍は間違いなく教科書に載る。その時私たちはどんなサイドストーリーを伝える? 
ただの生活の物語だけでなく、こんな話を語れたらおもしろくないかな。
 
・オンライン診療が普及した
・受診控えでセルフメディケーションが定着した
さらに
・通勤と出張がなくなって短時間で高い成果が出せるようになった
・男性も女性も家事と仕事を半々ずつするのが当たり前になった
・中小企業が淘汰されて高品質なアウトプットを出せる企業が生き残った
・クラウドファンディングが普及して、日本にも寄付文化が根付いた

2020年の個人的ホットトピックスはオンライン診療、緊急避妊薬のスイッチOTC化(薬局で買えるようにすること)、選択的夫婦別姓だった。いずれも実現するかな、実現するかな、というところで頭固いおじさんの抵抗で未達となっているもの。実現させるには世論(と頭固いおじさんを納得させる戦略)が必要。個人の声はNPO法人や署名活動等が拾い、企業も活発に動いている。

仕事は社会を作ること。数十年後にサイドストーリーを語り継ぐために。

《終わり》


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