ロミジュリ前楽観劇5/22
ずっと ずっと ずっと 想い続けてた舞台
チケットを取ったのに コロナでキャンセルになり
嘆いていたところに 舞い降りた1枚のチケット
「観劇できる」喜びを こんなに感じることは二度とないだろう
無観客ライブ配信の日、引きのアングルで空っぽの劇場が映り、皆血の気が引いたはず。
演者はどんな気持ちで舞台に立っているのか……。いくら想像しても彼女らの気持ちはわからない。それでも、何も感じさせないほど素晴らしい舞台を見せてくれた。ヴェローナの熱が、ロミオとジュリエットの愛が、画面越しに伝わった。カメラは素晴らしいアングルで、オペラでは追えないロミジュリを見せてくれた。音響も素晴らしく、ライブ配信を実現させてくれる配信会社の方々には感謝、感謝。
しかし、フィナーレで挨拶を終えた礼さんが手を振りながら劇場を見渡した時、その笑顔がいびつに歪んだ。客席には誰もいない。空っぽの劇場ににこやかに手を振る、そんな辛いことがあるだろうか。その姿に涙が溢れた。悪いのはコロナだけれども、誰にも、彼女らに悲しい顔をさせる権利はない。
ずっと前からロミジュリが好きで、いつか礼さんがトップになったら絶対やるだろうと思い続け、トップ就任に喜び、いつか、いつか、と心の中で期待し続け、ロミジュリが発表になった時は喜びに声をあげ、宝塚の配信を全部見て、やっとの思いで東京のB日程、A日程のチケットを1枚ずつ手に入れ歓喜に舞い上がっていたところ、緊急事態宣言で公演中止。両方ともチケットが払い戻しになってしまった。私はお金を払いたかった。劇場でのクラスター発生なんて1つも報道されていないのに、なんと非情な。でも辛いのは私より、彼女たち。仕事がないことほど辛いことはない。
公演再開が決まり、幸運なことにチケットをお譲りいただけることになった。それがこの日、前楽。1回きりの観劇。満を辞して完璧な状態で臨まねば、ということでモンタギューの一員になるべく、青のワンピース、青のパンプス、青のアイシャドウ、青のハンカチ、星組のワンポイント(青)が入ったマスクで劇場へ足を運んだ。
5回の配信より、1回の生観劇。
愛がしなやかに舞い、「古今東西……」と英真なおきさんのナレーションが始まる。ヴェローナの街が浮かび上がる。あぁ、これが私が見たかった世界。配信でスターアングルを堪能できたから、アンサンブルをじっくり見れる。横ですごいリフトしてる。憎しみに顔が歪んでいる。
前楽ということもあり、拍手のタイミングと量が完璧で、ものすごく客席が暖かかった。こんなに暖かいものなのかと、観客の暖かさに涙が浮かんだ。
世界の王は手拍子も相まって「朝から夜まで生きてる時間を今感じ愛し合いたい」と劇場の全員が思っていた。
マブの女王では死がとことこ、ひたひた、ただ歩いていた。死はいつも私たちの側にいる。
僕は怖いでは死がロミオを操っている。
ティボルトは大人たちの手先になんかなりたくなかった。プリンセスを助ける王子様になるはずだったのに、何で剣を握っているんだろう? 突き詰めた理由なんてわからない。生まれた時から敵は憎むものだった。敵を見ると無条件で拳を突き上げてしまう。
マーキューシオはティボルトと対の存在だった。争いが無意味だと分かりながらも、この世界で生きていくしかない。マーキューシオは諦めて、飄々と楽しんでいる。でもティボルトは、そこまで器用じゃなくて、その不安定さと棘の立ち方がマーキューシオは許せず、腹立たしい。決闘の場面、マーキューシオをオペラでロックして追い続けたら、ずっとティボルトだけを睨んでいた。許せない存在。そういう人って、いる。
ロミオがジュリエットと結婚するとかいうヴェローナの歴史を無視した行動を目の当たりにして、若者たちは混乱し、いら立ち、許せない存在に対して牙を剥く。今ミャンマーなり、ガザなり、リアルの世界で起こっていることは一緒だろう。歴史を無視した平和はありえない。混乱のきっかけがあると、人は暴力に走り人を殺す。そして死がぱくぱくと魂を食べる。
そんな世界で綺城パリスがでかくてwwキラキラでww生で観たらキラキラ具合が度を越しててwwいや、めちゃくちゃ真面目に演じてるのに笑うしかなくて、「気取り屋の間抜け」を完全に体現してて一周回ってすごかったです。仮面舞踏会でティボルトとでかい2人がやりあっててインパクトも大でした。
仮面舞踏会はティボルト率いる群舞が、生で見ると圧巻でめちゃくちゃカッコいい。ロミジュリは音楽が本当に素晴らしい。そこに付いてる振付がまた素晴らしい。群舞はやはり規模的に宝塚が最高。
仮面舞踏会も配信でスターアングルを堪能したおかげで、アンサンブルをじっくり見ることができて、バトントワリングも全部見れて、周りを固める演者がいるから主要人物たちが生きることを実感した。ベンヴォーリオ、女の子のスカートめくってた。
そして、有沙さんの乳母にウルウルしてたらあっという間にエメが来てしまった。え、もう一幕終わるの?! と本気でびっくりした。
私は、自分の結婚式で「エメ」のお菓子を作ってもらった人間です。名前は後付けだったのだけれども、エメの場面を引きで見ると、完全にお菓子の「エメ」で、あの名前にしてよかった、と心の中にすとんと落ちた。
銘 エメ
製 京菓子司 金谷正廣
幕間に東京宝塚劇場リニューアル20周年の星組特集コーナーを見た。私が初めて宝塚を観劇したのは柚希さんの「ノバ・ボサ・ノバ」で、何かわからんけどすごいものを見た!! という印象だけ持っていた(今日ポスターを見て、あの時「めぐりあいは再び」を見ていたことを知った……こちらは全然記憶にない……)。友達と一緒に見にいった「こうもり」や大好きな紅さんの「スカーレット・ピンパーネル」、オンデマンド配信で見て色気溢れすぎてて目が釘付けになった安蘭さんの「エル・アルコン」、やはり私は星組が好きだー。
柱にもたれかかりながら周りを見ていると、やはり私と同じように青一色や、逆に赤一色の人もいる。こうやっておめかししてお出かけする日は、必要。心がじわじわと死んでしまう。死が魂を食べにきてしまう。
ロミオは「愛がある限り生き続ける」と言った。ヴェローナを追放になりジュリエットと離れることは、愛がなくなることであり、死を意味する。では、私たちは? 愛がなくなった時、果たして生きる意味があるか。生きている間、他人を愛することができているか。
ジュリエットは、神を全然信じていない。道は自分で切り開くものであり、たとえ親だったとしても自分の意志と異なる指示には従わない。
2人の母は、両家の融和を提案する。この提案は、きっと父からは出て来なかっただろう。
物語を、社会を動かすのは女性。
ロミオが、礼真琴さんがあまりにも完璧で、ロミオの役を深めるだけでなく周りの芝居を引き出していて、歌はいつどこで聴いても全くブレなく耳に真っ直ぐ入ってきて、これ以上のロミジュリ、ヴェローナの街は現れないだろう。また何年も再演されることはないだろうと予想している。そんなロミジュリの世界が、なんと明日の千秋楽で終わってしまう。どうしよう、明日が来るのが怖い、何かが終わってしまう、終わりが近づいている、僕は怖い。
でも、何事にも常に影が忍び寄っているのだった。気づかない時もあるけれども、それは盲目になっているだけで、幸せな時も死は側にいる。だからこそ、生きている時間を十分に感じて、味わって、心動かさないと! ベンヴォーリオは1人生き残されても、生き続けるしかない。私たちも、死に魂をぱくぱくと食べられる日が来るまで生き続けるしかない。
いくつになっても、愛とか、死とか、生きる意味とか、ずっと考え続けたい。
大きなきっかけをくれるロミジュリが、大好きです。
《終わり》
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