【押川剛;50歳からのキャンパスライフ】4 コミュニケーションを「捨てた」若い世代

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シンガポールで活躍するジャーナリストのIさんは、現地でその名を知らない人がいないほど著名な人だ。移送を始めた初期の頃に取材してもらった縁で知りあい、最近になって再び、「私の仕事の集大成として押川さんを撮りたい!」と言ってくれて、密着取材を受けた。以前にも増してパワーアップしていた!

Iさんは、日本なら要職に就いてデスクでゆっくり仕事をするか、リタイアしていてもおかしくない年齢だが、未だ現役で世界中を駆け回っている。とにかく思考のスピードが速く、思ったことをそのまま口にし、パンパンと物事を進めていくのだが、嫌味がない。Iさんの密着取材を終えたとき、俺は疲労困憊していたが、それはスポーツをしたあとのような心地よい疲れだった。

Iさんは別れ際、「私には、まだまだ乗り越えなきゃいけないことがあるの。でも私は乗り越えられるよ!」と元気よく話していた。なんというか、心身ともに健全な人である。もちろん人間だから、病気やけがをすることもあれば、トラブルやアクシデントに巻き込まれることもあるだろう。しかしIさんなら、そんなアクシデントに遭っても「最悪」の状況には陥らないだろうと思えた。

その秘訣を尋ねると、Iさんはきっぱりと言った。

「“人間”として生きることよ」

シンプルすぎる答えだが本質を突いている。Iさんは重ねて言った。

「世界ではそういう教育が主流になっているわよ。未だに男だの女だの言ってるの、先進国で日本だけじゃない?」

コミュニケーションを「捨てた」若い世代

今はさまざまな分野で平等が謳われている。まだまだ格差があるとはいえ、男と女、障害の有無、LGBTなど、区別差別なく平等に生きるということは、きつい言い方かもしれないが「自分は●●だから」という言い訳がきかないことでもあり、究極のところ、「人間として生きてくださいね」ということなのだと思う。

長く日本の安心を支えてきた「中間層」「総中流」のシステムは、もう崩壊を目の前にしている。戦後の焼け野原であれば、何をしてでも食っていくことはできたが、これだけモノがあふれる時代において、お金を稼ぐことはどんどん厳しくなる。突出したアイデアなのか、問題解決なのか、はたまた研ぎ澄まされたサービスなのか。いずれにしても、人が手がけることであり、人間力がものをいう。

いっぽうで、大学に通うようになってつくづく思うのは、

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