見出し画像

「孤独」の考察 ~小田急線刺傷事件「自分だけが不幸」の意味するところ

「孤独」とは、永遠に“一人で”考えつづけること

新型コロナウイルスが世界に蔓延し、各国でロックダウンやステイホームが実施されはじめた頃、ある尊敬する方と「孤独」について話をした。その方曰く、「コロナが収束しても次のウイルスが出てくる。自然災害もある。それらの危機を回避するためには、安全な場所を選んで、人と接することなく孤独に生きていくしかない」。だけど、とその方は続けた。「孤独に耐えられるのは、本当の意味で“一人でいる”ことができる人だけ」

それは究極を言えば、本を読んで思索する、ゼロイチでアイデアを生み出す、絵を描くなど物づくりを楽しむ……等、“一人で考える”ことを、24時間365日できるか、ということであった。私が「楽器の演奏はどうですか」と尋ねると、「楽器の演奏はダメね、人を集めたくなるから」とおっしゃっていた。たしかに今夏も、音楽フェスの開催について賛否両論が巻き起こっている。その良し悪しはともかく、「音楽は人を集めたくなる」というのは本質を突いている。

日本では、コロナ禍になる前までは「孤独」について、ポジティブに捉える向きもあった。家庭や地域において人と濃密に関わり合う機会が減り、「人付き合いをして無理が生じるくらいなら、孤独でもいいじゃないか」という論調があった。日本が「ひきこもり」にある種の寛容さをみせるのも、その風土があってこそだろう。

ここから先は

2,961字 / 1画像

¥ 380

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?