【押川剛;50歳からのキャンパスライフ】2 今の若い人は大学で「金の稼ぎ方」を教わっている

初回の英語の講義に出席した。入学後に英語のクラス分けテストがあったのだが、お約束通り俺は最下位の「H」クラスだった(笑)。講義が早く終わったので生協に教科書を買いに行くと、同じHクラスにいた兄ちゃんと姉ちゃんが、GWの旅行申し込みをしていた。生協のおばちゃんに「ダブルベッドで」と伝えるのを聞いて、「さすがHクラスだな」と思った。

法学部のゼミでは3人の男子学生と友達になった。みんな18歳だ。フレッシュだ。

さて、俺が学生だった頃とは大きく違うなと驚いたのは、講義で「金の稼ぎ方」をダイレクトに教えていることだ。講義の内容と、そこから俺が考えたことをつらつらと書いてみたい。

組織や会社に所属しても、もうお金はもらえない

下の写真は、一般教養科目のメディア関連の講義の一コマ。

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某地方メディアの社員が講師を務める講義とあって、講堂は学生で一杯だった。講師が切々と説いていたのは、「従来通りの仕事(たとえばメディアであれば、取材して記事を書く、番組を作るというような)だけをしていても、もう給料はもらえませんよ」ということだ。とくにメディアは、ネットの発達で文字も動画も音もタダになり、いよいよ危機的状況にあるらしい。

そこで出てくるのが、上記の写真である。

・誰を集めるために
・どんな情報を発信し
・だれからお金をもらうか

パワポには「使命」とあるが、ようは「仕事」の話をしている。今や「仕事をする(お金を稼ぐ)=アイデアを出す」であり、そのために上記の三つから考えよう、ということなのだ。そしてまず、三つの中で何を一番に考えるべきか?というと、「だれからお金をもらうか」なのだそうだ。

講師に指された女子学生が、パパッと事業のアイデアを出した。それこそすぐにスポンサーが付きそうな、すごく良いアイデアだった。俺も素直に「すごいな!」と思った。講師が目を光らせていたので、「簡単にアイデアを発表しちゃって、パクられちゃうんじゃないの!」と心配にもなった(笑)。彼女曰く、高校のときから、このような「ビジネスを考える」授業があったそうだ。

少し前に、大手企業の重役と話した際、「最近の新入社員は言うことを聞かない」「コミュニケーションがとれない」と嘆いていた。そのときは「ゆとり教育の弊害かな」と思って聞いていたのだが、こうして大学の授業を受けてみると、その理由がよく分かる。

今どきの若い人は、「個々の力で金を稼ぎなさい」という指導を、早ければ高校のときから受けているのだ。この講義に限らず、「会社に行けば給料をもらえる時代は終わった」「文系理系問わず研究職を目指しても食えない」等々、教授たちが口を酸っぱくして言う。

そんな講義を受けてきた学生たちが、社会人になるのだ。会社という看板や肩書きに依存してルーティンワークをこなしているようなおじさん、おばさんの言うことなんて、真面目に聞く気が起きないのは当然かもしれない。

一億総プロ野球選手になれ!

俺は大学を中退して事業を興して以来、名前が肩書、つまり「押川剛という名前に就職しました!」というスタンスでやってきた。バブル絶頂の頃は、大きな企業や組織に属する同世代から蔑んで見られることも多く、不安を煽られもした。

だから、個々の能力でジャッジされる時代がやってくることについては、「いい時代が来たなあ~」とワクワクする。しかし会社の看板にしがみつき、個人としては、ろくすっぽ頭を働かせてこなかったサラリーマンたちはどうなるのか。けっこうシビアな話である。

ここ数年、政府は「働き方改革」と銘打ち、労働時間の削減や副業の解禁、家事や子育てと両立可能な就業・再就職支援などを次々に打ち出してきた。耳に心地いい話ばかりであるが、この本質は、「もう会社が面倒を見る時代は終わりましたよ」という警告なのである。

これからは、「みんなプロ野球選手になれ!」と言われているようなものである。プロ野球選手はチームに所属しているが、日々の体調管理に始まりトレーニングから試合本番で結果を出すこと、先々どうキャリアを積むかという戦略的なことまで、すべて「自分」に任されている。

選手でいられる期間は短く、現役中からセカンドキャリアについても考えておかなければならない。どんなに豊かな能力があっても、怪我をして選手生命が断たれることもある。チームには所属しているが、あくまでも軒先を借りての商売であり、金を稼げるか否かは、才能や努力、運も含めた能力しだいになる。

夢がある反面、リスクもある仕事。才能がある限られた人の生き方……そんな風に思っている人が多いだろうが、これからは、多くの人がプロ野球選手のような生き方をせざるを得なくなる。組織や会社に所属したからお金をもらえるのではなく、自分のアイデアや行動力でスポンサーを見つけ、事業を形にする。そこから給料が発生する。

業績を挙げている大起業は今よりいっそう狭き門となり、本当に才能のある人間しか所属できなくなる。現にシリコンバレーにある世界的な巨大企業は、そうなっている。

このような風潮を察してか、学生の中には、手堅く公務員を狙う子も多い様子だ。しかし今の時代、公務員ほど危機管理・コンプライアンス縛りの厳しい業界もないだろう。日本の経済状況が悪化すれば、行政しか頼るところがなくなり、クレーマー的な市民もますます増えるはずだ。公務員こそ、人間力が問われる仕事になる。

ちょうど、東京大学の入学式で上野千鶴子氏が述べた祝辞が話題になっていた。全文は東京大学のHPに掲載されているが、最後の一文を抜粋する。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

これを読んだだけでも、未来に待ち受ける厳しさが分かる。「東大生だから」こんなにハードルの高いことを言われるのではない。「東大生であっても」それだけ厳しい未来が待っているということだ。俺は東大生ではなく北九大生だが、学生として、一人の大人として、上野氏の言葉を重く受け止めた。

ホリエモンを筆頭に、「AIやロボットが進化したら、人間が働かなくてよくなる」「ベーシックインカムが現実化し、労働時間が減って自由な時間が増える」と楽観的な人もいる。たしかに、ゆくゆくはお金の価値が変わり、お金そのものがなくなる日もくるのだろう。しかしそうなるまでに少なくとも10年、20年はかかるだろうし、だいたいそうなるには人口が多すぎる。淘汰のようなことが起こりうるのではないかと、俺は危惧している。

自由な発想と大胆な行動力で、社会を飄々と生き抜く若者がいる一方で、社会にコミットできず不安が募り、心を病む若者も増える。それは大人も同じだ。過去の成功例や経験に固執し、新しい考え方・働き方ができない大人たちは、社会からも若者からも切って捨てられるだけである。50歳からのキャンパスライフは、さすがに脳みそ、心身ともにピリリと引きしまる。

Hクラスのカップルちゃんも、GWに旅行に行っている場合じゃないのである。

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