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テレビのある時代の終わり

「タモリ倶楽部」が3月いっぱいで終わるらしい。
そのニュースを聞いて「あ〜これであの時代のテレビが本当に終わるんだな」と思った。
2014年3月「笑っていいとも!」の最終回を見ながら「テレビの終わりの始まりが始まった」と思ったのだが、その”終わり”が終わった。
つまりあの時代のテレビはこの3月「タモリ倶楽部」終了とともに完全に終わるのだ。

誤解してほしくないのは『テレビが終わる』と言っているのではなく『“あの時代の”テレビが終わる』と言っている。つまりテレビが完全に新時代に入る。もうとっくに2000年前後から徐々にテレビは変質してきたのだが、それが完全に前の時代のテレビがなくなった、という気がするのだ。
そしてもう一つ誤解して欲しくないのは「昔は良かった」と過去を懐かしみ今を嘆くつもりもないこと言うことだ。

いや過去は懐かしみたいのか。そりゃそうか。

ここまでのテレビの僕が思う中心的な概念は『牧歌的』だ。
とにかく面白いことがしたいよ、と言うことでテレビが作られてきた時代。
今年で70年になるテレビ放送。最初は映画、ラジオの後発で訳もわからずやってきたのだが高度経済成長と相まってCMの価格も上がり制作費にもお金がかけられるようになってある意味”いけいけドンドン”になっていった。僕たちの少し先輩はそこで自由に新しい表現を試していった。深夜で11PM のようなサブカルチャーの担い手であった時代もあるし、24時間テレビとかアメリカ横断クイズ、さらには『THE MANZAI』新しい価値観も生み出していった。その中で「タモリ倶楽部」は生まれたしその時代のテレビの匂いを確実に残していた番組だった。
水着や下着のお尻を振るオープニングはそれを明らかにしていた。毎週それを変わりなく放送することで「この番組はあの時代のテレビですよ」と刻み続けた。言うまでもなく今あのオープニングで新番組を始めることはあり得ないし多分社内でも「あのオープニングはいかがなものか?」と言ったりする人がこの20年の間に何人かいただろう。しかし番組の作り手(タモリさんも含めて)は敢然とそれを拒否してきた(に違いない)
そしてまあ「そろそろ終わるか?」と誰ともなく言い出したのではないか。
だから「タモリ倶楽部」は会社命令の打ち切りではない(気がする)
自主終了。それこそ「もう時代も完全に変わったんだからもういいよね」ってスタッフ(タモリさんをはじめ)思ったんじゃないだろうか。

テレビは産業として奇跡的に「とにかく面白いことやろうぜ」なんてことが50年くらい通用してきた産業だった。それは映画館からお茶の間に「映像」を伝えるものが移動してきたと言うことが革命的なことだったし、代理店の方々がうまくテレビの価値を上げてくれたし、僕らの先輩が(若干不良だったこともあって)『人と違うことをやって面白がらせたい』と言う思いでいろんなチャレンジをしてきたからだと思う。だから視聴率を上げると言いながらその本当の芯のところでは「面白けりゃ視聴率は上がるだろう」と言う牧歌的な思いがあったしそれが通用したのだ。だって視聴率が悪くてもテレビ局はスポンサーにお金を返さなくて良かったし、そのスポンサーが降りても次のスポンサーがすぐに入った時代が長かったからだ。
だからテレビの作り手の受け継がれていた概念は「とにかく面白いものを送り出そう」だったのだ。

20年くらい前から頭のいい人たちが「面白いから視聴率が上がるのではない!視聴率がいいものがテレビ局にとって面白いものだ」と言う産業にとって当然のことに気が付きそう言い出した。
日本経済がバブル崩壊してもテレビ局の売り上げは落ちていなかったが、そことを言い出した人の登場と同時に徐々に翳りが出てきた。果ては「視聴率さえ上がればいい」と調査会社の車を追いかけて買収するやつまで現れた。

多分そんなこんなでテレビ局はビジネスとしてちゃんとしていった。コンプライアンス・予算・社内根回し・丁寧な作業・働き方改革などなど。
産業としてちゃんとしていくことによって何かは失われていったのか?
それは言いたくない。
しかしある種”みんなが納得するちゃんとしたものになる”と言うのは時代の必然なんだろう。仕方ないことなのだ、と思うしかない。

と言うことで「タモリ倶楽部」と言う最後のテレビの不良たちが作った番組が終わり、あの時代のテレビが完全に終わる。
新しい時代のテレビの作り手たちに大いなる幸あれと願う。
不良に今からなるのは無理があると思うが、あの時代のテレビの作り手が持ち続けた『テレビマンの矜持』は受け継いでもらいたいと思う。

そういえばあの時代のテレビのタイトルを持ち出して他局だがリメイク?される番組があると聞いた。普通ならあり得ない、最もやってはいけない「あの時代は面白かったよね」的な行為だがまさかそんなことはあるまい。
きっと「あの時代」のテレビの終焉をきっちりとつけ、新しいテレビを提示するに違いない。そうでしか有り得ない。そう期待したい。
(多分見ないけど)そんな評判が聴こえてくることを期待しよう。

あの時代のテレビマンの最終グループの一人である私に地上波の出番がないことはもちろんなので、街のメディアと新しいテクノロジーによるコンテンツと世界に向けてのコンテンツを粛々と次の時代に向けて準備をしていこうと思っている。

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