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小さな組織の将来

対価を払う

最近見かける我慢料としてのお給料はもう時代遅れという類のフレーズ。
では給料とはなんなのか。

通常の社員であれば人(会社)の仕事をする為に自分の時間を売った代金。管理者や役職手当などは自分の時間を売った代金と更に一部自分の仕事を部下という下請けに下ろして得る利益を手当として会社から得ている…
では管理者とは。
代表取締役、事業部長、事業者責任者、管理者、その他諸々…どの役職だとしても仕事を下すことをお金に出来る立場の人たち。

よく話す経営者たちは感謝はしてるけど仕事があるのをありがたいと思え、給料をもらえることをありがたいと思えとよくいっているのを聞く。
聞くたびに、「感謝はしてるけど」って…お金を払って時間をもらっているのに…この人たちが我慢をさせてるんじゃ?…と心の中でつぶやいている

別の我慢

以前書いた「雇われる側の配慮」の中で所属していた事業所でもそんな空気が満載。

ある飲み会で居合わせた社長の発言が、後々になって考えてみると、どうもおかしい。いや、考えなくてもおかしいか。
彼は日ごろからそれなりにコミュニケーションを取っている管理者の話を聞き、全くコミュニケーションを取っていない職員の評判をそのまままるごと信じて一方の情報のみで判断し「なんでそうなのか今日はやっつけてやろうと思って!」発言。

なんてことでしょう…

「責任取りたくない、私は悪くない」意識の高い中間管理職の彼女の話す、私についてのぼやき?を鵜呑みにした「オレは代取、オレは社長オレの言うことを聞け!」の彼は、当の本人である私の話も聞かないまま偏った天秤のまま判断しその偏った天秤を…私は我慢強く聞いた。

管理者責任者の示す処

私の個人事業としての基準に「互いに楽しく」というのがある。私自身、楽しくなくては続かないし、集中もできない。受けた仕事に対して、楽しさを見つけてより良く、より集中して仕事をしてきた。
例えばこういった"基準"が相手が不在の、自分にとって、という自己都合でしか考えられないままだと、単純にザイアンス効果により多少の接点の多い管理者に親近感を持ち考えに同調する。そして接点のない正体の分からないパートアルバイトの私を心理的に遠ざけてしまったのだろう。
それによって偏った天秤が構成され、それを基準に思考したのではないかと推測。

私が彼の立場、又は彼の管理者であったなら何故そうなったかを確認しなくては社員の信頼を得られないと考える…と思う。また、いち社員に関わる時間が少ないのであればその管理者の主張を聞いた上で管理者とはという視点から話をしてみる。多分これって普通のことじゃないのかな…?
そしてこの管理者が何故ブレたのかが重要で、管理者としての職務を果たしていないのは社長である自分の責任であると考える。
"管理"とは聞こえが悪いフレーズだが、管理者とは自らも管理しなくてはならないのではないかと私は思う。

そもそもこの会社、社長や管理者が誰1人としてコミュニケーションを取ってこない。「オレ代取」は自分の思いを伝えてこい!と言ってくる笑。代取が受け身でいいのか???

対価の発生する人材

私が若い頃働いていたお洋服のshop、当時まだ20代の店長などは、本当に自然に自らコミュニケーションをとり、何かにつけては理念を語り、アルバイト希望の子などを社員に育てていたものだというのに…

この経験から、常に人材を育てる意識があった私にとって、仕事上のコミュニケーションを意識して振り返ると一方の話のみで判断してしまうことの本当に多いこと…
よくよく話すときちんと偏りを理解してはくれる。
そしてこの社長も同じようにきちんと話せば納得する。が、でもだってと一方の話しか聞いていないことに気がついていない。

そこで、私は考えた。
彼の判断基準は彼の問題なのでそこに境界線を引き私の対応を変えれば良い。
彼の判断に境界線をきちんと引く。
それによって私はそこにかかるストレスがぐっと減った。

私の目指す管理とは、する側もされる側も"境界線"を持ち、自らの仕事(行動)に自ら責任を持つ。また、自分の人生に自分で責任を持つことによって他者を尊重することができる、そんな部下を育てること。

今後、万が一、彼や管理者の彼女と仕事をすることになってもきちんとお断りしようと思う。
私はもう二度とそういう人にお金を掛けたくはないしもらいたくもない。

多分…この会社…………
ブラックになりそうな気がする…

いちぬ〜けた〜笑



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