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自分と他人の好きが同じなわけない


以前、別のブログの記事を投稿した後、他人の話として、自分の事を悪く言ってるの見たんだけど。と言われたことがある。

この話自体が随分前の事なんだけどふと、思い出して。

SNSでの出会い

SNSではいつも元気いっぱいで実際に会ってみてもその通りの人なんだけどなんとなくプライドが高そうな人。私も負けてないけど。
私は昔からSNSではほぼ自分からは話しかけない。情報収集を目的として使っているから。コミュニケーションはほとんど取らない。
以前はおはようやおやすみの挨拶を入れて話しかけてもらいやすいようにしていたが今はやっていない。
話しかけられれば普通に答えるし、思ったことは発信する。そういうツールだし。

で、当時その人が言うには
知り合いAが陰(facebook)で悪く言ってるって話をBから聞いたらしくてCが困ってるって相談されたんだけど、そうやって影で言う人ってどう思う?
と。
その人たちはどういう関係なのかを聞くとA,B,Cは会議みたいな集まりで話し合ったことをAは後になってCを悪く言ってる。具体的にその人とは言ってなかったけど言っている内容はそのままだったとBが教えたとのこと。

私の答えは
会議のような集まりの場で決まった話ならそれ以上は個人の意見は必要ないからAはその場では言わずに個人的にfacebookで言ったんじゃないか、それならAを気にする必要はない。
また、わざわざ悪口を言ってる人がいるよと言ってくるBはそのAとCの関係をどうにかしようとしてる人だからBこそ、付き合いを考えたほうがいいよ。そういう人には気をつけたほうがいいんじゃないか。
と伝えた。

つまり、ちょっと冷たいようだけど、そんなに深く考えなくていい。嫌なら付き合わなきゃいいよ。と。

好きとか嫌いとか

私は割と本音と言うか、思ったままを正直に伝える。その時に言葉が足りないことが多々あるみたい。
仲良くしたいなと思ったら苦言も言う。
距離を保ちやんわりとお付き合いする場合はネガティブなことは伝えない。伝える必要がないと思う。大事なお客様にはこれはダメ、これはいいを伝える。
そこまでの関係にない人には直接は伝えずこう言う考えもあると他人の話のようにSNSに書いたりこうしてブログに書いたり。
ずるいと言われるかもしれないがその人が直接伝えても大丈夫な人か、分からないから方法を変える。ただし、示唆はするがこれと明言はしない。更には自分の考えとして書き出す事はあるが人に話す事はない。当人以外に話す意味がないから。
これはちょっとしたポリシーでこうやって書く事で自分の考えを整理しているだけだから人にそれについて聞かれてもあぁ、アレね。と流して深くは話さない。


絵にしろ彫刻にしろ、自分たちがつくっているものに対する批判的精神はよい作品をつくる上でどうしても必要だ。  

すぐれた作家は、同時にすぐれた批評家でもある。

日本をよくしようと思ったら、その現状に対して批判的な思考をするのは当然であって、むしろ現状をそのまま受け入れてしまうこと自体が日本を愛していない、無関心である、思考停止であるように私には思われる。

とある記事で読んだ。
つまりその人が見て考えるきっかけになったりしたらそれはそれでラッキー。嫌いでも好きでもどちらにしても気にかけてくれてるってことだもんね。
その後、連絡は来なくなり、いつのまにかその人のアカウントは見なくなった。
よほど深い傷を負わせてしまったのか、私の自意識過剰かは分からないが、嫌なら関わらない、を選んだその人はきっと正しいなと思った。

グレーゾーンのグレースケール

そもそも家族であっても100%好きだなんてありえない、嫌なところも家族だったら仕方ないみたいなことがある。友達であっても100%好きだなんて幻想でしかない。
この人にはこんなところもあるんだな、ぐらいで丁度いいんじゃないかなと思う。
グレーの段階で例えると、30%くらいの好き(ダークグレー)で知り合い、40%くらいの好き(ミドルグレー)で仲間、70%くらいの好き(ライトグレー)で友達、85%くらいの好き(ペールグレー)で家族。
ぐらいなんじゃないかな。
もっと低いかもしれない。
そんなもん(グレー)でいいんだと思う。
自分もグレーでありたい。

50%くらいだったあの人、元気かな?と思い出す。あなたは何%?


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