群馬

 車窓に流れる赤城山を眺めながら、私は郷愁に浸っていた。私は埼玉で育ってきて、群馬を出身地とは言い難い。でも、生まれたのは群馬の病院だから私の身体が出てきた場所という意味なら群馬出身とも言える。それでも、赤城山は、高崎駅は、群馬はどこか私の帰るべき場所として私の身体に染みついている。というのも、私の両親は二人とも群馬出身で、私の親戚は皆群馬に住んでいる。先述したが私が生まれたのも群馬の病院で、その後すぐに埼玉に移ったという。東京勤務の両親は実家の群馬との中間として埼玉を選んだそうだ。埼玉県それ自体の魅力とは関係なしに、中間として選ばれた埼玉。そういうところが埼玉らしさだと思う。埼玉にいるのは私たち一家ぐらいで群馬じゃないのが逆にイレギュラーな家だ。事あるごとに両親の実家である高崎と前橋のおばあちゃんの家に遊びに行った。おじいちゃんだっているのにどうして「おばあちゃんの家」って言うんだろう。前橋の母方のおじいちゃんは私が2歳くらいの時に亡くなっているから、私にはおばあちゃんの記憶しかない。高崎の父方の祖父も先の11月に亡くしたばかりだから、私が前橋だけじゃなく高崎のほうまでおばあちゃんの家と呼んでいるのも不自然だ。でも、そういえば元々高崎のおじいちゃんはあまり遠くに外出することを好まず、どこか家族で外出する時は前橋と高崎のおばあちゃんはいても高崎のおじいちゃんはいない、ということが多かった。高崎と前橋のおばあちゃん二人は仲が良いらしかったし、その辺が理由なのかもしれない。そもそも、日本語の感覚として、あまり両親の実家を「おじいちゃんの家」と呼んでいるのを聞いたことがない。ここでジェンダーの話をする気は全くなかったけれど、こういうのも日本の家父長的な女=家のイメージが絡んでいるのだろうか。無意識に呼んでいたから気づかなかったけれど、そうだとすれば不本意である。かといって私の舌に馴染んだこの言葉をわざわざ変えたくはないのだけど。
 昨日、父方のおばあちゃんに会いに行った。先述したように昨年の11月におじいちゃんを亡くしてから、おばあちゃんはひとりになった。隣には従兄弟家族が住んでいるけれど、それでも家にひとりの生活は寂しいそうだ。私も今年に入って学校への登校義務がなくなり、基本的に家族の皆は仕事や学校で私は家でお留守番というような日々が続いている。大河ドラマやyoutubeを見たり、ドラムやギターの練習をしたり、本を読んだりしながら家での一日を過ごしているが、ふと動作を止めたときに気づく静寂の心細さには思い当たりがあったので、おばあちゃんが家にひとりでいることがどんなに寂しいことなのか、何となく想像できる。私は待っていれば午後にママが帰ってくるが、おばあちゃんの夫は永遠に帰ってこない。
 父から、おばあちゃんに会いに行ってこい、との指令が1月末に下った。父も高崎でひとり寂しく暮らしている母を心配していたのだろう。直近で一日中開いている日、2月2日におばあちゃんに会いに快速アーバン高崎線に乗った。冒頭の赤城山はこの快速アーバンの車窓から眺めたものだ。女の人が寝ているような形の山が赤城山。昔、両親に教わった。群馬は四方を山に囲まれていて、どれが何という山だか全く知らないが、この赤城山だけは他の山と区別ができる。「あかぎさん」ではなく「あかぎやま」。前橋のおばあちゃんの家はこの赤城山の麓にある。そのすぐ裏には産泰神社。
 高崎駅でおばあちゃんの車に拾ってもらってお昼ご飯を食べた。有名な高崎パスタの店、シャンゴ。父に、ジャンゴなんだかシャンコなんだか、高崎パスタの店に行ったよ、と言うとああ、シャンゴね、とすぐに伝わった。その後、高崎駅のお土産コーナーでもシャンゴのパスタスナックを見かけたから、群馬ではかなり有名な店だ。私には群馬の血が流れているのにシャンゴを知らない。群馬じゃない埼玉で育ったから。もっと群馬のことを知っていたいと思う。
 海鮮スープパスタのボスコマーレを食べた。最近友達と好きなパスタについて話したときに、私が思いついたのがボンゴレビアンコだったから、ボンゴレと悩んだけれど、その隣にある聞いたことない名前のパスタの方に興味があった。最近は家でひとりでご飯を食べることが多かった。家で自炊をすると野菜や果物を切っただけので済ましてしまうから、しっかり手の込んだ料理を外で食べることは滅多にない。そもそも、手の込んだ料理が食べたければママの料理よりもおいしいご飯はそうそうないから、わざわざ外に出てお金を払って食べるまでもない。―という感じで私は家がそもそも健康志向一家なのもあり、食、特に外食に関しては無頓着である。無害なものなら何でも良い。(そのせいで外食の味が濃く感じられるときもある。店にも寄るけど…。)それでも、外食する価値はひとと一緒にご飯を食べるという行為そのものにあると思う。勿論、おばあちゃんの手料理も大好きだけれど、二人用の小さなテーブルを挟んで各々好きなものを選んで、最近のことをお喋りしながら食べるボスコマーレは美味しかった。高崎はパスタが有名で、いっぱい美味しいイタリアンがあるからね。また一緒に行こうね。おばあちゃんはそう言った。
 その後、深谷に新しくできた花園アウトレットに行った。ここまで群馬について語って来たのに結局埼玉かい。まあこうやっておばあちゃんとどこかに遊びに行くときは群馬県外に行くことも多い。軽井沢なんかもよくおばあちゃんを含めた家族で遊びに行った。深谷まで車で高速で30分ほど。電車ではこんな風にパッと行けないからやはり免許は取った方が良いかもしれない…。こうやっておばあちゃんに会いに行くのにも便利そうだし。車に乗っている間、私は食後の眠気に耐えられなかったから車を運転するのは向いてないか。でも高崎のおばあちゃんはまだしも、前橋のおばあちゃんはド田舎だ。ママはよく前橋の実家をそう形容した。ド田舎でつまんないと言ったらひいおばあちゃん(ママのおばあちゃん)は鼻でもつまんでなさいと言ったらしい。近くにハンバーガーの自販機ができたのが唯一のアミューズメントだったそうだ。前橋のおばあちゃんの家は電車で行くには駅から遠すぎる。毎回両親に連れて行ってとせがむわけにもいくまい、やっぱり免許欲しいな…。めんど…。
 アウトレットに連れて行ってもらえる、とは何か買ってもらえる、ということだ。アウトレットの店舗一覧を見ながら私は何を買ってもらおうか、考えていた。小賢しいやつである。ヴィヴィアンウエストウッドはないけど、カルバンクラインはある。ふーん。

 カルバンクラインのアウターを買ってもらいました。途轍もなく可愛い。可愛すぎて私に釣り合っている自信もそんなにあるわけではない。似合っているだろうか…。でもおばあちゃんも店員さんも似合っていると言ってくれたからそう信じることにする。おばあちゃんは私が何を着ても可愛いって言ってくれるし、店員さんはお世辞だろうけど。そんなことは関係ない。可愛いは可愛いのだ。私は最高に可愛い。ありがとうございます。大切にする。なんせおばあちゃんが買ってくれたのですから。

 おばあちゃんはその後もこれ買わなくていいのだとか言いながら一緒に服を見てくれたが、既にカルバンクラインを買ってもらってしまっていて、あれもこれもと買ってもらっていては申し訳なさすぎる。しかも今回おばあちゃんにはお小遣いまでもらっている。ファミマのバイト頑張って、いつか恩返しするからね。美味しいもの食べよう、楽しいとこ行こう。草津?伊香保?軽井沢でもいいし、もっと遠くに行けるものなら行ったっていいね。おばあちゃんだけじゃなくて、私は家族の皆にいつか何かしらの形で恩返しをしたいから、そのために私は今色々と勉強にバイトに頑張らなくてはいけない。

 花園のアウトレットはアウトレットにしては小さいから、全部の店を隈なく見ながら2周した。時間はあっという間に過ぎ去って、気づけば夕方になっていた。深谷から帰るよりは高崎から帰った方が楽ちんなので高崎駅まで送っていってもらった。高崎駅でおばあちゃんと別れて、お土産コーナーをぶらつく。磯部煎餅とゆべしとこんにゃく麺を買った。いつも七福神煎餅を買って帰るけど今回は買わなかった。買わなくてもいつもおばあちゃんたちがくれるから…。

 大きなカルバンクラインのショッパーを下げて、高崎線で大宮まで。寒いから、ママに迎えに来てもらった。私は何だかんだ家族がすきだなぁ。こう思えるだけで私は死ぬほど恵まれている。家に帰って次はおばあちゃんとどこへ行こうか、と軽井沢のことをスマホで調べていたらいつの間にか夜が更けてしまった。



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