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卒業の足音

パンケーキやチーズドッグは今やタピオカにパイを奪われ影を潜めた。そのタピオカでさえ来年、いやもっと時期尚早に今年中にはそのときの流行り物によってヒトの記憶の片隅に追いやられているかもしれない。

ホラーなんかではない、この世で最も怖いものは時の流れである。

受験に備え、就職の対策をして、朝から晩まで働き、気がつけばローンの返済に追われる。いつも何かに囚われ、今ここを忘れる。
瞬間瞬間の感情を追い風に帆を張り推進すること。そんな簡単なことができなくなる世の中である。

大事なのは過去を振り返ることでも未来を見据えることでもない。今を見つめること。その上で過去や未来と紐づけるのであれば大したもんだ。

学生生活中に落としてきた単位を拾い集めあとは単位評価の結果待ちである。周りからは社会人との両立に不安がられたがなんとかなった。なんとかなったというかなんとかした。

失恋っていうのは、夏にするもんじゃない。朝と夜なら、夜。晴れか雨なら雨。間違っても、夏のよく晴れた朝にするもんじゃない。留年だってそうだ。前期の単位の評価が発表され残単数を考慮し留年が決定したその日。これでもかというほどカラッとした快晴で見上げた空には僕の雑多な心の中とは対照的な絵が浮かんでいた。

ただ、そうではないのだ。学校の授業を受け終えこうして文章を書いている今も新たなに学びたいことややりたいことがフツフツと煮えたぎっている。

僕らはいつだって船に乗って移動している。文字通りどこか別の場所へと行く途中だ。目的地に到着しようと急ぎたくなるのだが、船の上で座って不満を感じている今が、人生にとって何の価値も無いかと言われればそうでない。音や景色、手触り、呼吸、ヒト、感情、そうした多くのことで満ちているはず。

やってきては過ぎる。それに気づきもしない。大切に思えないからこそ無意識に過ぎる無駄な瞬間の膨大な積み重ね。無駄ではない瞬間も同じゴミ山に投げ捨てられ二度と日の目を浴びることはない。

どの瞬間も海の上で吹く風のように、はかなく、あっという間に消えてしまうもので、だからこそその貴重な風を感じることに一生懸命でありたい。


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