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LEUCHTTURM1917

手帳だはなぜか紙に戻ってしまう。どうしてだろう。

あまりできのよろしくなかった会社員時代には、ほぼ日手帳やMOLESKINEを使っていた。メモは結構取った時期もある。3Mのフィルム付箋を使ってムカデの足のようにメモを取ったこともあった。でも長続きはしなかった。

ステーショナリーはいろいろ買ったが、それで仕事をすると言うよりも、新しい文具を買うことで気乗りのしないルーティーンを回すモチベーションにしていた。

ノートや手帳などの文具を買わなくなったのはiPhone 3Gを購入してからだ。発売当初は使い物になるとは言えなかったけれど、いずれ手帳に託していたスケジュール管理はスマートフォンに入ることが予想できたし、実際、二年も経たないうちにそうなった。メモもスマートフォンにとるようになって、紙の手帳を使うことも減っていった。出張の時に書き溜めたメモを時々見返して、新しいMoleskineやRhodiaを買ったりしたけれど、やっぱりスマートフォンに戻る、そんなことを繰り返していた。

ところが何の因果か僕は小説を書くようになって、手帳に戻ってきた。その理由は、万年筆と老眼だ。会社員の時に取っていたメモは、多色ボールペンを使って細かく書き込んだ図が多かった。打ち合わせの時に「聴いてますよ」「ほら僕はこんなに賢いんですよ」と見せるためのメモも多かったから、精密に見えるメモが多かった。

ところが小説のネタはどうしても文章が多くなる。老化のせいもあるが、すぐに頭の中から消えてしまう言葉をそのまま書き留めなければならないので、スピードも必要になる。そして量が増えた。しばらくボールペンを使ってみたのだけど全然しっくりこない。たくさんの文字を書く人のための筆記具は万年筆なのだ。

万年筆でメモを取るようになって驚いたのが、MOLESKINEの紙だ。まさか万年筆のインクを透すとは思っていなかった。 

そこで使い始めたのが、LEUCHTTURM1917 (ロイヒトトゥルム)だ。驚いたことに、このノートにはノンブルと Table of Contents 用のページがついていた。たったそれだけのことなのに手帳が読書録に変わった。どれだけ雑にメモをとっても、ページ番号とインデックスを書き留めておくだけで、後から見返す頻度が高まるんだ。

ひょっとするとNotes.appみたいなアプリにも、ページ番号が表示されているといいのかもしれないな。

次は唯一使っている手帳系アプリ、MeMoMaについて書いてみよう。

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