要・教育(男子に)

まずはこちらを御覧いただきたい

リアルでお付き合いのある方や、長く私と付き合いのある方はご存じの方もいらっしゃるかと思うのだけれど、ウチには「姉の人」と呼んでいる姉の人……ん、なんかおかしいな。まぁ、実姉がいる。

私(40代)が育ってきた1980~90年代という時代は、今がそうであるように、まだまだ「生理は恥ずかしいもの。女性が隠しておくべきもの」という文化が根深く残っていて、我が家やご近所の女性陣(一般的家庭なので当然母も居るし、ご近所の幼馴染たちの家は大抵男兄弟ばかりの家だったのだが、逆にそれで姉の人に対する「保護」は強くなったように思う。幼馴染の家では姉の人は「我が家の娘」みたいな扱いを受けていた)は、生理という事情に対して敏感で、その情報については「隠蔽」と思しき状態が常態化していた。

これの善し悪しについては正直なところ良く分からないが、女性陣にとってそれが暴露されるのは「恥ずかしいもの」で、「隠しておくべきもの」であったのは事実であると思う。 本当に、当時の事情についての話であって、その善し悪しについては全く別の話であることはご理解いただきたい。 推論を述べるに留まるが、家父長制の問題に加えてバブル経済や団塊世代の価値観なども関係したと思う。 これは要するに「女性は家にいて、家のことをしっかりやるのが当たり前。それについて亭主(これも古い言い方だが)にアレコレ言わない」という価値観の事だと言い換えられるかもしれない。 「それはおかしい」と思われる方もいるかも知れないが、当時、社会の趨勢は明らかに「そちらが普通」であった。

これが、バブルの崩壊とともに女性(この場合主婦)がパートに出るのが当たり前になり、その子供世代である人たちも社会に出て働く(結婚までの「腰掛け」ではなく、一生の仕事として)今の社会へと変化を遂げるのが現在への歴史……というほどのことでもないかもしれないが、「ここまでの流れ」であることも付記しておく。


閑話休題


さて、生理の話に戻る。

社会がそういう状況であったことを踏まえ、女性にとって生理は隠すべきものであり、「男性にバレると恥ずかしい」ものであったということはご理解いただいたかと思うのだが、その上で、我が家でもそれを思い起こさせるエピソードがあった。

姉の人の名誉のために、金銭を取ろうとは思わないが一応、公開に区切りをつけさせていただく。

……と、思っていたのだが、価格設定の最低金額は100円かららしい。 金を取るのもバカバカしい昔話だが、多分私が思っているよりもセンシティブな話ではあるし、どうしたものかと思案したのだが、ここまで来てこの話を隠しておくべきなのかどうか、悩んだ末に、そのまま公開させてもらうことにする。 多分、男性にとっては多少考えさせられる余地のある話題だと思うので。


ある日のこと。

母が浴槽の中が若干色づいていることに気付いた。

私が浴槽で尿意を催したのかと訝しみ、母は先ず私に確認した。

「あんた、お風呂でおしっこでもした?」

私には身に覚えがない。

勘の良い諸兄にはここでお分かりいただけたかもしれないが、そこにいたってようやく母は思い当たる節があったのか、姉の人に声をかける。

気になった私が、「何だったのか?」と訊ねると、母は「どうも姉の人がお風呂で催したらしい。我慢した挙げ句出てしまったようだ」と言った。

つまり、そういうことである。

そういう言い訳をさせてしまうほどに、「女性の生理とは、男性に隠すべきものであり、『自分が浴槽でおもらししたという話を捏造』される方が、浴槽で生理が始まったのがバレるよりマシ」なものだったのだ。

今考えるとバカバカしいと言うか、可哀想な話だと思う。なぜそんな事になっていたのか(勿論、当時の日本の社会情勢のせいだということは先述した通りなのだが)。 ただただ、肉親であるという事情を除いて考えれば、当時中学生だったと記憶している少女が、浴槽の中でうっかり生理が始まってしまい、浴槽を今ほど毎日入れ替える文化もない、二日目の二度焚き当たり前時代に、浴槽のお湯を入れ替える水道代やらガス代やらと恥ずかしい気持ちを秤にかけた結果、『親にツッコまれるまで黙っているという決断をする』に至ったその経緯を可哀想だと思う。

だからこそ、今の世の中ではもうちょっと男性(というか、シモネタで相手をからかいがちな男子小学生など)に対する性教育や「これをしてしまうとこうなる」という意識を変えていく必要性を感じる。

まずは、

学校でも大きい方をしたくなるのは当たり前。

女性が生理になるのは当たり前。

ゴム無しでセックスをするとリスクが有るのが当たり前。

辺りから始めていただきたい。

いや、もう始まっているのかもしれないし、私が知らないだけなのかもしれないけれども。

その上で、「女性が正常な周期、痛みなどがコントロールされた状態で生理になるのはめでたいこと、有り難いこと」だというポジティブな意識が広がってほしいとも思う。

実は拙宅の姉の人は、この後の人生で卵巣の病気で手術を受け、子供ができにくい体になる。

バブル崩壊直後の、まだまだ「女性の社会進出は腰掛け程度」という意識が残っている中で就職し、男性に負けじと働いて、度重なる長時間残業とその疲労に起因する生理不順の末に罹患し、手術することになった。

弟の口からいうのも何だが、姉の人と結婚してくれた義兄は優しい人で、長男であるにも関わらずそれについて文句も言わないし、言わなかったそうだが、長男の子を残せないことを姉の人が気にして、手術前後は精神的にも不安定になり、何度も義兄や義母に謝っていたという話をチラリと聞いた。

でも、これは、本当にウチの姉の人が悪いのだろうか?

多分違うよね?

社会の無理解と、姉の無闇な我慢と、後は何か。よく分からない何か。

根幹的には多分、男性や社会が、女性が生理になるということをもっとよく理解することで、解消できる何か。

子供を作り、社会に残し、社会が発展するために必要な最初の一歩をみんなで踏みしめるために、生理に対する認識を子供の頃からしっかり持ち、当然それを子供に教える私達の意識も、古い意識をアップデートしてすすめていきたいものだと思う。

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