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沖縄の短歌一首評⑤比嘉美智子

月桃の白き花びら口にふくみ感傷ありて君に逆らふ
   比嘉美智子『月桃のしろき花びら』1974.7沖縄歌人叢書4

著者略歴によると、比嘉美智子は1935年(昭和10年)那覇市に生る。1955年「アララギ」(土屋文明選)入会、のち「地中海」「コスモス」「くぐい」を経て、1988年「未来」入会。1991年より沖縄タイムス「タイムス歌壇」選者。2018年選者を退任。花ゆうな短歌会主宰。
とあります。
第一歌集となる『月桃のしろき花びら』は、ほぼ編年体の体裁となります。高校時代から始まり、大学時代、結婚後から30代後半までの時代の短歌を収録しています。

 国頭の宜名真の村の夜はのどかプランクトンと共に泳げり

高校生時代の一首です。上句は説明的で幼さが見えますが下句
では感性がひかります。

二十歳になりて先ず得し吾が権利基地化反対運動に堂々と署名す
旧正の酒座に舞ひ出でし百姓の足に黒きあかぎれありそを踏みて舞ふ

学生時代の短歌です。一首目も説明的ですが勢いのある心情が読む者にも真直ぐに伝わります。二首目も真直ぐな社会詠といえます。その頃の政治の季節「(米軍支配の)苦難の歴史」を反映し、時事詠、社会詠へと傾斜していく「大きな転換期であった」と巻中に挿入されるエッセイにはあります。その中で歌集中の白眉となる,掲出歌をふくむ相聞歌「月桃のしろき花びら」一連が置かれています。
一連より

街灯に照らし出されし君が眼に光るものあり握手して別る
降りしげき夜道も楽し君となれば雷鳴につまづき声立てて笑ふ

月桃(方言名サンニン)の花は沖縄では初夏4月下旬頃から咲きはじめ6月頃までの雨季の花として親しまれています。赤く縁どられた白い苞に包まれた蕾で、そこから白い花を咲かせます。花や葉からは甘く爽やかな香りを漂わせます。
掲出歌を一読すると、青春期から青年期へと、少女から女性へと変貌していく作者の自意識と、甘く爽やかな恋愛感情が感じられます。作者が意図しているのかどうか分かりませんが、月桃の花言葉は「爽やかな愛」だと言います。
「感傷」や「逆らふ」さえ甘え拗ねているように感じられ、沖縄短歌にはあまりみられないストレートな相聞歌です。

歌集冒頭の「序」において、作家大城立裕は、時代の所為、青春の心の反映としながらも「正直にいえば、彼女の時事詠には賛成しかねる」と書いています。

あなたは元来、美しい小川の流れのような心をもった女性なのだ。その初心を再発見してほしいし、そのすなおさの故に方法上も余計なことに煩わされすぎる、というようなことがあってはいけないのだ。

歌集『月桃の白き花びら』序より

すごい文章ですね。しかし考えてみれば、これは比嘉美智子だけではなく現在の沖縄の歌人にもいえることかもしれません。短歌と真摯に向き合おうとすればどうしても沖縄の現実の不合理、不条理を感じずにはおられませんし、それを詠まないことは自身への誠実さを欠くことになります。現実と詩魂との折り合いをどうするか、煩わされすぎるのが現状だと思えます。

シンプルで衒いのない、理解しやすい作風ですが、三十代後半の短歌には少し翳りのある歌が詠まれます。

おらびたき思ひに屋上に駆けきたり描く星座のいくつをしばし
アスファルトに貼りつきをれる猫の死骸師走の風が紙のごと舞わす
人混みに押されゆくときぽっかりと開くにあらずやわれの空洞

拙作三首
初期短歌 「二月の雨」
|島草履《シマサバ》ではしゃぐがごとき雨の音内耳の海にたゆとう少年
黒土に生きる椿の血の赤の傷のよな花雨に落ち行く
二月の雨すべてを濡らす島も人も政治も基地も雨滴は重く


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