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偉大な献身の一生涯

金日成主席が逝去して25周年になる。

朝鮮人民が今日も、主席をあれほど忘れられず懐かしんでいるのは、主席は領袖である前に人民を天のごとく見なし人民のためにすべてを捧げた人民の慈父だからである。

主席が回顧録『世紀とともに』で「『以民為天』―人民を天のごとく見なす、というのが私の持論であり、座右の銘でもあった。人民大衆を革命と建設の主人として信頼し、その力に依拠するというチュチェの原理こそ、私が最も崇敬する政治的信仰であり、まさにそれが私をして、一生を人民のためにつくさせた生活の本質であった」、と述べている。

主席は人民の中に入ることから革命を始めた。

困難に満ちた抗日戦の日々、何らかの国家的後方もない中でも主席はひたすら人民を信頼し、彼らの支持、声援の下で抗日武装闘争を勝利へと導いて祖国解放(1945.8.15)の歴史的偉業を成し遂げた。

主席は人民の念願と意思に即して国の政事を施し、その実現のために不眠不休の労苦を費やした。主席の賢明な指導の下に解放後、自分の土地で農業を営みたいという農民の長年の願望が込められた土地改革法令と労働者を工場の主人にならせた産業国有化法令などが公布され、朝鮮人民は土地の主人、工場の主人、国の主人となった。

人民のための主席の献身があったがゆえに、苛烈な祖国解放戦争(朝鮮戦争、1950.6~1953.7)の時期、国家の負担によって全般的無料治療制のような人民的施策が実施され、1974年には世界で初めて税金のない国となった。

主席は、私は人民の臣下であり、人民はわれわれの君主である、それゆえ、われわれが仕事に励んでこそ人民が安らかに暮らすことができるとし、人民のために一生を尽くした。

チュチェ49(1960)年6月のある日、西海岸の温泉湾を訪れた主席は果てしなく広がっている干潟地を眺めながら、これを開墾すれば人民に十分白米のご飯を食べさせることができるだろう、と切々と言った。そして、幹部たちにもう少し出て見ようとした。幹部たちがあたふた引き止めようとすると主席は大丈夫だ、もう少し出てみよう、人民のためのことなのに、何をためらうのか、道がなかったら私たちがこの干潟地の初の道を作ろう、と言って泥土もいとわず見て回った。

主席は、絶え間ない現地指導の道で、労働者たちの油がにじんだ手をとって彼らの労をねぎらい、畑の端で農民たちと膝を交えて談笑しながら作柄を確かめ、母親の心で人々の気持も推し量った。

主席が新しい祖国建設の当初から晩年に至るまで現地指導した単位は2万600余に達し、歩いた現地指導の道は14万4500里であり、その道で過ごした誕生日や祝日、日曜日は2530日として7年間に相当する。

主席は逝去する2日前に指導した協議会で、私はこれまで人民を信頼し人民のために闘い、人民の中で生きてきた、私の一生は祖国と民族のために尽くした一生であり、人民とともに闘ってきた一生であった、私は今後とも、常に人民とともにいるだろう、と言った。それが主席が生前、最後に指導した協議会である。

朝鮮人民は今日も、主席の慈愛深い姿を心に刻みつけ、主席の富強な祖国建設念願を金正恩委員長の指導の下に必ず実現するため力強く闘っている。

金日成氏は偉人である

金日成氏は偉人である。それはただ、革命の指導者であったということだけではない、彼は歴史の目撃者であり、そして建設者であったのだ。

金日成氏は東側国家の指導者として唯一、スターリン時代からソ連崩壊までを見届けた、東欧各国が西側に侵略されて消滅してしまったり、ユーゴのように指導者のチトーがソ連の崩壊を見れず、そしてトロツキズム的な自主管理社会主義の明確な誤りの帰結見ずに死んだ中で、彼とその国家は、あくまで社会主義を貫き、自主独立を保った。

いうまでもなく、朝鮮民主主義人民共和国はソ連に作られた国家である、東欧ほどの干渉はなくとも、彼らは立派なソ連の息子であった。

朝鮮は統一されていない、南には今も傲慢な傀儡国家が巣くっている。そして中国のように「地大物博」国ではない。そのような強固な制約の中で、金日成主席は朝鮮を維持するだけではなく発展させ、今日の基礎を築いてきた。

90年にソ連との貿易が20分の1に減少し、父親のような国に見放された、また中国からも前後して友好国価格を廃止され、社会主義の兄弟国ですら、朝鮮が独立国家であり続けるという希望を失った。

しかし、皆も知っているように今もなお地図の上で朝鮮民主主義人民共和国は燦然と輝いているのだ!

なぜ今まで朝鮮という国家が生き残れてきたのだろうか?

それは、金正日将軍による苦難の行軍の克服があったにせよ金日成主席の偉大な抗日の功績と、彼の作った社会システムがしっかりと機能しているからである。

今日の朝鮮の基礎を金日成主席が作ったことに、異論のある人はいないだろう。そう、朝鮮の父の功績は、今も朝鮮に傀儡政権ではなく、自主独立の社会主義政権が存在していること、これだけでも首領様の偉大な功績である。

没後25年の節目に当たり偉大な金日成主席に頭を垂れる。彼は時代の真の目撃者であったし、今に残る朝鮮の建設者であった。その二つの功績は、まったく言葉にできない。

男たるものこのような偉大な人になりたいものである

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