青山里のむしろ[2019-07-08]

青山里のむしろ

チュチェ47(1958)年10月10日、金日成主席は南浦市江西区域青山里を再び訪ねた。

幹部たちは主席を部屋に案内した。しかし主席は、部屋に入る必要はない、間近に座っていてこそ親しくなると言うが、ここにむしろを敷いて話し合おうとし、脱穀場の床に敷いたむしろの上に座った。

主席は、農業協同化が実現された条件の下で、これから各農業協同組合を里を単位として統合して協同経営を大掛かりに発展させる問題をもって農民たちと話し合い、組合の統合方法とその規模について一々教えた。

このように主席は、各農村を訪ねて脱穀場のむしろや農家のござ、畑の端の稲わらの上も気にかけず農民たちと膝を交えて彼らの声に耳を傾け、国の各農村を社会主義文化農村に変える構想も練った。

今も、青山里革命事績館に行くと、農民たちと席をともにして農作業を相談する主席の写真が掲げられており、主席が座っていたそのむしろも大切に展示されている。

解説

日本の観光客もよく解説される逸話である。朝鮮において一日で電撃的に行われ資産階級や中小商店の没落を意図的に図った通貨改革と違い、朝鮮において農業改革は十分な時間と宣伝をかけて集団化が行われた。これは後発植民地であった朝鮮において、農業に比べて商業の発展は立ち遅れており、重要度と経済に占める割合の低かったことからこのようなことになったのである。

しかし、むしろすらも保存するとは、個人崇拝も大変なものである。


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