煙草と酒

煙草と酒は農民の友である。人間は定住してから酒を造ったのではない、むしろ酒を造る為にこそ定住したのだ、というのはマリー=クレール・フレデリック (Marie-Claire Frédéric)の発酵食の歴史における言葉である。世界中の遊牧民族などが、定住をしていないが酒を買うのではなく自ら作成することは周知の事実である。それを考えると上記の言葉は正しいのだろう。

人々は、それほどまでに、そう安定的に酒を飲んで酩酊する、不思議な気分にトリップする非日常性を味わうために定住した、少なくとも定住の大きな一因であったとすれば、まったく有史以前から人間というものは変わっていないと思い急に1万年以上前の人類にも近親感が湧いてこよう。現在でもすべての宗教において、肯定にしろ否定にしろ酒が規定されているし、日本人なら全く知っているであろうが宗教儀式で酒を使用することは、数え上げればきりがないであろう。酒の持つ酩酊感、これは人類がその誕生から愛してきた感覚なのだ。

古代から農民は酒造りの達人であった、少なくとも各国の政府が税金や思想のためにそれを強権で押さえつけたり、また大企業による酒造りの発展による資本主義による淘汰以前は、すべての農民はまた自家醸造酒の作成者であった。現在でも世界中で農民による密造酒は後を絶たない、アメリカの農家は禁酒法やその他の規制をする政府に対して、常に自分でアルコールを作成する権利を主張して戦ってきた。そしてそれは政府による醸造免許の要件の緩和という形で勝利しつつある。ソ連において、あの強烈な監視社会・統制社会の中でも農民はサマゴン(自家作成のウォッカ)を作り続けたしそれは今でも続いている。日本においては、いまだ酒造りの権利は強制的に押さえつけられてはいるが、全国には、そう私の知り合いの農家のように自家用のビールを生産していたり、一般的に農民が作る酒どぶろくを作成したりするような嬉しい同志たちがいまだ綺羅星のように瞬いている、ただし税務署などには隠れた瞬きであるが。

とにもかくにも農民は昔から酒好きである、農家に行ってみよ、下戸でもない限り必ず酒がある、というよりもむしろ日本人自体が酒好きの民族であるのだが・・・

古典を紐解かなくてもむかしから農民は酒好きであることは容易に想像がつく、おとぎ話にもそういった話はいくらでも出てこよう、壇之浦の合戦の時に義経が弁慶に大杯を賜り

「三回をよくせずや」
 弁慶曰く。
「臣、死すともなおかつ辞せず。何ぞ酒をや」
 すなわち、たちどころに一口一杯、あたかも長鯨の百川を吸うがごとし。

という話や、勧進帳の関所を抜けた後の富樫の酒を弁慶が干す場面もみなよく知られているところである。

戦場や東北の関に酒造などないであろうから、この時の義経一行の飲んだ酒は農民の作った酒に違いあるまい、それだけの量を供すだけの酒を農民は作っていたのである。

義経ほど華々しい話でなくとも、昔話の農民の楽しみといえば酒である。また飲みすぎや、酒による失敗を戒め、適量気持ちよく飲もうというような世界共通の話になっているのも、また現代のわれわれと変わらないとほおが緩む話である。

そのように、農民と酒は昔から切っても切れない関係であったが、資本主義の発達によってそれも変わってきた。

アメリカのムーンシャイン・朝鮮のマッコリ・日本のどぶろくなどがスーパーなどにも並ぶようになったのだ、日本酒などそもそもある程度職人技になり農民の手を離れた酒ではなく、真に農民のモノであった酒が資本によって簒奪されたのであった。

スーパーのどぶろくやマッコリ、これは元の農民の酒から似て非なるものである。そもそものこれらの酒は工業化されてないのだ、発酵やその他さまざまな過程が家ごとに異なるため、味も異なった。そもそも自家用のそれらの酒は日持ちがしない、おいしく楽しめる期間が過ぎれば、あとは酢になるか、さらに悪くなってしまう。簒奪され「工業化」されたどぶろくやマッコリはそうではない、完全に工業化された彼らは味も均質化され一定であり本来ならば異常な期間が流通や販売のため経過しても全く悪くならないのだ。これは農民の酒ではない、似て非なる工業製品の何かがその名前を借りて売られているのだ。

コレこそ資本主義の、恐ろしい文化収奪と資本主義的な強制均質化に他ならないだろう。かつてそれであったものが、資本による至上命令、集産と工業化により変質していくのである。日本でかつて全国の農民によて作られていたこれらの酒が、国家による弾圧だけではなく資本主義の発展による地方の酒造の廃業・統合・大酒造の発展、安く高品質の酒の流通によって多くが淘汰されていったように。

願わくば、日本の農民に再び自家醸造の権利が復活し、農民が自分自身で自分たちの酒を楽しめるように将来なることを、私は願う。

おそらくこれからも人間は酒を飲み続ける、私もこの文章をマデイラワインを飲みながら書いているのだ。酒に歴史あり、農民にも歴史がある。いま薩摩切子のグラスの中の酒がイギリス帝国主義と深くかかわっているように!

そして農民の酒造り文化の歴史も永遠である!全世界の自家醸造を行う農民たちよ!団結せよ!

長くなったので煙草は次の投稿にて扱います。煙草にも酒にもある共通点・そうある過程がなければ両方作れないのです。次回に続く!

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