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紅茶の歴史について

さらっと紅茶のお勉強をしてみませんか企画、第一弾。
私の周囲を見ていると、イギリス人がよく飲むよね〜、種類あまり知らないな、など、みなさんそこまで詳しくない様子。
きっかけがないと調べませんし、ね。
紅茶ってどうやって生まれたの?いつからイギリスで飲まれるようになったの?紅茶で事件が起きたってほんと?などを語っていこうと思います。

紅茶の歴史

1600年 イギリスで東インド会社が設立。
1602年 オランダ東インド会社が設立。
1610年 オランダ東インド会社がヨーロッパに初めて茶を持ち込みます。
1657年 初めてイギリスに紅茶がはいりますが当時は、万病に効く東洋の秘薬としてでした。
1662年 ポルトガルから王女キャサリン・オブ・ブラガンザが、チャールズ2世の元に嫁いできました。中国の茶と当時は貴重であった砂糖を大量に持参し、宮廷に喫茶の習慣をもたらしイギリスの貴族社会に広まりました。
1669年 今までオランダ経由でお茶の輸入をしていたがそれを禁止する法律を制定。英蘭戦争(1672~1674年)へ。
1700年代より発酵を強くしたお茶(紅茶)が好まれ、その需要はグンと増していきました。
1773年 アメリカ独立のきっかけボストンティーパーティー事件。イギリスが東インド会社にアメリカで茶葉の専売権を与える茶法に反対し、東インド会社のお茶を海に投げ捨てたことからその名の由来があります。
1823年 イギリスの冒険家ブルースがインドのアッサム地方で自生の中国種とは別種の茶樹を発見。中国種と新しいアッサム種の交配がすすみ、インドやスリランカの各地で茶の栽培が始められました。

喫茶の流行と大衆化

イギリスで最初にお茶が売られた1657年当時、それはまだ“万病に効く東洋の秘薬”としてでした。ところが、1662年にチャールズ2世のもとに嫁いできたポルトガル王女キャサリンが、中国の茶と当時は貴重であった砂糖を大量に持参し、宮廷に喫茶の習慣をもたらしました。
貴重なお茶に貴重な砂糖を入れて毎日飲むという贅沢な習慣は、ポルトガルからきたキャサリンのイギリスに対する示威行為だったかもしれませんが、この贅沢な習慣は次第にイギリスの貴族社会に広まりました。17世紀後半から19世紀初頭までの1世紀余、イギリス東インド会社はお茶の輸入を独占(独占廃止は1813年)し、その取引の利益が大英帝国繁栄の基礎を築いたとさえいわれています。

初めてお茶を商品として飲ませたのは、イギリスの貴族や文化人たちの社交場となっていたコーヒーハウスで、17世紀の中頃のことでした。このコーヒーハウスが次第に大衆化して一般人にも門戸を開くようになり、やがて紅茶はそこから各家庭にも入り込んで、食料品店でも売られるようになって市場は拡大していきました。

その後イギリスは世界に先駆けて、産業革命を成功させると中産階級を中心に食生活にも大きな変化を生じ、紅茶はすっかり人々の生活の中に定着していきました。19世紀に入ってから、イギリスが植民地のインドやスリランカ(当時はセイロン)でお茶の栽培に成功すると19世紀末迄には中国紅茶をすっかり凌駕するようになりました。

日本への紅茶の上陸

日本が初めて紅茶を輸入したのは明治20年(1887年)で、たったの100kgでした。その輸入は、原産地の中国からではなく、ヨーロッパ文化への憧れとしてイギリスから行われたのです。紅茶が、日本の茶の湯の伝統にも匹敵する船来の文化として、上流社会でもてはやされたということはいうまでもありません。

かつて日本でも紅茶が生産されておりました。しかし、それは輸出品として生産されていたのです。第2次世界大戦後しばらくは輸入に割り当て制がとられていましたが、輸入が自由化された1971年以降、わが国で販売される紅茶は輸入品に切り替わりました。わが国の紅茶の消費は、ティーバッグの導入や缶入り紅茶ドリンクの開発などを契機に、飛躍的に増加しました。同時に、リーフティーへの関心も呼び起こされ、紅茶の魅力が見直されてきたのです。今日では、あわただしい日々の生活にゆとりを与え、ちょっとおしゃれでヘルシーな飲み物として、ますます愛飲されるようになっています。


…という感じ。
今では手軽に摂取できる紅茶、昔は秘薬だったんですね。意外。

次回は紅茶のカフェインについてお話しようかと思います。
紅茶のお供によければお付き合いください。
では。

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