ネットにおける有料コンテンツの課金論について〜書き手の立場から

途中まで読んで「続きは有料」的なコンテンツ課金PFの私の嫌いな点は、途中までしか読まず、趣旨を誤解して、批判する奴が出てくる点だ。そんな奴に対して「全文を読め!」といいたいが、こっちも金欲しさに「続きは有料」としちゃってる後ろめたさがあるので、そこを強く反論しづらい。そりゃ私もイチ読み手なら「誤解されたくなけりゃフツーにブログかなんかで無料で全部を読めるようにしろよ!」と思う。

だいたい、物書きが読者に向かって、誤解だ!誤読だ!というのはとにかくカッコ悪いと私は思っている。コミュニケーションにおいては受け手こそが王様である。アマゾンのレビュー欄で、ネガ評に「誤読だ!」と反論してるような著者はカッコ悪いでしょ? (最初から無視されるべき受け手にはリーチしないようにするのが賢明。)

そういう意味では、有料メルマガは最初からファンしかこないし、そもそも「続きは有料」ではなく、最初から有料なので、スッキリしてるが、定期的に書かねばならない、というプレッシャーに今は耐えられない。この矛盾を解くためには、noteで見出し以外は全部有料というコンテンツを新規で不定期に書く、ということか?

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