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「離(り)」の時間

離れたいのは、本能。

時々、 旅に出たくなる。
きっとほとんどの人が持ち合わせている欲求の一つだ。

移動することは生きる可能性を広げることだから、動物の本能的なところもあるんだろうし、もはや宿命かもしれない。
でも、動くことで起こる未知の可能性との出会いや学びはわくわく楽しい。

もしくは、つらい状況から立ち直るのに有効な、身を守って安全地帯にたどり着くための、ポジティブな「逃避」という薬になる。
「現在地から離れること」は、現状を打破する有効な一手だ。

人によってその衝動や必要性の強さは異なるが、
私の場合は月に1回は300km以上遠くに行けるといい感じの息抜きができるし、年に1~2回は海外へ出たい。
旅している時は楽しいし、帰ってからもアイデアの糧となって企画も冴えたりする。

「離(り)」の時間とは

そんな風に普段の生活とは文化や風習が違う街へ行き、いつも属している関係性から外れることを、「離(り)」の時間、と、勝手に呼んでいる。
その間、普段とつながっちゃうスマホやPCと接触する時間は、なるべく短くしたい。
時々「離」を組み込むと、体・感情(心)・思考(脳/魂)が調和して、回復してくる。
より遠くへ加速して進むために必要な、立ち止まったり寄り道する時間だ。
やっぱり亀よりウサギの方が早い。(力配分を間違わなければ。)

「離」を、京都で。

京都は、時代に淘汰されない強固な文化と質が手に届く範囲にあるから、たまらない。
いつもの街と全く違う文化や時間が流れていて、大好き。

今日は、打ち合わせで京都駅に来たので、そのまま祇園の建仁寺さんへ。
日本へ初めてお茶の樹(チャノキ)をもたらして普及したので「茶祖」と呼ばれる栄西さんにゆかりのお寺。
薬草茶は茶外の茶だけれど、広い意味での「お茶」扱わせていただいているので新年のお参りに。

大好きな双龍図をはじめ、時代を超えてなお美しいものを久々に見たかった、、、というのもある。
そして何より、「離(り)」の時間を取りたかった。

真理を鑑みる、○△⬜︎の庭。

双龍図も風神雷神図も、圧倒的な存在感で目を見張り、心が揺さぶられる。
でも、このお寺で一番好きな時間は「⚪︎△⬜︎の庭」を眺めること。
静かに座って見ていると、脳内で禅問答が始まる。
ちょうど携帯の充電も切れたので、思う存分瞑想することにした。
(寒い季節はバッテリーの消耗が早いですね🐷)

この庭は、文字通り⚪︎、△、⬜︎の3種類のモチーフが石庭に仕掛けられている。
⚪︎と⬜︎はすぐ見つけられるのだが、「△はどこ??」と、見つけられない人も多い。
そう。△は視点を変え、庭とは何かを捉え直さないと見つからない。
「思考や言語に頼らないこと。」
△を見つけようとすることも、禅の教えに触れることなのだ。
そうすると、揺るがない芯が自分の中に通りはじめる。

6次元の中の、現在地を見つめる

「離」の時間は、自分の現在居る位置を再確認できる。
日常的にいると慣れてしまうけど、異質な日常という比較対象があることで俯瞰ができる。
当たり前のことは、案外当たり前ではない。

いつもは二次元のGoogle Mapに頼りがちだけど、身体感覚を頼りに6次元の中に自分の座標を定める。
(独断ですが、3次元+時間軸+関係性(縁)においての位置付け+文化・歴史・学問的潮流における立ち位置=6次元
…と仮定して、俯瞰しました。)

忙しいと狭まってしまう視野と、
ウェブの世界にアクセスしすぎて虚ろになりがちな意識を、
自然のスケール感に戻して、身体に即して、「今、ここで生きている」という実感を取り戻す。
そうすると傷ついた自己肯定感とか、勝手に作っていた思い込みや限界点とか、焦りや不安などネガティブな感情も、不思議と少し回復する。

不安になる原因は、わからないから。
全体を見据えて安心し、関わる物や事柄が少ない状態だと、「生きている」という、ただそれだけのシンプルな悦びやぬくもりに回帰できる。

体をゆるめて止まり、喋らないでいると、脳が勝手に思考の整理をはじめるの、脳科学も教えてくれる通り。
時々感情を波立たせながら、想いは駆け巡るのだけど、野放しにしてみる。

だいたい小一時間ほどすると、感情も思考も穏やかに静まるので、呼吸をもう一段深くする。
今度は、思考を手放す。
自分の体が空っぽの器になって風や光が通り抜けていくようなイメージで。
分子生物学の動的平衡、もしくは般若心経の色即是空・空即是色を思い出していくと、いい感じに「我」が固執していたものをリリースできる。
(動的平衡と般若心経はそれぞれ深いので、気になる方は本を読むか、ググってみてください◎面白いです。)

手放すものが多いほど、手を空ければ空けるほど、懐に飛び込んでくるものは大きくなる。

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動くことが動物の宿命なら、動く意志の舵をとろう。**

ポトリ、と、満開の白い椿の樹から、一輪の花が落ちた。
そこに花の意思はない。
(しかし花を落とす方が生存確率が上がるなどのDNAに刻み込まれた意味や必然性はある)

完全な植物と違って未完全な動物である私たちは、ついつい迷ってしまうし、動き続けないと生きていけないのだけど。
「すべての身の回りに起きていることは、自分が選択して起こったこと」だと肝に銘じながら、一つ一つの選択と丁寧に向き合いたい。
そんな言葉を残したのは、ハワイの哲学だっけ?
自分で自分に責任を持っていれば、生きることへのスタンスが変わる。
生きようとする。

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ということで、「離」の時間を持つと、心身が整うのでおすすめです。
体を休めて脳の整頓するのは、普段の生活の中でも要素の少ない空間で集中しちゃえばできるけれど、、、。
物理的に離れてしまえば無意識下も解放されるので、
羽根を伸ばす旅は、格別。

生活圏を突破して、思考の新陳代謝をラディカルに。

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