二人の愛は、川のようだ

RIVER/tofubeats

なんとなく長く一緒にいた男の人がいた。
出会い方は良いとは言えず女関係における印象は最悪で、出会ったその瞬間に私はこの人のことを一生心から好きにならないようにしよう、容易に信用したら傷つけられるに違いないと確信した。

そんな人と何年も一緒にいたことを周りの人に不思議がられたけれど、答えられる明確な理由は今になっても思い浮かばない。浮かばないくらい溶け込んでしまったのだ。
強いて言えば私の原動力だった、私と全く違う生き方をする彼はライバルだった。負けたくなかった。どんな違うベクトルの人生を歩んだとしても、対等に話し、ただただその人の本質をとらえるのは私でいたいと思った。人生において負けたくない人間を側に置くことはそんなに悪いことじゃない。負けたくない、と思うことはそれだけ尊敬してるとも言えるから。
ただ尊敬だけでやっていけるならば、友達のまんまでいいのだ。
愛やら恋やらはそこに充足感がないと続かないのである。この人にとって私は唯一無二だ、他に入る余地がないって思えないと意味がない、のだ。

一生心から好きにならないと決めた人と続けていくには、忍耐と我慢がなによりも大事だ。

干渉しない、求めない、頼らない
①相手の人間関係を把握しない②してほしいことを無理に通さない(特にスケジュール)③無理無理どうしても無理の精神状態の時に泣きつかない
この3しないを心に強く持って私と彼はスタートした。

何回かの誕生日やイベントを経て、彼と"生活"が始まった。不規則で夜の遅い彼に合わせるのは普通のOLをする私にとって、かなりしんどいことだった。しんどいはずなのに、3しないの反動か私はどんなに遅くてもご飯を作り、家を整えた。めんどくさがりで自分中心な私を知っている人間からすると奇跡、なのだがそんな私が人の体調を考えてご飯を作る日々があったのだ。
帰る時間に合わせてご飯を作っても、急な連絡で今日帰らないが入ることも稀でなかった。
平気な顔で了解と打ったあと、コンロに放置した鍋の中身が腐るように私の気持ちも静かに腐った。二人分のご飯を一口食べて、一人で自分はなんて気持ち悪い勝手な人間なんだろうと思って全部捨てた。
こんな気持ちになるのは、一人の人に絞るからなのだと思い、愛の分散を心がけるようになった。
一人にただただかけるのはリスクヘッジが下手すぎる、いつ裏切られてもいつなにが起こってもいいように私は"重くない女"であることに日々注力して生きることを決めたのである。

まあ、そんな歪んだ関係は続くわけもなく、彼はそんな私が許せなかった。まぁ、私も相手がそんなだったら無理だ。でもそれすら無理だった。よく雑誌にも"信じて欲しかったら、自分から心を開いて信じてみよう"とか書かれているけれど、そんなことができたらご飯を捨てる前にご飯あったんだよ!なんで帰ってきてくれないの!って最初から言えるわバカ。こじらせ女子なんて言葉だってここまで流行ってないのである。

途切れ途切れで短かった生活、彼がどう思ってたかはわからないがそんなに楽しくなかった。辛い8割、楽しい2割だった。相手を責めるのではないが、きっと向こうはそれなりに楽しかっただろう。でもそれは私の無駄でブサイクな思いがあったからだ。めちゃくちゃになったのは、私がそれに終わりを望んだからだ。好きを隠し通すことも、綺麗に関係を整理することも私には幼すぎて無理だった。
ただ今は、歪でたった唯一の生活が終わったことを静かに噛みしめるだけだ。
それにまだ私は3しない、の徹底ができていないので、自分のした最低で人を傷つけるようことを棚にあげて、言えなかったことを言葉で消化しようとしている。

#エッセイ

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