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ワクワク ホームステイこぼれ話 3                心と身体の食べ物 

文字数:12830字
 このシリーズは「その4」まで続けることにしました。

16.冷 蔵 庫

 Denverのキャバーサス家。
 初めてのウォーターベッドを出る。熟睡できる。今日も頑張ろうと自分に言い聞かせてみる。半開きにしておいた寝室のドア。その隙間から外の様子を探る。キャバーサス家の朝のしきたりが分からない。朝食はそろって食べるのか、それぞれが好き勝手に食べるのか、それとも朝食を食べる習慣がないのか。家中がシンとしている。
 そっと部屋を出てバスルームへ行く。歯を磨いたり顔を洗ったりする。コトッと物音。バスルームを出るとジャニスだ。
 「ハ~イ! おはよう。朝は何を食べたい?」
 ああ、助かった、とホッとする。朝食を抜くなんてとんでもないからだ。遅刻すれすれでも食べずに家を出ることはしないほどだ。自分だけでも食べるつもりだったから手間が省けた。

 テキサス州ヒューストンのコリンズ家。
 「欲しいものがあったら遠慮なく冷蔵庫を開けてちょうだいな。気楽に過ごしてくださいよ」
 ミセス・コリンズはそう言って私を歓迎してくれた。初対面の挨拶がこれだ。私もそうしようと心に決める。おじいさんがいて、いろいろ話しかけてくれる。そして彼が書いた自費出版の本を記念にくれた。別れてから数年後に亡くなったという知らせをもらった。
 ある日、お腹がとても空いてしまったことがある。昼食を取らない習慣がある家庭だった。
 「冷蔵庫から少しいただきますよ」
 「ええどうぞ。何かいいものがるかしら。シリアルなどどうかしら。でもお好きなものを食べてくださいね」
 カタッ!
 大型冷蔵庫の中にはびっしり入っている。パンを取り出す。バターを探す。すぐに所在が判明。中に何か挟むものが欲しい。見るとターキーだ。七面鳥だ。あまり期待できないがこれで我慢しよう。トースターで焼く。
 「まぁ、うれしいわ」
 何が嬉しいのかなと耳を傾ける。
 「だってね、うちに来て初めて自分から冷蔵庫を開けてくれたじゃない。これであなたもこの家族の一員に正式に入れたってことよ。家族は遠慮しないもの。遠慮のある家族はアンハッピーなのよ」

 我が家にニューヨークからローリーがやって来た最初の日。新幹線から降りてくる彼女を写真に撮る。例のチーズの笑顔ではない。やや緊張したアメリカ娘だ。車で我が家へようこそだ。
 疲れているのに我が家の紹介巡り。台所、リビングルーム、2階の部屋、そしてトイレだ。バスルームもだ。そして洗濯機。
 「洗濯物はここに置いておくと洗ってくれるから。自分で洗いたいときは使い方を聞いてね」
 なに、たいしたことはない。ただスイッチを入れるだけのことだ。
 「冷蔵庫も自由に開けていいから。飲み物以外は使う時にお母さんに聞いてからにしなさいね。夕食のおかずに取ってるのかもしれないから」
 「オーケー」
 次の日にはローリーは家族の一員に成り切っている。私たち日本人は、そういう意味ではなかなか家族に成り切ることが難しい。言葉通りに行動すると、本心とは違うことを言っていることがあるから、よそで言われたことをうかつに素直に受け入れ難い。

17.今日もビーンズ

 生徒たちも食べ物ではいろいろあったようである。
 「先生、私のホストファミリーは豆ばかり食べるんでうんざりですよ」
 「豆以外のものも食べてみたいんですけどって言ってみてごらん」
 「そんなことはとっくの昔に言いましたよ」
 「で、ホストファミリーは何と言ったの」
 「私たちの家族は豆がとても好きなのよ、健康にもいいのだしって」
 豆のことを英語では、一般にビーンズで表す。
 「ビーンズ、ビーンズ、ビーンズ、ビーンズ。今日もビーンズ、昨日もビーンズ、明日もビーンズ。ああいやになってしまう。たまには何かほかのおいしいものが食べたいのにっ」
 このセリフは、私がホームステイの最後に寄ったディズニーランドで買ってきた、ドナルドダックのマンガのビデ入っていた彼の最初の言葉である。
 それを聞くと、そう言えば日本語のひ表現にも同じものがあると、誰でも気づくに違いない。
 「今日もコロッケ、明日もコロッケ」
 とすると、アメリカの人たちが豆をよく食べるのは致し方ないことか。日本語の表現は、多分、いつも安いものばかり食べなければならない貧しい家庭での、主婦の嘆きなのだろう。あるいは子供のうんざりした気持ちなのかもしれない。
 「それならもうあきらめるしか手はないんじゃない」
 「そんなつれないこと言って・・・」
 「アメリカでのホームステイで、もしかして、一番アメリカらしい生活を体験しているのはあなたかも知れないよ」
 「そんな体験なんかしなくてもいいから、おいしい御馳走が食べたいよう」
 ポテトとビーンズはアメリカの食べ物の原点みたいなものだ。留学中に、朝食会の講師に招かれた時の豪華な食事の時に当たり前の顔をしてテーブルに乗っかっていた。
 ビーンズといっても、いろいろな料理の仕方があるのだとおもう。料理のことは分からないから、どんな種類があったのかは覚えていない。日本で、きつねうどんや、肉うどん、なべ焼き、てんぷら、月見などがあるようなものかも知れない。
 うどんで思い出したが、大学の寮では休日にはカフェテリアも休むことが多い。そこでキャンパスの周りで外食ということになる。探し回って目につくところは、ハンバーガー屋だ。どれを食べても似たような味がする。(ああ、日本ならちょっとした食堂があって食べたいものが出そろうのに)と思ってしまう。だがよく考えてみると、ポテトの代わりにご飯が、ビーンズの代わりにうどんが出てくるという違いに過ぎないことに気が付く。じゃああきらめよう、となる。そこで寮に戻って手作り料理に挑戦だ。

 「先生、私昨日も何も食べさせてもらえなかったんですよ」
 「君がまた、イエスと言わなければならないのに、ノーとでも言ったんでしょう」
 「先生、違いますよ。私のホストファミリーは毎晩のように外に出て、私は独りぼっちなんですよ」
 「食事は?」
 「自分で食べなさいって。夫婦二人で出かけてしまうんです」
 「それはいけないね。何か食べなさいとは言ってなかった?」
 「一応、冷蔵庫の中のものは何でも食べていいって言うけど、中には何もないんですよ」
 これは由々しき問題だ。ほっておくわけにもいかないが、彼女の言うことも信じられない。彼女が嘘をついているとは全く思わないが、何かの間違いではないかとそれが心配だった。よくあることだが、意思の疎通がうまくいかない例ではなかろう。

18.パーティー

 ホームステイで食べ物にありつけないという例は少なからずある。彼女の場合もその一つかもしれない。食べ物を食べそこなう例として意外と多いのはパーティーの後だ。
 「昨日は最悪だったんですよ」
 「昨日はパーティーがあったんじゃないの?」
 「ありましたよ。あったけど食事にありつき損ねたんです。アメリカのパーティーってワンパターンですね」
 ホームステイをするとかな必ず1度や2度はパーティーに呼ばれたり、自分のホストファミリーがパーティーをしたりする。たくさんの人たちが集まるのもあるし、ごく内輪の場合もある。
 「ケーキにアイスクリーム、そしてジュース。どの誕生パーティーに行ってもこのパターンなんですよ。結構アメリカらしくて楽しいです。ゲームをしたリ、おしゃべりをしたりしてあっという間に時間が経つんです。でも食べ損ねたんですよね。パーティーの時はいつもそうなんですよ。先生、どうしt利いいんですか。お腹が減って昨日は寝られなかったんです」
 アイスクリームと言えば私にも思い出がある。初めてのアメリカ体験の時のことだ。1970年と言えば随分昔になってしまった。ミシガン大学で学んでいた時だ。
 初めてドン・フォスターと出会ったのはその時だ。ある日、彼が私wお家に誘ってくれた。アイスクリームでも食べよう、と言うのだ。
 出てきたアイスクリームに驚いた。アイスクリームと言えば、その頃の私には上品なイメージがあった。ところが出されたそれは、中皿にやたらと高く積み上げられたアイスクリームだったのである。冷蔵庫を見てびっくりしたものだ。中に納まっていたアイスクリームの入った入れ物はバカでかい。研究者の英和大辞典を2冊積み上げたような大きさだ。
 「おかわりはいいかい?」
 とんでもないことを聴くものだ。アイスクリームにお代わりなんてことがあるのか。

19. 日 本 食

 私たち4人の日本人で、一度英語教室の先生とチェリー(ジャニスと一緒に働く副コウオーディネイター的役割)の家族を招いて、ジャニスの家を借りてパーティーをしたことがある。日本食試食コーナーみたいなものだ。
 ダウンタウンDenverに出かけて、日本食専門のスーパーで買い物だ。懐かしい食べ物が一杯並べられている。アメリカ人も結構買いに来ている。揃えるのは天ぷらとお寿司だ。お寿司と言っても手巻きずしにしようということになる。
 午後3時。戦闘開始だ。私は役に立たない。未経験者なのだ。衣をつけたりなどの、誰にでもできることしか仕事がない。キッチンに油が飛び散り、蒸し暑いリビングにその匂いが立ち込める。ジャニスが珍し気に覗き込む。キッチンは4人の大人たちの戦場としては狭すぎる。
 時間は5時。チェリー夫妻が先陣を切ってやって来る。台所を覗く目は好奇心のかたまり。そうこうするうちに教師たちの家族も続々お出ましになる。生徒が1人紛れ込んでいる。教師の家でホームステイをしている。彼女はお手伝いさんに早変わり。私よりはるかに役に立つ。
 午後5時半。招待客のお腹が唸り始める。裏庭での話にも限界が来たのか、リビングに頻繁に様子を見に来る。
 「あぁ、いいにおい。あとどれくらい待つのかなぁ?」
 「あと1,2秒ですよ」
 あとどれくらいかかるか聞かれても、しろうと集団に分かるわけがない。そこでいつもの仕返しだ。
 アメリカ人は何かというとすぐに、あと1秒(ジャスト ア セカンド)待ってという表現を使う。「セカンド」は「秒」のことだ。私たちだって使うが、彼らの文字通りの表現が気に食わない。「あと1秒」なんてことを平気で使う。そのくせなかなか戻ってこない。だからと言って、アメリカ人が時間にルーズだなどと思ったらとんでもないことになる。彼らは仕事に関しては、日本人よりはるかに厳格な面を持ち合わせている。
 それはそれとして、彼らの期待通りに時間が進んでくれない。
 「できましたよ、どうぞ」
 6時過ぎ。ようやく食事にありつける。
 「日本の食事は、時間がかかって大変ね」
 ジャニスの言葉にとげはない。本当にそう思っているのだ。彼女は毎日手料理を作っているが、キッチンにいる時間が極端に少ない。私は殆んどジャニスと同一行動をとっているが、彼女がキッチンにいるのを見た覚えがない日もあるほどだ。いつの間にかできている。オヴンが全てをしてくれるからだ。どの食事もどう考えても、手がかかっているようには思えない。あれなら私にもできそうだ。
 「初めて天ぷらを食べたわ」
 「この寿司はどうやって食べるのかい」
 「自分でおかずを選べるからなかなかいいじゃないか。これをノリに巻くのかい?」
 「私はノリは嫌いよ」
 ジャニスがノリを嫌いな理由がある。食わず嫌いなのだ。ノリを表す英語が悪いのだ。ノリのことを英語では一般的な言葉として、シーウィードと言う。ウィードがいけないのだ。これは雑草を表す言葉だからである。そこで私は、これはシーウィードではなくて、シーヴェジタブルですよと説明する。ヴェジタブルとは、野菜という意味だ。これなら抵抗が少ないはずだ。ジャニスはそれでもね、という顔をしていた。

20.残 り 物

 アメリカはレフトオーバ―の国でもある。何でも一度にたくさん作るので、余ってしまう。それを次の日にも出す。そこで余れば、更に次の日の食卓に顔を出しても珍しいことではない。無くなるまで出てくるものと覚悟を決めていると諦めがつく。
 アメリカ人は肉食だとよく言われる。間違っていない。しかし私たち日本人が考えている感触とは大違いである。
 私たちが肉食というときには、肉の塊を連想する。確かにスーパーに行けばとてつもなく大きな肉の塊が売っている。それなのに食卓に出てくるのは圧倒的にミンチが多い。大学の寮のキャフェテリアにおいても同じだ。
 生徒の中には、毎日のようにステーキを食べているとでも思っている者までいた。現実はその反対である。
 勿論例外があるのは当たり前であるが、一般的には、アメリカ社会は食べ物に関しては粗末に見える。食事にお金をあまりかけていない。
 ミシガン大学では、毎週のようにラムのステーキが出て感激したものだ。インディアナ州立大学では、いわゆるステーキは各学期に一度と言ったところだった。あとは殆んどクズ肉だ。
 生徒は自分の思い込みに失望してしまう。それが食事に対する不満の眼を時には一気に育ててしまう。そんな所にレフトオーバーが食卓を飾れば、騒ぎになってしまう。
 「ねぇ、うちなんか昨日もレフトオーバーよ。おとといの何か訳の分からない食事。テーブルに着いた途端に食欲全滅。楽しみを奪われた感じ」
 
 相変わらずジャニスは忙しい。家に帰ると最初にすることは、留守電を聞くことだ。そして必要とあれば電話を掛ける。見事なオフィスレディーぶりだ。
 しかし巧みに主婦もこなす。その変身ぶりが素晴らしい。いくら忙しくしても決して弱音を吐かない。ジョーにぶすぶす言うこともない。彼もジャニスの仕事に、あえて首を突っ込んだりはしない。仕事の分担をお互いわきまえているのには感心させられる。
 「俺はジャニスと結婚して本当に良かったよ。いつもおいしい食事が食べられるのは最高だよ」
 裏庭でピクニックだ。気分が変っていいものだ。ジャニスがキッチンに用事でいなくなると、ジョーは実感を込めてそんなことを話してくれた。
 「それからすると俺の弟なんかは気の毒なもんだ。彼は家で食事をするのが、一年のうちほんの数日しかないんだからな。奥さんは手料理を全く作らないんだ」
 「じゃあ食事はどうするわけ?」
 「そりゃあ外食しかないさ。彼のこどもたちが可哀そうでね」
 「えっ、毎日外食?」
 「そうさ、毎日さ。こんなことってあっちゃいけないのに」
 アメリカでは外食をする頻度は極めて高いと思う。夕食ですらハンバーガーで済ます人たちがたくさんいるほどだ。私たちがうどんを夕食代わりにするようなものだ。そんなことを毎日続けるなんてことを、想像するだけでも忌まわしい。
 その弟がユタ州からやってきて、2日ほどジョーの所に泊まったことがある。とても陽気な青年だった。ジョーが31才だったから、彼は20代中頃位に見えた。
 朝から晩まで冗談を言ってみんなを笑わせる。そんな彼をデイミアンもライアンも好きでたまらない。彼の家来よろしくついて回る。彼の一挙手一投足が面白くてたまらないのだ。もう寝る時間だよ、と言われても目はますます冴えわたる。
 「ここに来るとジャニスの手料理が食べられるからな。ジョーがうらやましいよ。毎日毎日おいしい食事が食べられて」
 冗談とも真剣ともつかないしゃべり方だ。その目が本心を打ち明けている。そのおいしそうに食べる食べ方は偽れない。ユタ州からコロラド州まで食事をしに来たわけではない。自分のトラックをジョーに買ってもらいに来たのだ。事業に失敗して、相棒に仕事を乗っ取られてしまったのだ。
 「俺だってお金にゆとりがあるわけではないんだ。家のローンもあるし、でも俺は弟を愛しているんだ。弟が不幸になるのをただ手をこまねいて見ているわけにはいかないんだよ。ジャニスだってそこのところは分かってくれてるさ。だからあのトラックを買うことに決めたよ。今のところ必要ないけれどね。彼にもそのうちいいこともあるさ。神様を信じていさえすればな」
 しみじみ話すジョーの目にはうっすらと涙が流れてくる。本当に弟のことを心に留めているのが手に取るようにわかる。私のような居候の前で素直に涙を流せるジョーが羨ましい。アメリカ人の素直さだ。ホームステイに来たものをすぐに家族扱いする柔らかさが、アメリカの強さなのかもしれない。

21.身 の 上 話

 ジョーの弟は、ユタ州のソールトレイク・シティからやって来た。そこはモルモン教の総本山のあるところだ。ジャニスもそこで子供時代を過ごしている。
 「チェリーもモルモン教徒なのよ。私は決してモルモン教徒にはならないわ。あまりいい思い出がないからだし、何といってもキリスト教が絶対だあって分かってるから」
 話は奨学金のことから始まった。
 「私は高校時代はずっと奨学金をもらっていたの。お母さんがよくそれを自慢してたわ。うちの娘は奨学金をもらってるのよってね」
 「日本では奨学金をもらってる生徒は、もらってることを人に知られたくないと思ってるのが多いですよ」 
 「えっ、何故? なぜなの?私たちの国では自慢なのよ。だって優秀でないともらえないんだもの」
 「この頃は違うけれども、日本の奨学金制度は元々貧しい家庭の子女がもらっていたんですよ。だから私ももらいましたよ。最近では必ずしもそうではありませんがね」
 「アメリカだって貧しいからもらうのよ。私の家庭はとても貧しかったわ。少女時代はとても惨めだったの。家庭的にはね。だからジョーと結婚出来て今はとても幸せよ。母はあまり賛成でないけれどもね。今でも何となく気まずいの。でも神に祈ってるから、そのうち理解してもらえると信じてるわ」
 私の見る限り、二人の結婚は大成功のはずだ。どう見ても反対する理由は無さそうに見える。ジャニスの長い身の上話が続いたが、あまり覚えていない。
 「高校を卒業してからは、地元のソールトレイク・シティで仕事に就いたわ。あそこは殆んどの人がモルモン教の信者なの。オフィスでもクリスチャンは私くらいだった。しばらく働いているうちに、私がキリスト教徒だってことを上司が知ったわ。彼のオフィスに呼ばれて、モルモン教を信じなさいだって。私はキリストを信じていますから、モルモン教徒にはなれませんって言ったのよ」
 私は耳を疑った。
 今までいろんなアメリカの恥部を垣間見てきたつもりだった。あちこちで見え隠れする人種差別。国家に迎合する宗教家。善人のふりをした偽善家。人の性をとことん売り物にしている醜い裏街道。
 しかし、宗教が人を直接脅かすことは考えられなかったのである。少しはあるにしても、これほどまでとは思ってもみなかった。
 「結局私は仕事を追われることになってしまったわ。それでこのオーロラに来たってわけなの」
 「アメリカでもそんなことがあるんですね」
 「そりゃぁあるわよ。最もユタは特別だけどね。結局彼らに感謝しなければいけないの。だって、追い出されたおかげでこんな楽しいやりがいのある仕事が見つかったし、何しろ家にいてできるのがいいわ。あなたたちが日本に帰ったら、その次には一年間の留学生を受け入れることになってるの」

22.教  会

 キャバーサス家は毎週日曜日になると教会へ出かける。
 生徒の1人、ミエはそこの副牧師さんの家にホームステイしている。私が教会堂に入っていくと、ほっとした顔を私に向けた。
 「あなたも来てたの」
 「はい、私は早くからきて、日曜学校にも出させられてもう退屈で。だって何を言ってるのかさっぱり分からないですもん」
 「それは気の毒に。でもアメリカに来たのなら、教会に来て雰囲気を味わうだけでもしておくと、あとで良い思い出になると思うから、我慢しなさいよ」
 「でも讃美歌をたくさん歌うからそれなりに楽しいなって思ってはいるんです」
 日曜学校と言うのは、文字通り日曜に持たれる学校のことだ。そこでは聖書の勉強がある。日本の教会では主に、子供を対象にしたクラスから成っている。アメリカの教会の場合は、全ての年齢層に分かれてクラスが持たれる。それが終わってから礼拝がある。
 各クラスの責任者はそこの教会の会員から選ばれる。選ばれることは名誉なことなのだ。社会的にも人物を保証されたようなものである。アメリカ社会ではこれがなかなかものをいう。
 日曜学校の人数が、その教会の規模を表す。だから、教室になる部屋をたくさん確保しておかなければならない。見た感じではそんなに部屋がありそうになくても、地下にたくさんある場合が多い。各クラスは少人数制を取っている。
 日曜学校と共に、小学校などを併置している教会もある。キャバーサス家の所属する教会にも小学校があった。とは言っても、建物は教会のものをそのまま使うだけである。生徒数は何とたったの20数名。教師は4人だったと思う。私たちのホームステイの英語教室で協力する教師にはその中の3人がなってくれていた。
 公立に行けば一切費用がかからないのに、彼らは高い費用を払ってこの学校を選ぶ。デイミアンもライアンもここの学校の生徒だ。
 「最近の公立学校はダメなのよ。教師が、神様のことや、キリストの救いのことを話してはいけなくなってしまったの。堕落してしまったものだわ」
 「人数が少ないから費用が大変でしょう」
 「ええそうよ。でもお金の問題ではないの。子供の将来がかかってるの。それは私の大好きなアメリカの将来がかかってるってことなの」
 アメリカの強さの秘密を見た思いだった。子供の心を大切にしたいという親の素朴な意思の表れだ。学歴のために、幼稚園から騒ぎまくっているどこかの国との差が表れる時が怖い気がした。
 教会に学校があるという話はよく耳にしていたが、こんな小さな学校を教会があえて持っているということに驚いた。
「あの先生たちはとてもいい先生なのよ。殆んどタダ働きみたいなものね。博士号を取ろうかって言うのに、頑張ってくれてるの」
 とてつもなく大きな学校を持っている教会も勿論ある。実際に見たことはないが、日曜学校が5000人、一万人と言うのもそう珍しくはないらしい。テレビでも放映されたことがあるが、LAのクリスタルチャーチなどはその典型だろう。
 私が実際に出席した中で一番大きな教会は、ヒューストンにある教会だった。
 コリンズさんが連れて行ってくれたのだ。彼はそこの教会員だった。私たちは2階の一番前に陣取った。教会堂が敷地の真中にデン、もう十分に大きな一つの教会のようなものだ。
 確かもう一つ建物があった。その3つの建物のまわりを駐車場が取り巻く。
 次から次へと車が運び込まれる。まるで社交界の出現だ。石油成り金の広大なマンション街の近くにある教会だ。高級住宅地からもやって来るはずだ。現にコリンズさんたちもこうしてやって来ている。彼らはジョージ・ブッシュ元大統領が以前住んでいた近くの住人だ。
 車から降りる人々は、お互いに優雅な挨拶だ。身体中にしみ込んだ上流階級だ。駐車場の広さにあきれていたが、その広さを感じさせない車の数だ。
 「この教会の牧師は、日本にも行ったことがあるのよ。去年だったかしら。あなた、ビリー・グラハムって先生、知ってる?」
 「ええよく知っています。ちょっと前に、私たちの近くの野球場に来られたことがありますから」
 「もしかしたらその時だったかもしれないわね」
 ビリー・グラハムと言うのは世界的な大伝道者で、それこそ世界を股にかけて飛び回っている人である。 
   (注:たまたま得た情報によると、2018年2月21日死亡 享年99歳)
 「そのビリー・グラハム先生と同行していたの。とても話の上手な先生よ」
 そんなおしゃべりをしているうちに奏楽が始まる。荘重な楽の音だ。パイプオルガンからのものだから無理もない。目をつむって聞くだけでも、その日来た甲斐があったと思った。
 讃美歌を歌う声が明るく重い。1500人からなる大会衆だ。何しろクワイアでさえ100人近い。この合唱隊の歌は、聞く価値のある素晴らしいものだった。
 「一度では入り切れないから、礼拝が2度あるのよ。私たちはいつも2度目の礼拝に来ることにしているわ」
 ミセス・コリンズが小声でそっと耳打ちをしてくれる。
 「一度目とか二度目とかはどんなにして決めるのですか」
 「自分で好きな方を選んでいいのよ。だから友達と打ち合わせてくることもできるわ」
 折角なので夜も連れて行ってもらった。
 「二階の定位置に座る。誰も上がって来ない。
 「シャンはここが気に入ってるの。誰もいないからいいらしいのよ」
 シャンとはミスター・コリンズのことだ。
 下を覗いてみる。結構たくさん来ている。800人と言うところか。
 留学中私が通っていた教会は、日曜学校の生徒数が300という中規模の教会であった。
 日本から到着後、大学の寮に入ると早速電話帳を調べる。
 「明日お宅の教会に行ってみたいのですが」
 「明日8時半に、教会のバスが寮に迎えに行きますから待っていてください」
 次の日にバスを運転してきてくれたのは、ジャックという30代前半の男性だった。その後彼にはお世話になり続けた。毎週日曜日の朝、彼はある一定のルートをまわって車のない人々を拾う。地下には教室が10くらいあった。日曜学校では、アメリカらしくディカッション形式で時が過ぎて行く。だからそれほど飽きることもなかった。みんな思ったことを遠慮なく口にする。
 朝9時からの始まりにはまだ早い。誰も来ていない。約20ほどの椅子が並べてある。入ってすぐの所に、コーヒー沸かし器が置いてある。紙コップにコーヒーを注ぐ。スカッと朝の眠気を覚ます香り。香りの割にはおいしくない味。まさにアメリカンコーヒーの面目躍如だ。その熱さでゆっくりと過ぎて行く時間と付き合う。
 「おはよ~っ」
 「オウ、ハーイ」
 こうしてクラスが始まる。クラスの責任者は、ハンサムな教会のクワイア(合唱隊)のソリストだ。
 あちこちの教会に出てみたが、ここの教会ほど音楽の優れた人々を擁した所はないほどだ。ソロ、デュエット、カルテット、バイオリン、ジャズバンド。何でもござれの素晴らしいクワイアだ。従って、その合唱を聴きに人々が集まって来る。
 日曜学校のクラスが終わると、地上階に上がり礼拝が始まる。それぞれのクラスからみんなが集結してくる。どこにこんなたくさんの人が吸い込まれているのか、と思うほどの数になる。それぞれが挨拶をしながら上へ上への行進だ。足の悪いお年寄り。みんなの心配りが、とてもさりげない。

23.さりげなく

 そう言えば、ホームステイの感想文の中に「さりげなく」がとても印象的だった、と書いていた生徒がいた。
 あるレストランに行った時に、小さな女の子が近づいて来て話しかけてきたのである。その生徒が英語を話せると思ったらしい。何か聞いているのである。彼女が少し困っていると、11歳になるホストファミリーの子供が彼女をフォローしてくれたというのである。そのフォローがさりげなく行われ彼女はとても感激している。
 この「さりげなさ」を味わう経験をすることはとても多い。困っているものに手を貸すのは、当たり前の行動様式なのだ。これは中世の騎士道精神と大いに関係があるように思える。
 レディーファーストの精神と相通じるものがある。キリスト教文化のなせる業なのだろう。私たち日本人は、もっと彼らを見習っても良いのではないかと思う。何か良いことをする時も、自分が恥ずかしい気がするのだ。勝手に照れてしまうのだ。良いことをして恥ずかしいはずがないのに、である。
 親切の受け方も下手くそだ。何か借りでも受けたかのように振る舞う。だからお返しに気疲れする。さりげなく親切を分かち合うことが出来ないのである。

 アメリカの大学で教授をしている日本人の知人がいた。彼はアメリカ中を車で走り回るのが好きだ。というより、飛行機が嫌いなのだ。怖いのだ。
 「そんなに怖ければ、日本からアメリカへはどうやって来たんですか?泳いできたんですか?」
 「いや、さすがに飛行機だよ」
 彼はまじめな人だ。返事など聞かなくても分かる。
 他の大学で講演を頼まれると、どんなに遠くても車で移動するのだそうだ。たまたま私がいた近くを通りかかったため、会おうということになった。寮から彼が泊まったホテルまでは歩いて10分程度のところだ。出かけて行くと、でかいアイスクリームのボックスを冷蔵庫から出して御馳走してくれた。他にも彼の知り合いがいたので、みんなでアイスクリームパーティーみたいになった。とはいえ、さすがにボックスが大きすぎた。食べきれなかったのだ。
 「ちょっと待っててくださいよ」
 彼はまだ半分以上も余ったボックスを持ってホテルの部屋を出て行った。ほんのしばらくすると、手ぶらで部屋に戻って来た。
 「どこに行かれてたんですか」 
 彼は隣の部屋に行っていたというのだ。アイスクリームが余ったからいりませんか、と聞いてみたそうだ。すると、見知らぬ隣の人は、それはありがたい、と言って喜んでくれたということだった。
 「アメリカではいつもそうするんですよ」
 私も一度だけアメリカ一人旅の時にやってみた。なるほど自然に受け取ってもらえた。次の日の朝、たまたま朝食でご一緒することになった。お互い普通に挨拶しておしゃべりだ。私は少し気まずかった。私がしたのは親切でも何でもない。実験をしてみたかっただけだからだ。

 その話はさておき・・・
 ある日の夕方、ジャニスがニコニコしながら帰って来た。
 「ねぇ、聞いて。今日は最高の日だったのよ」
 余程うれしいことでもあったのだろう。いつも機嫌のいい彼女がその日は特別だった。
 「ミチコのホストファミリーから聞いた話だけどね」
 ホストファミリーから文句ばかり聞かされていた頃なので、ジャニスは嬉しくてたまらなかったのであろう。
 「リズが昨日、ミチコを連れてレストランに行ったんだって。その時のことよ」
 自分のことのように喜んでいる。何か分からなかったけれども、私も嬉しくなってきた。生徒のことで久しぶりにいい話が聞ける。
 リズというのはミチコのホストマザーだ。彼女はローガン家に迎えられている。ひょうひょうとした生徒だ。口数の少ない生徒だ。マイペースで歩ける人だ。自分を冷静に見つけることのできる娘だ。クールだが人のことを考えることのできる生徒だ。
 ローガン夫婦はまだ若い。首が座ったばかりの赤ん坊がいる。ミチコを喜ばせようと、夫婦は彼女をレストランに連れて行った。中華料理だ。東洋的香りのする料理だ。リズたちの心遣いだ。
 料理が出てくると、赤ん坊が食べるのを邪魔する。リズは片手で抱いて食べにくそうだ。そのうち赤ん坊がむずかる。むずかった赤ん坊を抱くリズは食事どころではない。いらいらしてくる。腹立たしくなってくる。
 その時ミチコの手が伸びる。あっという間に赤ん坊は彼女の手の中だ。大きな泣き声。反った小さな体。暴れ回る手足。それがリズの手から取り去られる。
 「わたしがめんどうみます。だからしょくじをたのしんでください」
 リズの心はパッと開く。今まであまり口を利いてくれなかったので、楽しくないのかと思っていたのだ。自分のもてなしが悪いのかしらと思い悩んでいたのだ。考えた末のレストラン行きとなったのだった。
 「まあ、ありがとう。とても助かるわ。そうさせてもらうわね」
 彼女は嬉しくて、ジャニスに話さずにおれなかったのである。この家族にあった誤解が、たった一つのさりげない思いやりで消えて無くなったのである。

結局、このシリーズは全4本にすることに決めました。タイトルは「ワクワク ホームステイこぼれ話 その4 ワークショップ」です。




 



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