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ナイアガラ 前と後

驚いた。

目の前に展示されている絵画?それとも写真?
2016年にハンティングトンライブラリー訪問の時だ。

発見当初のナイアガラ

いろいろな書籍の初版本に気を取られながら、
また、見たこともない珍しいものを見ながら、
部屋を移動していると、
どこかで見たことのある風景に出くわした。
薄茶色に日焼けしたような写真だ。
その写真に写っているものが、
ナイアガラの滝だったのである。
 
しかもその映像はナイアガラの滝を発見した当初のものだ。
発見した当初の
世間の驚きようなども書かれていた。
あの轟音に気づいていたらしいのだ。
しかしそれが何の音かが分からなかったのだ。
探検隊が出動する。
そして、ついに発見と相成ったのである。
 
相当な騒ぎになっただろうことは容易に想像できる。
分かっていても、滝を見たものには、想像できる気がするのだ。

1970年

私が初めてナイアガラを訪れたのは、
何度か書いた記事があるが、
1970年夏である。
 
ミシガン大学のあるテレホートから
夜行でバスの乗り継ぎをしながら
たどり着いたのだった。
着いたバス停には
大きな広場があるだけで、
私の気持ちとしては「拍子抜け」と言った気分だ。
ケーブルカーで河岸に行くと、
ナイアガラの大きさ、激しさ、高低差に
兎に角仰天した。

(左上は回転レストラン)
(ケーブルカーはナイアガラの滝により近く)

そして川に沿った大きな空き地は
観光地とは到底思えないほど何もなかった。
その寂れが、滝のすごさを後押ししていた。

ホースシューフォール(馬蹄形滝)

「霧の乙女号」に乗って、
滝つぼのすぐそばまで行く。
いくら支払ったか覚えていない。
そんなことは問題ではない。
給料の約1か月分の費用をかけて
キャンパスのあるテレホートから
滝まで行ったのだ。
船に乗って滝つぼを体験できるなんて
夢のような体験だった。

船に乗るときに
借用したゴムでできたレインコートは
蒸れるようなにおいが私を悩ませた。
臭いに参っていたのは
他の観光客とて同じことだったはずだ。
通気性が全くないのである。

1988年

私はどうしても妻を連れて行きたかった。
ワシントンDCから飛行機に乗った。
目指すはバッファローだ。
飛行機を降りると、
そこにはたくさんの観光客が
うろうろしていた。
 私たちは日本人の女子大生を捕まえた。
少しでも安く滝まで行きたかったのだ。
女子大生2人組は
恐縮して同じタクシーに同乗した。
 
空港では、どうしていいかわからないでいた、
と言うのである。
声をかけてもらえてうれしかった、
と言うのである。

20ドル(当時のレート換算:7200円)を
半分ずつ持つことにした。
チップは私たちが持った。

妻とは、カナダの滝の裏側から見るツアーに参加。
その時は透明のビニールのレインコートだ。
おかげで土産として持ち帰ることができた。
 
通路から、空いた場所の向うにある滝を見届ける。
時折、すさまじい勢いの水が吹き付けて、
中にいる見学者をずぶぬれにする。
それが見学者に大きなスリルを与えてくれる。
 
1970年に私が観た広場のような場所には
いくつかのレストランや土産物屋が出来ていた。
 
私たちは高台にあるドライブインホテル(モーテル)を予約していた。
そして近くのレストランで
鶏の手馬肉を食べた。
大きな皿に山盛りで、
食べきれずにモーテルに持ち帰った。
翌日、同じモーテルに宿泊していた
日本人の男性の学生と
タクシーを同乗してバッファロー空港に戻った。

1989年

この年は同僚とアメリカを訪れていた。
当然のようにナイアガラを訪問だ。
バッファロー空港から前年同様タクシーで行く。
タクシー料金は変わらず20ドルだ。

上が円形になっている塔が回転レストラン

当時同僚でもあり教え子でもあった
女性とナイアガラのレストランで
待ち合わせることにしていた。
回転レストランだ。
長蛇の列に並ぶのだが、
その前に無事卒業生夫婦と合流。
レストランでは残念ながら
窓際の座席とはいかなかった。
中の方の席だったので滝を見下ろすには
少し無理をしなければいけなかった。
 
日本からの予約がなかなかうまくいかず、
苦労したが、ようやく取れたホテルが
一番高いホテルしか残っていなかった。
ハガキでのやり取りが主流だったので
イライラするやり取りだ。
今ならメールですぐだが、
当時は往復2~3週間もかかったのだ。

私はホテルは寝てしまえば
どこも同じだと感じる人なので
もっと安いホテルにしたかったが
そうも行かなかった。
その日はナイアガラで祭りがある為
どこのホテルも予約できなかったのである。
唯一予約できたのは
その一番高いホテルだったのである。
 
実は妻と一緒に行った時のモーテルは
確か、10ドル~15ドルくらいだ。1ドル250円~200円の時代だ。

(滝の袖に当たる部分のデッキからの眺め)

この時は、滝をすぐ横から眺めるツアーだ。
これはこれで満足できる眺めだ。

1994年

この年のナイアガラは大人数で押しかけた。
高校生の修学旅行として
私が企画したものだ。
 
2泊3日のホームステイ、ナイアガラという大自然、
大都会ニューヨーク、アメリカ初期の歴史の地、フィラデルフィア、
文化と政治の中心地、ワシントンDCで締めくくりだ。
 
生徒たちは大自然に夢中だった。
それぞれが自由行動で大自然を満喫だ。
私は一部の生徒たちと
ナイアガラ川の大渦を見下ろす観光だ。
真っすぐに川の真ん中まで行くケーブルカー。
その真下には渦が勢いよく水をかき混ぜる。
 
この修学旅行は3月に実施された。
そのことが私にとっては幸運だった。
一度でいいから見たかった景色がそこにあったからだ。
アメリカ滝の凍った素晴らしい景色だ。
 

2015年

この年はトロント→ニューヨークの旅程での一人旅だ。
それまでは一度として行こうとも思わなかったトロント。
実は卒業生がそこに住んでいる。
つい先日、実家に帰ってきた。
私も誘いを受けて、
彼女の友人宅で合流した楽しい一日。
長男を連れて来ていて、彼とも再会だ。
トロントでの思い出に花が咲いた。
 
トロントでは、1週間をアパートメントで暮らした。
近くに24時間のスーパーがあったので、
備え付けのキッチンで料理だ。
自分で作るが、安くつく。
今は円高でもっと高いかもしれないが、
当時は「山頭火」のラーメン店が近くにあった。
パリでラーメンを食べ損ねたので、
トロントで食べることにした。
私は日本でラーメンのために列に並んだことはない。
 
トロントで順番が来たので入店。
そこそこおいしかったのだが、
値段が高かった。
しかも、チップを払わなければならない。
円安の今なら目が飛び出るのだろう。
 
そんな自由な気分でのトロント滞在。
ダウンタウンの中心部に
ダンダス広場というのがあった。
その辺りをうろついていると、
9番線くらいまであるバスターミナルを発見。
中をうろついてみると
そこからナイアガラ行きの長距離バスが出ることを知った。
 
予約を取って、ナイアガラに出かけた。
私にとっては3種類目の滝までのアクセス方法だ。
何時間かかったのか忘れた。
チケット予約の時に
ナイアガラにカジノのあるホテルができていることを知った。
生まれて初めてのカジノ体験もいいかな?
などと思ったが、怖いし興味ないのでやめた。
実はそこが終点なのだ。
カジノをしない普通人にはその1つ手前が終点だ。
 
降りてみて不安になった。
私は方向音痴なのだ。
遠くの方からナイアガラの滝の轟音が伝わってっ来る。
私は角を曲がるたびに記憶に収めるのに必死だ。
しばらく行くとナイアガラ川沿いの道に出た。
みんな同じ方向に行く。
乗っていた人たちの殆どが同じ方向だ。
 
その前に、バスを降りたらチケット売り場に並ぶ。
みんなが並んでいたからだ。
帰りの座席の予約をするのだ。
 
私は初めての「アメリカ滝」側に行くことにした。
それまではアメリカ滝を正面に見てきた。
その滝のそばまで行くことに決めたのだ。
それには、アメリカ側に行かなければならない。
 
レインボーブリッジを渡る。
途中でインドネシア人カップルに出会う。
写真を撮りあっていたのだ。
 
「折角だからお二人一緒に映してあげましょうか?」
 
いらぬおせっかいだ。
でも2人は喜んでくれた。
橋を渡り終えると
アメリカに入国するためのゲートがある。
クォーター(25セント貨)2枚を入れないといけない。
いくら探しても見つからないのだ。
 
ちょうどそこへさっきのインドネシア人カップル。
どうしたのか、と心配して声をかけてくれた。
しかも、25セント貨2枚を私のために入れてくれたのだ。
 
入ると窓口でパスポートを見せ、スタンプ。
入国許可なのだ。

手前がアメリカ滝、遠くが馬蹄形滝

アメリカ滝の姿に感動することになる。
滝に向かって一心不乱に流れる水。
その音が迫力満点だ。
すぐそばをゴーゴーと流れる。
波がうねりながら力いっぱいだ。
カナダ側の滝と比べれば
相当小規模だ。
それでも私は後悔しているのだ。 
今まで一度もアメリカ滝に来なかったことを。

今回はアメリカ滝を満喫した後に、
いつものカナダ側の滝をうろついた。
 
さすがのナイアガラの滝も
1970年と同じ勢いだ。
同じスケールの大きさだ。
細かく言うと、
少しずつ削れて、滝は後退しているらしい。
私はそれを聞いたときに納得できた。
1970年に見た滝の場所より、少し位置が違う気がしていたからだ。
 
今度ナイアガラに来る時には・・・カジノ・・かな(笑)
 
 

 
追伸:トロント観光を終えてから、予定通り、ニューヨークへの一人旅をした。その時に泊まったのがアメリカ式カプセルホテル(「タクシー乗り場 その4」の記事参照)

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