見出し画像

「らんまん」in 福岡

まえがき

私のNHKの朝ドラ人生は、今から約20年前にさかのぼる。専任教師としての人生からの退職だ。おかげで朝の時間がゆったりしたのである。妻が朝ドラファンだったことから、チャンネル権のない私は、朝ドラファンにならざるを得なかった。
半年に一本だと、すぐに忘れてしまう。
この前「ブギウギ」が終わったが、その前が「らんまん」だったことが辛うじて脳の中に爪痕が残されている。
実は「らんまん」の時に、書こうと考えていたものがあるが、今回はそれを書くことにした。少し長めになるが許していただきたい。

匿名のらんまん

匿名とは、私自身のことだ。
「福岡のらんまん」(こんな朝ドラ名はない)に出てくる主人公のことを書こうと思ったのには訳がある。彼が私が勝手に命名した「らんまん」人生を歩むきっかけとなったのが、中学に入った頃だと知ったからだ。そこで、その「福岡のらんまん」のきっかけとなった中学前後の匿名の人物の「らんまん」人生のきっかけとなった出来事をいくつかご紹介して、最後に「福岡のらんまん」の人物がなした人生を覗き見ることにした。

1.植物採集

 はるかな昔、私は夏休みにはほぼ間違いなく毎日外遊びをしていた。近所の子供軍団と遊びまくっていた。

すぐ裏のN小学校の運動場の裏山に登っては植物を採集して、帰宅するとそれらの植物を新聞紙に挟んでその上に本などを乗せて乾燥させるのだ。

裏山だけではない。近くのK山に登ってそこでも採集活動だ。

その山には何十回登ったかわからない。

つい先日も遊びに来た卒業生と登ってきた。

子供の頃は、
父親が礼拝後、昼食が済むと
 
「行くぞ」
 
この掛け声で私は父親にくっついて行ったものだ。
 
採集した植物の名前を探すのが、大変な労力だ。
我が家に1冊しかない安物の植物図鑑で必死で調べるのだ。
 
探す植物を発見したときには、図鑑にしがみつかんばかりにして文字を追ったものだ。
見つからないときは、N小学校裏手にあった児童図書館で図鑑を借り出すことまでしていた。
 
親は植物の名前に詳しかったことを覚えている。 

2. 昆虫採集

 植物採集をしない夏休みは、昆虫採集だ。昔は昆虫はどこにでもいた。毎日捕まえては、昆虫に防腐剤入りの注射をした。その道具をどのようにして手に入れたのか覚えてはいない。兄弟がすでに手に入れていたのを分けてもらったのかもしれない。

昆虫採集も裏のN小学校の運動場に隣接している裏山だ。

カブトムシなどは別の場所に行かないと姿を捉えることはなかったが、見つけると興奮したものだ。

あまりの鮮烈な記憶に、同じ感動を味合わせたくて自分の子供を早朝カブトムシを探しに出かけたことがある。

ある場所を知り合いに教えてもらったのだ。

そこに行くと、街灯に群がってくるというのだ。

街灯と言っても山の中の道にある薄暗いものだ。

子供二人を乗せて車を走らせる。
道は真っ暗だ。

山の中の道。

地元では農免道路と呼んでいる。

 走る車はどの車もフルスピード。
 子供を乗せた車は 制限速度内だ。
 後ろからものすごいスピードと轟音をたてて
 抜き去った車があった。
 山道なので、曲がりくねっている。
 当然往復2車線の狭い道だ。
 
 「おとうさん、あんなスピードで走ったら、
 事故になるよねぇ!」

 「そうだね、危ないね」

  それから10分くらい走ると、
 さっきのスピード王の車が目に入る
 見事なまでの事故だ。
 だから言わんこっちゃない。

 そこから5分ばかりの道のり。

 目的地だ。

 地元では有名な温泉場だ。
 泊りはない。
 温泉だが、大衆浴場みたいなものだ。
 その入り口に街灯がある。
 その周りにカブトムシが群がるのだ。
 
 子供たちはもう大はしゃぎだ。
 それもそのはず、
 すでにカブトムシのオンパレードだ。
 つかみ放題だ。 
 興奮して虫かごに投げ込む感じだ。

帰りの暗い道は楽しい。

 車の中は大はしゃぎの花火だ。
 懐中電灯で虫かごを覗き込む。

 あっという間に帰宅してしまう。

さてと、もうひと眠りだ。

 子供たちは眠れるわけがない。
 運転者は疲れるのだ。

  次の日は近くの材木屋さんに行く。
 子供たちがカブトムシを育てるというのだ。
 材木屋さんに鉋屑をたくさん分けてもらった。
 ついでに木の切れ端をたくさんもらった。

運転手はいつの間にか
 ハンドルの代わりに
 ノコギリ、金づち、曲尺(カネジャク)を手にする。

 大工さんに見えたかも。。。

 材木屋さんの帰り道
 ホームセンターで金網を2mほど手に入れた。
 ノコギリの使い方、釘の打ち方の実習授業だ。
 子供たちは失敗をものともせず
 ベランダでカブトムシのお家づくりだ。

またもや朝ドラからはぐんぐん離れている
 軌道修正だ。

3. アリ研究

 昨年(2023年)のある日、小学校6年の時のクラス同窓会の案内が来た。
 いつの間にか、ラインの友達扱いになっていた。
 私が5年の3月に転校した学校での同級生たちだ。
 ラインに登場する人の名前が分からない。
 
 このクラスの同窓会は一年ごとに開催される。
 幹事さんがいつも声掛けをしてくれる。
 毎年同じ人が幹事をやってくれている。
 地元に引っ越したころから参加を始めた。

今回はコロナ後初開催だ。
 
私は転校してから、その6年生の夏に
住んでいた家の敷地内を大捜索した。

アリに興味を持ったからだ。

敷地内のアリの住処を発見する作業だ。
トイレ付近にいるアリ。
 (当時のトイレはポッチャントイレだ)
その正反対の場所にある玄関付近のアリは
トイレ付近のアリとは異なる種類だ。
庭に右往左往しているアリはまた違うのだ。
 
もう覚えていないが
4,5種類のアリが敷地内に存在していた。
同じアリにも顔かたちが違う存在に気が付く興奮。
虫眼鏡で覗き込む。
それを絵にする。
絵は下手だ。自覚している。

興味が高じて、アリを飼ってみた。
逃げ出さないいようにするのがひと工夫だ。
近くの公園から砂をせしめてきた。
アリの飼育は面白かった。
アリたちがせっせと動き回るのだ。
見る見るうちに巣作りだ。
なぜかガラス面に見えるように巣を作るのだ。
道がガラス越しに見えると
楽しくてそこに張り付く。

朝起きるのが待ち遠しい。
最初に行く場所がアリの飼育場だ。
それを見てからのラジオ体操だ。
ある程度巣が出来上がると
小さな虫を入れてみる。
アリはすぐに虫を発見する。
発見するといつの間にか
アリが群がる。
虫は懸命にもがく。

かまわず巣に運び込まれる。

中に入らない大きさなら
分解されてしまうのだ。

 夏休みが終了する。
アリの絵を種類の紹介文に添えてまとめる。
それと巣作りの記録
私の自由研究が出来上がる。

当時は自由研究なる言葉はなかった。

 雑草の名前

「あなた方の名が天に書き記されていることを喜びなさい」
   (ルカによる福音書 10:20)
 
私の普通の起床時間は今は5時だが、昔は6時だ。
とはいっても、予定より早く目が覚めて
布団の中で手持ち無沙汰になることがある。
 
そんな時のために、枕元には小さなラジオを置いていた。
チャンネルはNHKに合わせていた。
 
1995年4月27日と28日もそんな朝を迎えることになる。
きっかり5時半に目が覚める。
手は枕元のラジオに伸びる。
 
スイッチオン
 
「人生読本」の時間だ。
27日は松村ひさしという人の話の初日だ。
福岡植物研究所顧問というのがその方の肩書である。
植物図鑑を出版しての苦労談で、
「人生読本」のサブタイトルが「雑草にも名前がる」というものだ。
 
彼は還暦を記念して植物図鑑を出版しようと思い立った、と松村さんは話し出す。
そのために定年3年前に退職したという。3年計画でのスタートだ。
実際は4年かかったために、当初の計画よりもずれ込んでしまっている。
 
松村さんのそもそもの植物との出会いは、
小さい頃、父親が道端の小さな雑草を手折って、
 その一枚一枚折り曲げたのだ。
すると、それが全てVの字状になったのが印象に残ったことに始まっている。
 
その時の出来事はそれだけのことだったそうだ。
ところが中学生になって、
夏休みの宿題で、何かをしなければいけなくなった松村さんは、
思い付きで
家の周囲の雑草を10種類ほど押し葉にして提出することになる。
 
学校の先生は自分の押し葉集を返してくれる時に、
その押し葉一つ一つに名前を書いて返してくれたのである。
 
松村少年は驚く。
 
雑草にも名前がある。
 
それまで考えてもみなかったことだ。
そのことがその後の松村さんの人生を決定づけることになろうとは、
当の本人はもちろん、中学の先生も考えていなかったに違いない。

松村さんは現在の福岡教育大学に進学する。
その大学で出された夏休みの宿題がなんと植物を200種類採集することだ。
 
200種類集めるのも大変だったが、
最も大変だったのが、それらの名前を探すことだったと述懐している。
図書館に行って朝から晩まで植物図鑑と睨めっこをする。
1頁から終わりまで何度も頁をめくったそうだ。
200種類の名前が全て分かるまでに、
教授が勧めてくれた図鑑を何千回となく1頁も飛ばさずに調べたと言う。
 
松村さんはそんな作業を繰り返し繰り返しして、
そのうちに植物のの見方が分かってきた、とラジオで話してくれる。
 
自分の経験から彼は素人でもわかるような植物図鑑を作ろうと思い始める。
それには植物の学問的な分類から離れてみようと思い立つ。また、何巻にも分かれると調べる人が大変だから1巻でまとめてしまうことにする。グループ毎に分ける目安は、
 例えば、葉にギザギザがあるかないか、木に棘があるかないか等だ。

彼は植物の絵を自分で描いたという。
きっといろいろ自分で工夫したかったのだと思う。
だからそれに3年を費やしてしまう。
出版までの予定年数がそれだけでつぶれてしまう。
 
そろそろ花が咲く時期だと言っては、山に登って採集する。
家に持ち帰ってはそれを見ながら絵を描く。
描いては消し、描いては消しの時間が過ぎて行く。
採集できなかったものについては、自分の長年のコレクションの中から取り出しては元の姿を思い出しながら描く。
 
コレクションの中から引っ張り出した植物の欠陥は、
色が変わっていること、
立体感がなくなってしまっていることなどだ。
そこで思い余って自分の大切なコレクションの押し葉の葉をちぎり、ぬるま湯につけて戻す。
立体的復元を試みる。
そして絵を描く。
絵をかき終わったところで次の1年は、それぞれの植物の解説をつけるのに使う。
そして出来上がりだ。
よく聞いていなかったのかもしれないが、多分2005年にそれが出版されたのだと思う。
「自分で調べた名前は忘れないものですよ。自分で調べると、その植物に興味と親しみを感じるものです」
 
松村さんの話し方には素朴な快い響きがある。
 
何年前のことだっただろうか。私の家のベルが鳴る。玄関を開けて外に顔をのぞかせる。そこには懐かしい顔が見える。
 
「・・さんじゃない!久しぶりだね。どうしたの?・・・ああ、近くに引っ越してきたの?」
 
「先生、覚えてくれてたんですね。うれしいっ。もう忘れられてるかと思っていました」
 
卒業生の中には意地悪な人もいる。
 
「先生、私、誰かわかります?・・・名前覚えてくれてます?」
そんな卒業生の名前に限って覚えていないことが多い。担任でもしていればその限りにあらずだ。そこで知ったかぶりをして、誰と一緒だったか、担任は誰だったかなどを聞いて推理する材料の取材だ。しかし、大体失敗する。結局卒業生からは、覚えてくれていない、と不平を言われることになる。そして気まずい一時となる。
 
ある時など、同僚の若い中学1年生の担任が家庭訪問から帰ってきて、テストをされたりする。
 
「先生が着任直後に担任した方が、うちのクラスの生徒の母親で、先生によろしくと言っていました」
 
聞いてみると、旧姓が分からない。私に与えられたのは28年前に私が担任をしたということと、ファーストネームだけだ。目星をつけて顔の様子だとか、身長だとか、いろいろと質問をする。話が一致する。
 
「すごいですね。そんな昔の生徒のことをよく覚えていますね」
 
その教師2年生は率直に驚く。
自分が就職した最初の生徒の名前を忘れるわけがない。
私にとっては一人一人が私の先生だったようなものだ。
一人一人の笑い顔、
歩き方、
性格、
授業時の態度、
思い出せばきりがない。
すっかり忘れていた過去の映像が急速に動き出す。
 
その当時の卒業生の子供が通ってくる。みんな懐かしそうにして話かけてくれる。私が名前を憶えてくれることを知って例外なく喜んでくれる。
 
神様は私たち一人ひとりの名前を憶えてくださる、と聖書は私たちに約束している。神社にはよくお金を寄進した人たちの名前が書かれている。あれよりもはるかに意味のある形で私たちの名前を天にしるしてくださるのだ。それは私たちが神に認められていることの証拠なのだ。この地上を去ったのちの私たちの住むべき場所が保証されているというわけだ。
 
そこはフィリピの信徒への手紙4章3節にしるされているクレメンスに会うことも可能な世界だ。「命の書に名を記されているクレメンス」と「力をあわせて、福音のために」「戦ってくれた」「2人の婦人(エポディア、シンティケ)」の名前もそこには記されているはずだ。
 
(最後の部分は少し分かりづらい話になるが、聖書を開けば何事かが分かると思う。無理して開かなくてもよい。)
 


 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?