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おやじの裏側 xiii (13. 救世軍司令官)

この記事の「救世軍」のことは
多くの現代のオレたちには
無縁に近いキリスト教の団体名だ。
 
山室軍平」が日本人初の司令官となった。
 
オレは小学生の上級生の頃から
中学の1年生くらいまでは
偉人伝を読み漁っていた。
 
SG荘(「おやじの裏側 i」)にいた頃は
すぐ裏手の小学校裏にあった
子ども図書館を利用した。
 
中学1年の頃は
親が買ってくれた
世界偉人伝物語を
せっせと読破した。
 
その中に「山室軍平」の伝記物語があった。
だから、おやじが礼拝の説教の中で
山室軍平の話を始めた時には
ビックリした。
 
その内容にびっくりした。
 
おやじが若い頃
山室軍平の伝道旅行で
彼のカバン持ちをしたことがあるというのだ。
 
詳細は覚えていないが、
興味深くその説教に耳を傾けた。
 
おやじは若い頃
世界を巡る旅を思い立って
朝鮮半島に渡ったという。
 
オレはそんな大それた冒険をしようと思ったことはない。
 
大学3年生の時に
アメリカに留学するのだと
決心したことはある。
 
その件については
「ワクワク~ルンルン~一人旅」
「留学中の事件の数々 その1~その4」
「期待と不安と喜びと」
留学ってきつい、楽しい 1~2」、など
このnoteを始めた最初の頃に
書いて書いて書きまくった。
 
そのうち、自分の中で趣旨が変わって、
最後は現在進行中の
「おやじの裏側」シリーズへと
移行してきたのだ。
 
おやじの時代に世界へ目を向けたのは
当時としては画期的だったのかもしれない。
 
明治生まれのおやじだったからこそ
そんな突拍子もないことを
実行しようとしたのかもしれない。
 
あるいは、日本自体が世界に目を向け始めていたからかもしれない。
 
実はおやじはこの旅について
ある本にわずか6頁の自身の記録を書いている。
おやじが87歳(1990年)の時だ。
 
改めて読んでみた。
無鉄砲なおやじらしい記録が書いてあった。
朝鮮半島に渡る前の
おやじの記録が面白い。
しかし、ここでは詳述するつもりはない。
 
その過程で、おやじはある歯医者さんと出会う。
その先生がたまたま教会の信徒だったのである。
おやじが初めて行った教会となった。
 
そうは言ってもおやじの目的は
世界に向けての冒険だ。
 
ここからは『』でおやじが書いたままを
紹介してみたい。
オレが語るには力がないからだ。
 
『やがて念願かなって朝鮮の平壌(へいじょう)に行き、その地である日、道を歩いていると讃美歌の声が聞こえてきたので思わず行ってみると、それは日本人教会の祈祷会が行われているところでした。
渇き切った心の中で、まだ何も分からないまま、漠然と「クリスチャンになってみようかな」と思ったのです。(本文そのまま)
 
これが回りまわって牧師になる第一歩となったのだ。
勿論、ずっと後になってのことだ。
 
おやじは日本に戻って、
当時、キリスト教会の有名な先生に
アポイントメント無しで
面会を企てていたらしい。
今ならストーカーみたいなものだ。
 
きっとその流れで山室軍平のカバン持ちになってしまったのだ。
勿論、「救世軍」という
キリスト教の団体に加盟したのだ。
 
オレはその影響だろうか、
今でも近くのデパートで
社会鍋を見かけると
わずかなお金をこそっと入れる。
 
社会鍋というのは
救世軍の社会福祉の献金だ。
 
年末になると毎年そのデパートの近くの交差点で
救世軍の軍服姿の牧師や信徒が
社会鍋を前に寄付をお願いしているのである。
 
オレはおやじが救世軍に在籍していたことを
どこかで誇りに思っているようだ。
 
救世軍の士官学校の24期生として入隊したとおやじは記録している。
 
だから、オレは社会鍋を見ると
吸い寄せられるように
財布から寄付をする。
 
おやじは説教の中で
山室軍平のカバン持ちの
エピソードを語っていた。
 
その一つだけがオレの心に残る。
 
数カ所の教会に同行したそうだ。
 
山室軍平の説教は
頼まれたどこの教会に行っても
全く同じ説教だったというのだ。
 
それなのに、何度聞いても
その都度、心が踊らされた、
と話していた。
 
オレはその時の
ワクワクするおやじの姿を
見てみたいものだと思わされた。
 
その話をするおやじが
全身ワクワクしていたからだ。
 
無関係だが、
ちょうど今日、
NHKの朝ドラ「ブギウギ」が
最終回となった。
 
この記事を書きながら、
おやじを思い出しながら
おれは「ウキウキワクワク」していた。
 


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