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旅に出る前の憂鬱について

この世の中には不思議なことがたくさんあるけれど、「旅に出る前の憂鬱」もまた、僕にとって不思議な現象である。

えっなにそれ?という人も、あーあれね!という人も、ぜひ一緒にこの不思議な現象について考えてほしいと思う。

まず、その憂鬱が生まれるのは、旅に出るおおよそ1週間前である。これは2週間前のこともあるし、3日前のこともあるが、ここでは便宜上、1週間前としておく。

その頃になると、心にふっと憂鬱感が生まれて、旅に出るのがなんとなく億劫になってくるのだ。

もちろん、旅の予定を立てたときは楽しみで仕方なかったし、それからしばらくの間だって出発の日が待ち遠しくてたまらなかった。

それなのに、1週間くらい前になると、なぜだか旅にあまり行きたくないような気持ちになってくる。

そして、5日前、3日前と、旅が近づいてくるにつれて、「なんとなく行きたくない……」という気持ちから、はっきりと「行きたくない!」という気持ちに変わってゆく。

本来なら、ガイドブックでも広げながら旅先でのあれこれを楽しく想像してもいい頃だが、まったくそんな気分にはなれない。

はたして、なぜ旅になんて出なくてはいけないのか……?

そんな素朴な疑問が、心の中を支配してゆく。

旅をキャンセルすることはできないだろうか?

そんな考えがふと頭をよぎるが、航空券がキャンセル不可だったことを思い出し、途方に暮れる。

もやもやを抱えているうちに、瞬く間に時は過ぎていき(なぜか時が過ぎるのはいつもより早い)、旅の前日を迎える。

最もつらいのが、この旅の前日である。

行きたくないという気持ちを抱えたまま、旅の荷物を準備するという、ひどく矛盾した行為をしなければならないからだ。

この旅のパッキングというのは、僕にとって、とても哀しく、情けなく、過酷な作業である。

なぜこんなことをしなければいけないのだろうか……?

あれほど日常から脱出することを楽しみにしていたはずなのに、その日常が愛おしくてたまらなくなってくる。

ふとテレビを点ければ、いつもはつまらないと感じるだけの番組が、すごく魅力的に思えてきたりする。

旅になんか出るよりも、家でのんびり本を読んだり、スマホをいじったりしている方がずっと素晴らしいと思う。

突発的な何かが起きて(不謹慎だけど)、旅が中止になってしまえばいいのに、とさえ思う。

けれど、残念ながら何も起きないので、うんざりした気持ちで荷物をパッキングする。

どうにか荷物が完成し、夜が訪れるが、すぐにベッドに入る気になれない。

どうでもいいようなネットニュースを見たり、なぜか唐突に部屋の掃除を始めたりして、前日の夜を過ごす。

家で過ごす時間を、僕はたっぷりと味わいたいのだ。

ようやくベッドに入るが、なかなか眠ることができない。

はぁ、明日から旅に出なくてはいけないのか……、と冴えた頭でぐるぐる考える。

僕は子供の頃、夏休み明けに学校へ行くのがつらかったけれど、まさに心は8月31日の夜の小学生である。

それでもどうにか、明け方近くになって少し眠る(ウトウトするくらい)。

そして、朝が訪れる。

旅に出なくてはいけない、恐怖の朝である。

朝ごはんを食べるが、あまりにも憂鬱な気分のため、何を食べているのか味がわからない。

やがて、フライト時間から逆算するとそろそろ家を出なくてはいけない時間が訪れる。

旅を中止しなければいけない何かが起きることを願って(不謹慎で申し訳ない)、ぎりぎりまで粘るが、やはり何も起きないので、仕方なく家を出ることにする。

気持ちはもはや、死刑場へ向かう囚人である。

最後に自分の部屋を眺め渡してから、意を決して家を出る。

このときの一歩は、きっと人類が月に初めて降り立った一歩と同じくらい重いはずである。

歩いて最寄り駅へ向かうが、心の中は葛藤でいっぱいだ。

本当に旅に出てしまうのか? それでいいのか? 今ならまだ戻れるんじゃないか?

けれど、ここにきて家へ引き返すのは、男にとっての恥である。

どうにか心の葛藤に打ち勝って、最寄り駅から私鉄の列車に乗り込む。

車内には、仕事へ向かうらしいサラリーマンや街へ遊びに行くらしい若者がいて、僕はとても場違いなような、気まずい気持ちになる。

と同時に、羨ましくもなる。これから日常を過ごす彼らの、なんと素晴らしいことか。

列車はターミナル駅に到着し、僕は地下街を抜けて、成田空港行きのバスターミナルへ向かう。

震える声で成田行きのチケットを購入し(ほんとに緊張するのだ)、バスが来るのを待つ。

周りには、「向こうに着いたら何しよっかー?」とか楽しそうにおしゃべりしている女の子たちがいるが、僕には何がそんなに楽しいのか理解できない。

やがてバスが到着し、暗澹たる気持ちを抱えたまま乗り込む。

この頃には、日常へ戻ることはもうできないんだな、という覚悟が決まっている。

哀しみを抱えた僕を乗せて、バスは走り出す。

車窓に映る東京スカイツリーが、なぜだか物憂げに見える(もちろんバスの中でも眠ることはできない)。

あっという間に成田空港に到着し、カウンターでチェックインをする。

成田空港のターミナルは、僕の目にはいつも、閑散として見える。

人が多い日ですら、広い湖のほとりにいるような、不思議な静けさを感じるのだ。

だから僕は、空港でとても寂しい気持ちになる。

セキュリティチェックを抜け、出国審査を受ける。

パスポートに押される出国スタンプは、何かの不吉な印のように僕の目に映る。

搭乗口へ向かい、空いているベンチに座って、フライトの案内を待つ。

機内で飲むらしいペットボトルの飲み物を買っている乗客もいるが、僕にはそんなことをする心の余裕はない。

できることといえば、水飲み場で水を飲むくらいのものである(喉は渇く)。

やがて搭乗開始を告げる案内が始まり、僕も乗客の列の最後尾につく。

本当にもう戻ることはできないんだな……、という深い哀しみが僕の心を包む。

飛行機に乗り込むと、CAの女性が素敵な笑顔で出迎えてくれるが、僕はぎこちない笑顔を返すことしかできない。

席に着き、シートベルトを締め、機体がゆっくりと動き出す。

長く続いた憂鬱感のせいで、僕の心は疲れ果てている。

そんな深刻な状態の中、飛行機は滑走路を走り、そして、ふわっと浮き上がると同時に、離陸する。

……と、その瞬間である。

抱えていた憂鬱感がすーっと消えて、心が不思議な解放感で満たされていくのは。

まるで磁石がマイナスからプラスへと入れ替わるみたいに、心の中身が、憂鬱感から、解放感へと、転化するのだ。

さっきまで陰鬱として見えた窓の外の風景も、飛び立った空の上から見ると、きらきらと光り輝いて見える。

日常へは戻れない……、と嘆いていた心は、日常から脱出できてよかった!というポジティブな気持ちに生まれ変わっている。

そして現地の空港に着いた頃には、憂鬱感も、不安も、寂しさも、すべてが消えて、心は幸福感で満たされている。

幸せで、楽しくて、夢みたいな旅の世界へと、僕は入っていくことができるのだ。

……これが、僕の身にいつも起きる、「旅に出る前の憂鬱」の一部始終である。

なぜこのような現象が起きるのかわからないし、同じ現象に襲われる旅人がどれくらいいるのかもわからない。

ただひとつ言えることは、20ヶ国以上を旅するようになった今もなお、僕はこの憂鬱感に悩まされ続けているということである。

はたして、この憂鬱感は何なのであろうか。

心理学的な研究が進み、特効薬が生まれる日が訪れることを願ってやまない。

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旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!