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旅が始まる瞬間。

たとえば、異国への旅に出るとして、その旅が始まる瞬間っていつだろう?

家を出発したとき? 日本を出国したとき? 飛行機が飛び立ったとき? 現地の空港に着いたとき?

僕にとって、異国への旅が始まるのは、いつだって、「成田空港行きのリムジンバスに乗った瞬間」だ。

いつも僕は、海外旅行に行くとき、横浜駅に隣接するYCATというバスターミナルから、リムジンバスに乗って、成田空港(ときに羽田空港)へと向かう。

それは、10年近く前に初めての海外旅行に行って以来、変わることのない「習慣」のようになっている。

不思議なのだけど、その成田空港行きのリムジンバスに乗った瞬間、僕にとっての異国への旅が始まる気がするのだ。

……海外旅行に行くとき、僕はまず家を出ると、最寄り駅から私鉄の列車に乗って、横浜駅へと向かう。

この時点ではまだ、旅が始まったという気持ちにはならない。

私鉄の車内はいつもと変わらない風景だし、その中でバックパックを背負っている自分を、ちょっと場違いに感じるくらいのものだ。

車窓に映る横浜郊外の風景も、やがて見えてくるランドマークタワーも、普段見ているそれとなにも変わらない。

列車が横浜駅に着くと、僕は改札を出て、横浜駅の地下通路を西から東へと歩いて行く。そのまま東口の地下街を突っ切って、バスターミナルのYCATへと向かう。

この時点でもまだ、目に映る横浜駅の地下街は、いつも買い物に来るときの風景と、とくに変わらない。

背中のパックパックの重さに、ちょっと憂鬱な気分になりながら、人波の中を歩いて行くだけだ。

やがてYCATに着くと、カウンターで成田空港行きの往復のバスチケットを購入し、外のバス乗り場へ向かう。

そして他の乗客とともに、成田空港へ行くリムジンバスに、乗り込む。

その瞬間だ。ああ、旅が始まったんだな、と心から実感するのは。

リムジンバスに乗って、席に着くと、心がふっと軽くなる。バックパックを下ろしたからではない。身体だけでなく、心まで、なにかの重荷を下ろしたみたいに、すごく軽くなるのだ。

発車したバスは、すぐに首都高速に入り、横浜駅前からみなとみらい、中華街、山下町と、横浜市街地の中を走り抜けていく。

そのとき、不思議なことに気がつく。

バスの車窓から眺める横浜の風景が、普段見ている横浜の風景と、違うのだ。

いや、風景そのものはなにも変わらない。みなとみらいのビル群も、中華街の雑然とした街並みも、山下町の倉庫街も、いつもの風景と同じはずだ。

けれど、その風景を見て受ける印象が、まったく違う。

窓の外に広がる横浜の風景が、不思議なくらい、遠くに感じられるのだ。

ランドマークタワーも、私鉄の車内から見たときと違って、そのバスの車内からはすごく遠くに感じられる。いつも見ているランドマークタワーと、なにかが違う。

バスはやがて、湾岸線へと入り、横浜ベイブリッジを渡っていく。

すると、さらに不思議なことが起きる。

ベイブリッジの上から眺める横浜港が、まるでどこか異国の風景のように見えてくるのだ。

遠くに見える赤レンガ倉庫も、真下に広がる工場群も、港を行き交うたくさんの船も、いつもの横浜の風景には見えない。

どこか僕の知らない、遠い異国の街のように思えてならないのだ。

ここはどこなんだろう、と思う。

この見たことのない街は、いったいどこなんだろう。

もしかしたら、もうすでに、僕は異国に来ているのではないか、と。

……たぶん、そのリムジンバスに乗った瞬間、僕の異国への「旅」が始まるんだと思う。

だから、バスから眺める横浜の街並みが、見知らぬ異国の風景のようになって、僕の目に映るのだ。

成田空港行きのバスに乗ることは、僕にとって、日常から非日常へと切り替える、スイッチを押すことを意味しているのかもしれない。

縛られていたものから解放されて、自由な世界へと飛び立つための、旅立ちのスイッチを。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!