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世界の果てで、世界の中心。~ポルトガル・サグレスへの旅

 その日、僕はポルトガルにいて、ユーラシア大陸の南西端にある「サグレス」という町へ向かうバスに揺られていた。
 バスの外には、荒涼とした丘陵地帯が広がっている。空はどこまでも青く、初夏の明るい陽光が車内にまで射し込んでくる。さすがに交通の便が悪く、とくに見所もなさそうな田舎へ行く観光客は少ないらしい。乗客はこの地域の住民ばかりで、小さな集落にバスが停まると、地元の高校生や老人がわずかに乗り降りをする。
 そんな光景を見ているうちに、いよいよ自分もあのサグレスへ行くんだな、という気持ちが高まってきた。

 サグレスは僕にとって、ユーラシア大陸の南西端にある町、というだけではない特別な意味を持っている。
 それはサグレスが、僕が世界各地を一人旅するきっかけを作ってくれた沢木耕太郎氏の旅行記、『深夜特急』に印象的な場所として描かれているからだ。
 『深夜特急』の中で沢木氏は、香港から東南アジア、インド、シルクロードを経て、ヨーロッパへと辿り着き、このポルトガルのサグレスを訪れる。そして大西洋を望む岬に立って、長い旅の終わりを実感するのだ。作品に描かれたサグレスはとても美しく、読むたびに旅情を掻き立てられたものだった。
 その『深夜特急』で旅に目覚めた僕は、時間とお金さえあれば海外へ一人旅に出るようになった。香港や東南アジアを訪れて、作品に登場する場所を巡ることもあった。そしていつか、ヨーロッパへ行くときは、あのサグレスまで足を延ばしたい、と思うようになった。
 僕にとってこの旅は、一種の聖地巡礼だったんだと思う。初めてのヨーロッパの旅で、いきなりポルトガルまでやって来たのは、サグレスという僕にとっての聖地を訪れたかったからなのだ。

 やがて、サグレスの町の中心らしい小さな広場が見えてきて、僕はバスを降りた。
 とりあえず今夜泊まる宿を探さないと、と思っていると、よく日焼けしたおばあさんが自転車を押しながら近づいてきて、懸命に話しかけてくる。ポルトガル語なのでよくわからないが、「自分の家に泊まらないか?」と言っているらしい。
「ワンナイト、ハウマッチ?」
 おばあさんは指で「20」と示した。20ユーロといえば2500円くらいだから、かなり安い。人が好さそうなおばあさんの雰囲気が気に入ったこともあり、僕は家へと案内してもらうことにした。
 そのおばあさんの後をついていくと、5分ほどで家に着いた。とても小さな家だったが、案内してくれた部屋は意外に広く、ダブルベッドとシングルベッドが1台ずつあった。すごく清潔な部屋だし、1泊だけならここでなんの問題もない。
 僕が泊まることを告げると、おばあさんはとても嬉しそうに、部屋の鍵を渡してくれた。

 サグレスはオレンジ色の屋根と白壁の家が点在する、ポルトガルのどこにでもありそうな雰囲気の町だった。中心である広場の周りにレストランやショップが何軒かあるほかは、観光地らしい印象は受けない。広場には、かつてこの地に航海学校を開いてポルトガルを大航海時代へと導いた、エンリケ航海王子の像があって、それがこの町のシンボルのようだった。歩いている人さえ少ない田舎町なのに、まったく寂しさを感じないのは、燦々と降り注ぐ明るい太陽の光のためかもしれない。
 広場の横のバス停では、あのおばあさんをまた見かけた。どうやら、新しい観光客の到着を待っているらしい。そういえば、あの家に今泊まっているのは僕だけのようだった。
 あのおばあさんは新たなバスが到着するたびに、こうしてバス停に立って観光客を家へと誘っているんだろうか……。そもそもサグレスにやって来る観光客がそんなに多いとは思えないし、僕のように素直におばあさんについていく人もあまり多くはいないだろう。たぶん、相手にされずにそのまま立ち去られることの方が多い気がする。
 そんなことを思うと、強い陽射しのなかでバスの到着を健気に待つおばあさんの姿に、なにか惹かれるものを感じた。ユーラシアの果てにある町で、こんなふうに毎日を生きている人がいるんだなと、ひとつの生き方の形を見た気がしたのだ。
 やがてバスは到着したが、降りたのは地元の人ばかりで観光客はいなかったらしい。おばあさんは、まあ仕方ないわ、といった感じで首を振ると、自転車を押して再び家へと帰っていった。

 夕暮れ時、エンリケ航海王子の開いた航海学校の跡が残るサグレス要塞を見学した僕は、近くの断崖に座って、大西洋に沈む夕日を眺めることにした。
 僕にとって、サグレスを訪れることが「夢」なら、そのサグレスで夕陽を眺めることもまた「夢」だった。『深夜特急』の中でも、夕暮れのサグレスの光景は、とても印象的に描写されているのだ。サグレスの海に沈む夕陽……、その風景は頭の中で何度も思い描かれて、いつしか憧れの風景になっていった。
 20時を過ぎて、ようやく陽は西に傾き始める。そして、その太陽の光に照らされて、青く輝いていた大西洋が、美しい黄金色に輝き始める……。
 僕は夕陽の光を浴びながら、その光景に見惚れていた。目の前に広がるサグレスの夕暮れは、ずっと思い描いていたのと変わらない、素晴らしく美しい光景だった。きらきらと黄金に輝く海を眺めていると、自分が今、最果ての地にいることの実感が湧いてくる。まるで夢を見ているような、不思議で、幸せな気持ちだった。
 そういえば、『深夜特急』の旅で沢木氏がこの地を訪れたのは、今の僕と同じ27歳のときだったらしい。そのとき、沢木氏はこの地で、旅の終わりを決意した。
 この地は僕にとって、どんな意味を持つ土地なのだろう。20代の間にアジアやアメリカなどを一人で旅してきた僕にとっても、このサグレスは、ひとつの旅の終わりの場所なんだろうか……。
 そんなことを考えているうちに、夕陽は静かに海の向こうへと沈んでいった。

 次の日、僕はサグレスの南西端、つまりユーラシア大陸の最南西端に位置するサン・ヴィセンテ岬へ行くことにした。
 真っ青な空の下、太陽の強い光を浴びながら、岬へ至る片道6kmほどの道を歩いていく。自転車を借りていこうとしたら、レンタル料が少し高かったので、そのまま歩いていくことにしたのだ。けれど歩き始めてすぐに、日陰のまったくない道を往復12kmも歩くことの過酷さを実感し、やはり素直に自転車を借りればよかったかなと、ちょっと後悔した。
 それでもひたすら歩いているうちに、サン・ヴィセンテ岬の看板が見えてきた。岬に辿り着いたとき、ここまで自分の足で歩いてきたことに達成感を覚え、疲れが一気に取れていくような気がした。
 そのサン・ヴィセンテ岬は、意外にもたくさんの観光客が訪れていて、いかにも観光地っぽい雰囲気のする場所だった。駐車場には観光バスが何台も停まっていたし、その周りにはお土産を売る露店がいっぱい並んでいた。僕はなんとなく、誰も人がいない静かな岬のイメージをもっていたので、その光景に少しびっくりしたが、大西洋の青い海の風景と相まって、岬は明るい輝きに満ちていた。
 サン・ヴィセンテ岬の先端には小さな赤い灯台が立っていた。僕は断崖に座って、目の前に広がる大西洋を眺めながら、頭の中に世界地図を思い描いてみた。ユーラシア大陸があって、その西の果てにポルトガルがあって、今いるのはその南西の端だ。そして大西洋を挟んだ南には、アフリカ大陸がある……。
 そうだ、この海の向こうには、アフリカ大陸があるのだ。その当たり前のことに気づいて、僕は海の彼方に目を凝らしてみたが、もちろんアフリカは見えなかった。この大西洋の向こうにあるアフリカには、どんな風景が広がっているんだろう。どんな人々が住んでいて、どんな感動が待っているんだろう……。
 そのとき、僕は思った。やはりこのサグレスは、自分にとっての旅の終着点ではない、と。
 この海の向こうには、まだ見ていない風景があって、まだ出会っていない人々がいて、まだ味わっていない感動がたくさん待っている気がする。未知の土地を求めて、もっと旅をしていきたい……。

 僕は再び6kmの過酷な道を歩いて町へ戻ると、荷物を持っておばあさんの家を出た。
 バス停へ向かうと、やはりおばあさんが、今日も観光客の到着を待っていた。僕の姿を見ると、道路の反対側のバス停を指差す。どうやら、帰りのバスはあっちから乗るんだよ、と教えてくれているらしい。今日もおばあさんの家にまた誰かが泊まってくれるといいな、と思いながら、僕は反対側のバス停へ向かった。
 やがて帰りのバスが到着すると、僕はおばあさんに向かって叫んだ。
「オブリガード!」
 ありがとう、と。おばあさんはポルトガル語でなにか言いながら、僕の帰る姿を手を振って見送ってくれた。
 そのとき、こんなことを思った。きっとこの町は、ここで生活している人々にとっては、最果ての地でもなんでもないんだ、ということを。外から来た旅人にとっては最果ての地でも、ここで暮らしている人々にとってはここが世界の中心なのだ。青い海があって、美しい夕陽があって、わずかなお店がある。このサグレスには生きていくのに必要なものがすべて揃っているように思えた。
 世界の果てで、世界の中心でもある場所。そして僕にとってこの場所は、旅の終わりの地ではなく、新たな旅へと導いてくれる、途上の地だった。
 バスに揺られながら、僕は思っていた。
 自分にとっての『深夜特急』の旅は、まだまだ終わりそうもないな、と。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!