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旅だって、「いつか」を信じ過ぎちゃいけない

沢木耕太郎さんの初期の作品、「クレイになれなかった男」の中に、印象的な文章がある。

以前、ぼくはこんな風にいったことがある。人間には「燃えつきる」人間とそうでない人間の二つのタイプがある、と。
しかし、もっと正確にいわなくてはならない。人間には、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つのタイプがあるのだ、と。
望みつづけ、望みつづけ、しかし「いつか」はやってこない。

これは沢木さんのすべての作品を通じても、最も鬼気迫る「力」を感じさせる、見事な文章だと思う。

ところで、僕らは旅の話をしているときも、「いつか」という言葉をよく口にする。

「いつかこんな旅をしてみたい」とか、「いつか○○へ行ってみたい」とか。

でも、ふと思う。

本当に、その「いつか」は、やってくるのだろうか、と。

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小学生の頃だったと思う。

ある秋の日、祖父母と一緒に、東北へ紅葉を見に旅行へ行くことが決まった。

僕は祖父母が大好きだったから、その日が楽しみで仕方なかった。

ところが、出発が近づいたある日、祖母が体調を崩した。

病院へ行って検査を受けたが、たまにある高血圧の症状で、とくに心配はない、ということだった。

けれど、旅先でなにかあったら大変だ、と心配しだした祖父が、旅行のキャンセルを口にした。

僕は、「きっと大丈夫だから旅行に行こう」としつこく懇願した。

でも結局、東北旅行はキャンセルすることになった。

「旅行なんて、またいつでも行けるんだから」と。

祖父のその言葉を信じすぎたせいかもしれない、本来ならすぐに次の旅行の予定を立ててもよかったのに、なかなか次の旅行は決まらなかった。

そのうちに僕も大きくなり、祖父母と旅行に行くことを恥ずかしいと思うような年齢になっていた。

そしてやがて、ふっと祖父が亡くなり、祖父母との旅行は永遠に「幻」のものとなってしまった。

……あのとき旅行へ行っていれば、と思った。

それはきっと僕にとって、とても大切な旅の思い出として、ずっと胸に刻まれたはずなのに、と。

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だからいま、僕は思う。

旅だって、「いつか」を信じ過ぎちゃいけない、と。

「いつか行こう」と思っていても、その「いつか」がちゃんとやってくる保証なんて、どこにもない。

仕事が忙しくなって、旅に出る時間がなくなるかもしれない。

自分の気持ちが変わって、旅に出たくなくなるかもしれない。

親の介護が必要になって、旅どころではなくなるかもしれない。

自分が病気になって、旅に出る元気がなくなるかもしれない。

いつか、いつかと望みつづけている間に、その「いつか」が永遠に失われてしまう可能性だって、十分にあるのだ。

だから、どんな場所でも、どんな旅でも、「いつか行こう」ではなく、「いま行きたい」と思う。

僕はようやく恥ずかしがらずに、そう言い切れるようになった気がする。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!