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飛行機恐怖症を克服して与那国島まで飛んだ話

※注意
この記事は全て単なる一個人の体験談に過ぎません。僕自身は医療機関で「飛行機恐怖症である」とお墨付きを受けた人間ではありません。この記事には実効的な対策はほとんど書かれておらず、役に立ちそうな内容は搭乗時の平常心の保ち方程度かと思われます。筆者は医学的な知見にはど素人ですし、恐怖症も自然治癒に近い状態で時間が解決してくれた側面が大きかったと考えています。飛行機恐怖症等で実際に生活に支障をきたしている方はこのnoteを全く参考にせず、適切な医療機関を受診してください。

経緯

高所、虫、集合体…。世の中には様々な恐怖症がある。飛行機恐怖症もその一つだ。年間100日近く旅行している僕が、まさか飛行機恐怖症になるとは思いもよらなかった。

2019年の1年間に、僕は所用で飛行機に6回乗った。国際線では10時間を超えるフライトもあったが、機内食を食べたり当時流行っていた『翔んで埼玉』を見たりして暇を潰していた。途中気流で1時間近く揺れ続けたこともあったが、ああ揺れてるなあくらいにしか感じていなかった。

2020年3月、JALの小松-羽田便を利用した。窓側は埋まっており、中央3列(4列?)の通路側を取ったような覚えがある。夜だったこともあり機外はほとんど見えなかった。同行者がいた上に短時間のフライトだったにも拘らず離陸後から底知れぬ恐怖に駆られ、フライト中は目を瞑って凌いでいた。

ただ、飛行機に全く乗れなくなった訳ではなかった。2021年7月、最長片道切符の旅の出発地・稚内に向かうため、僕はジェットスターの成田-新千歳便に乗り込んでいた。本音を言えば陸路で向かいたかったが、時間と費用を鑑みるとLCC以外に選択肢はなかった。搭乗前から緊張で冷や汗をかきまくった。機内はほぼ満席で、右窓側座席に座った僕はその狭さに驚愕した。わずか1時間ちょっとのフライトであったが、時間が経つのが異様に長く感じた。早く、1分でも早く、いや1秒でも早く降りねば。写真をほどほどに撮った以外、窓の外を悠長に見る暇はなかった。陸地が見え始め、タイヤが滑走路に接触した瞬間、全身の力が抜け落ちた。

以来、飛行機に乗れなくなった。

原因

明確なものは不明だが、恐怖を感じやすかった点について整理したいと思う。

  • 機内の狭さ。LCCのシートピッチは非常に狭かった。

  • 機内の温度。強い日差しのためか離陸前に機内は高温になっており、このまま閉じ込められたらと意味不明な想像をしてしまった。

  • 人の多さ。元々人混みは苦手だったこともあり、恐怖を増幅させてしまったように思う。

  • 退屈。右窓側はほとんど海しか見えず、WiFiもない機内では手持無沙汰だった。iPadに入れておいたpdfを読もうとしたが、緊張で目が滑って内容が頭に入ってこなかった。

  • 飛行機への信頼。飛行機が気象要因で事故を起こすことはまずないとは分かっていたが、乱気流で怪我をしたらどうしよう、バードストライクしたらどうなるんだろうなどと、頓珍漢な不安が次から次へと頭の中を巡り続けてしまった。

  • LCCへの信頼の欠如。安いがために安全性の担保を怠っているのではないかと疑念を抱いてしまった。またサービスも必要最低限だったため、万が一の際に適切な対応が取られるのか疑ってしまった。

  • 慣れていないことに起因する緊張。保安検査や電波を発する機器は離着陸時使用できないという規則等、普段慣れていない環境で不安感が一層増してしまった。空港ならではの雰囲気も悪化の一因となった。

  • 上下動。普段鉄道やバスなど陸の交通機関をメインに利用している僕にとって、上下動は大敵だった。

  • 脱出できない恐怖。電車やバスも同様に脱出できないが、「物理的には」停止ボタンを押すなどしてすぐに車外に出ることが可能である。しかし飛行機や船はいくら懇願しても大金を積んでも降りるまでに数十分はかかる。このことを深く考えすぎたために、一時期は電車やバスですら恐怖を感じるまでになっていた。

また搭乗前に飛行機事故のWikipediaを読んだり、乗る機体のスペックや製造年を調べたりするのは百害あって一利なしである。飛行機にほんの少しでも恐怖心が残るうちは、絶対にやめておくべきである。僕はこれで悪化させた。ばか。

何が起こっていたのか

当時の僕は、根本から飛行機という交通機関に対し大きな誤解をしていた。
まず、飛行機はそこまで揺れるものではない。穏やかな飛行であれば、離着陸時を除きバスよりも揺れは少ないのではないだろうか。なぜ振り子式の特急南風に何時間も平気で乗れてたった1時間程度の飛行機に乗れないのか、今から思い返せば訳が分からない。
また、基本的に飛行機会社はビジネスとして飛行機を飛ばしている。当然乗客がいなければ成立しない。乗客に不快な気分を与える事象、事故は極力避けるはずである。僕はこの視点が抜け落ちており、機内で体調を崩しても気づいてもらえないのではないか、多少怪我するくらいは織り込み済みと思われているのではないか、と意味不明な心配をしていた。
さらに、「すぐに脱出できないから怖い」というのも理解不能である。脱出したところで別に何かがあるわけでもない。これを拗らせた2022年は鉄道やバス、観覧車、エレベーターですら少し恐怖を感じるようになっており、一時期は軽い閉所恐怖(広場恐怖?)のような状態にまで悪化してしまった(繰り返すが、病院で正式に診断を受けた訳ではない)。

どうやって克服したのか

2023年2月、1年半ぶりに飛行機に乗ることができた。ここまでの流れについて説明する。

2022年後半まで、飛行機を想像するだけで手汗がダラダラ止まらないような状況が続いていた。この頃は実生活でも軽いめまいやふらつきが度々起こっており、体調にも大きな波があった。北海道も九州も、空路は使わず訪れていた(船も苦手で、瀬戸内海航路以外はほとんど使わなかった)。コロナ禍も重なり、海外旅行には行っていなかった。飛行機に乗れなくても国内の色々な場所には簡単に行けるんだなあというのが正直な感想だった。
2022年10月に全国旅行支援が始まり、普段は値段の高い飛行機に乗ってみたいという気持ちが生まれた。行くとしたら陸路では到達できない場所、離島が良い。それでも恐怖心が残っており、踏み切れずにいた。
妙案を思いついたのは2023年1月頃、恐怖心が自然消滅しかかっていた頃である。飛行機恐怖が薄れている今なら、短期集中的に複数フライトに搭乗すれば克服できるのではないか、と考えた。恐怖が薄れていた理由は今でも良く分からないが、意識し過ぎなければ時間が解決してくれるといった感触だっただろうか。ともかく焦らず時を待ち、移動手段の飛行機よりも移動先での楽しみの方を想像するのが大事だと感じた。

実行に移したのは2023年2月。長崎県営観光のフリープランとJALのダイナミックパッケージを予約した。内容は以下の通りで、前者は全国旅行支援と長崎しま旅適用で21600円(行っ得つしまクーポン10000円分配布)、後者は全国旅行支援適用で51100円(沖縄県地域クーポン6000円分配布)で取ることができた。これ以外にも複数フライトを利用しているが、ダブルマイルキャンペーン等を狙ってスカイメイトを利用している。

2/24(金) 長崎→対馬 対馬厳原泊
2/25(土) 対馬厳原泊
2/26(日) 対馬→長崎

2/27(月) 沖縄→宮古 宮古島市内泊
2/28(火) 宮古島市内泊
3/1(水) 宮古→石垣、石垣→与那国
3/2(木) 与那国→石垣
3/6(月) 石垣→宮古、宮古島市内泊
3/7(火) 多良間→宮古、宮古→沖縄

これをこのタイミングで実行した狙いは、恐怖心が薄れていたこと以外にもいくつかあった。
まず、フライトに一種の"エンタメ性"を持たせたことである。僕はプロペラ機には乗ったことがなく、また短距離のフライトはあまり経験したことがなかった。決して飛行機の恐怖を克服するために嫌々乗るわけではない、こうした面白さを経験しに行くのだ、と自分に言い聞かせた。
次に、安かった時期を選んだことである。飛行機を頻繁に利用する人が上記の値段を見ると高いと感じるかもしれないが、全国旅行支援や地域ごとの独自助成が受けられる今であれば、マイルが全く貯まっていなくても、直前予約でセールが使えなくても、通常料金でも手が届くと踏んだ(今まではJALカードnaviを持っていたにも拘わらず、マイナポイント含め普段の買い物ではJRE POINTに全振りしていた。飛行機はしばらく利用できないと感じていたからである)。普段であれば金銭的にシートピッチの狭いLCCしか利用できないが、全国旅行支援を併用することでフルサービスの航空会社を選ぶことができたのは救いだった。恐怖を感じている交通機関にわざわざ高い費用を払って乗るのは気が進まなかったが、これが最後のチャンスだと考え、賭けに出た。

搭乗時の考え方

搭乗に際しては、「飛行機は安全であり、全く怖いものではない」と強く信じることが大切である。実際に僕自身が克服した時に考えていたことについて列挙する。論理的でない項目もあるので真に受けないでいただきたい。

  • 飛行機の事故率は非常に低く、鉄道と大差ないだろう。鉄道事故に遭ったことがないということは、飛行機事故にも多分遭わないだろう。

  • 客室乗務員の方が複数いらっしゃるので、体調などに問題があったらすぐに助けてくれるだろう(プロペラ機の客室乗務員は1名のみの乗務だが、乗客数が少ないことによる安心感の方に救われた)。

  • 機内で緊急時に関する注意事項が目立つのは法律で義務付けられているためであり、決して事故率が高いために強調されている訳ではない。バスでシートベルトの着用を求められるのと同じである。

  • 周りに飛行機が苦手そうでそわそわしている乗客はいない。自分も普段鉄道に乗るときと同じように、さも飛行機に乗り慣れているかのような立ち振る舞いをしてみよう。

  • シートピッチも思ったよりも狭くない。ちょっと浮き上がる列車かバスのようなものだと考えれば良いだろう。

  • 離陸直後に体がふわっとするのはあくまで鉛直方向の加速度変化であって、鉛直下向きの速度を持つことは意味しない(頭では十二分に分かっていたが、2021年はそれでも恐怖が拭えなかった)。

  • 着陸前に加速することがあるのはあくまで軌道の微調整であり、決して墜落しそうで焦っているわけではない。

  • 飛行機の操縦はいわば「3次元版電車でGO!」である。素人の僕ですら電車でGO!は練習すれば上手くなるので、プロのパイロットがそう簡単に操縦ミスをするはずがない。

  • 飛行機、間近で見るとめっちゃ格好良いなあ。

上記で特に意識したのは、普段乗り慣れている鉄道やバスとの共通点をできるだけ見つけてみることで「飛行機は特別な乗り物ではない」と考えることである。「JALカードをタッチするだけで乗れるなんて、新幹線eチケットと同じだなあ」「次の列車(便)は8番線(搭乗口)から発車(出発)するのか」といった具合に、敵を味方に取り込むように囲い込んでみた。

無事、飛べた

2/24(金) 早朝6時過ぎ、僕は羽田空港にいた。もう後戻りは許されないぞと覚悟を決め、券売機でスカイメイトのチケットを取った。よく見ると「アップグレード」というボタンがある。恐怖症克服初便おめでとう、と奮発してクラスJを取ってみた。

何事もなく長崎空港に着陸。機内でのドリンク、美味しかったです。

最西端へ

羽田長崎の後も、鉄道にポンポン乗る感覚でフライトを楽しんだ。何度も乗るうちに搭乗から降機までの一連の流れを把握でき、安心感に繋がった。プロペラ機の離着陸時の加速度が大きいおかげで、通常のプロペラではない機体の加速が物足りなく感じるほどになった。今年で引退するらしいORCのQ200という機体にも乗れた。

そしてついに…

飛行機恐怖症を自覚した頃は、沖縄本島すら一生行けないのではないかと絶望していた。そんな僕が飛行機を何便も乗り継ぎ、楽しみ、日本国最西端に到達できた。特に何か努力をした訳ではないが、飛行機に乗れなくなってからの長い道のりを深く反芻して立ち尽くした。航空会社の皆様、空港関係の皆様、気象業界の皆様、今日も安全安心に航空機を利用できる環境を整えてくださり本当にありがとうございます。

苦手だった船にも乗れた

八重山まで来て最南端に行かない手はない、と波照間島に行く計画も立てていた。安栄観光の全国旅行支援適用のサイクリング付きフリープランを使うことで、石垣~波照間の単純往復で8000円弱かかるところ、6120円(地域クーポン1000円分付き)で行くことができた。船はシートベルト着用必須で揺れると聞いていたが、最悪ひどく酔っても1時間耐えれば何とかなると腹を決めて乗船した。

結局酔い止めが効いたのか、拍子抜けするほど平気なまま波照間に上陸で来た。波高は1.5m程度の予想だった(石垣滞在期間中に最も波が穏やかだと予想される日を選び、前日に電話予約した)。

行きの大きめな船より、帰りの小さな高速船の方が揺れた。苦手なタイプの長周期の揺れは少なく、ガンガンガンと乱気流の中を飛ぶ航空機のような揺れだったのが救いだった。飛行機を克服していたおかげでさほど恐怖は感じず、むしろ普段は味わえない経験に心躍っていた。

おわりに

今回の旅行では14日間で14フライトに搭乗し、今まで謎の苦手意識・恐怖心を抱いていた飛行機を克服することができ、むしろ鉄道に並ぶ「楽しい移動手段」の仲間入りを果たした。旅行から帰ってきた今では、この調子でJGCを狙ってみようかな(なお費用は…)とまで考えるほど興奮している。飛行機は様々な制約があり鉄道より使いづらいことに変わりはないが、今後も機会があれば積極的に活用していきたい。

二度と飛行機恐怖症が再発することがありませんように。

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