ガンビア01_010

セネガンビア

モーリタニアからセネガルへ入ると景色は一変した。砂だけだった大地から緑の連続。ああ木々がなんと心に安らぎを与えてくれることだろうか。大地が生命でみなぎっていた。サハラ砂漠は終わったのだ。
フランスの植民地時代の町サンルイを経て、首都ダカールへ。


物価が高い高いと噂の西アフリカだが、残念ながらそれは事実で一日目の夜は一室22ドルの部屋しか見つけられなかった。
翌日、娼婦宿を除けば、おそらく街で一番安いであろう部屋を見つけたが、それでも一室2,000円もした。
この西アフリカの物価を高くしているのは、ずばり、CFAと呼ばれる通貨である。CFAとはセーファーフランの訳で、かつては1フランスフランが100セーファーフランとフィックスレートだった。このCFA、ユーロもびっくりな共通通貨なのである。CFAには西アフリカCFAと中央アフリカCFAがあり、西アフリカCFAはセネガル、マリ、ブルキナファソ、トーゴ、ベニン、ニジェールで使用され、中央アフリカCFAはカメルーン、チャド、ガボン、中央アフリカといった国々で使用される、つまりは旧フランス系植民地だ。
フランスフランがユーロとなってしまった今は、この通貨もユーロのレートと固定されてしまい、国そのものの経済の実力とは乖離して、ユーロと連動して上がってしまっているのだ。だからGDPが年間200ドルしかないような国でも、南米やアジアよりも物価が高いという現象がおきてしまっている。

ここダカールと言えば「パリ・ダカール・ラリー」で有名だが、自分の場合はトーキョー・ダカールをやったわけだ。バンザーイ!
このダカール、旅人によっては、好きか嫌いか意見がすっぱり分かれるといわれるが、僕の場合は「嫌い」だった。
西アフリカ随一の都会も、ただゴミゴミとして大きいだけの町だったし、物価の割にクオリティーはプーアだった。事実、同じ金額ならスペインの方がずっといいホテルに泊まれるし、ずっとずっとGood Lifeを送れるのだ。
街のいたるところには、どうにかして旅人を騙し金を掠め取ってやろうという族がたんまりといた。事実、ある夜、真っ暗な夜道で強引なスリにもあった。幸い何も盗られなかったが、その事件で一層セネガルの印象が悪くなり、ビザを取り終えると3方をセネガルに囲まれた国、ガンビアへ逃げ出すことにした。

ガンビアはガンビア川に沿った縦25Km横500kmと細長い国。
通貨暴落真っ最中の為、旅人にとっては安くて非常に居心地のいい国だった。

オンボロバスに乗ってガンビアリバーに沿って東へと向かった。
ふと周りを見渡すと、自分以外はみーんなみーんな真っ黒だった。
外を歩く女たちは、一様にカラフルな衣装を身にまとい、頭に大きなタライを乗せていて、男は大声でひっきりなしに政治討論をしていた。
窓の外はジャングルだった。それは時にはサバンナであり、時にはバオバオの木が続く街道だった。その中を一本のまっすぐに地平線まで続く道。
「オイオイ、これってまさしくイメージ通りのアフリカではないか」
夢の大地を旅しているんだ、と心が熱くなった。
しかし現実はすぐやってきた。
「ガコン!」という大きな異音と共に、バスは故障し、修理に2時間・・・

アフリカの旅はもちろん楽しい。
しかしそれと同時にやはり厳しいなーとも思うのである。
バスがガイドブックに書かれた時間で目的地に到着することはまずない。
バスにしても乗り合いタクシーにしても出発時間というものはなく、満員になれば出発、ということは満員にならなければ何時間でも待つということ。
そしてバスはかなりの頻度で、故障やパンクをするし、10分おきに止まっては人を下ろしてはまた乗っけて、いつまでたっても進まない。

一度Wassuのストーンサークル(古代人の墓標)を見に行ったときは20Kmの道のりしかなかったのに、行きに2時間、帰りは3時間バスが満員になるのを待った。
アフリカはすごい。毎日毎日驚かしてくれるのだ。
忍耐忍耐・・・・

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