マリ_097

マリのドゴンを歩く

マリ共和国は見所の少ないといわれる西アフリカのハイライト。そしてそのマリの中のハイライトはPays Dogon.The Land of Dogonなのである。アメリカのユタ州のような赤々とした岩の断崖が135kmも続き、それに沿って、独特なとんがり屋根の村々が点在する。ドゴンの村は、独自の神話伝説や文化を、ヨーロッパ人が発見するまでかなり良い状態で保っていたという。

このドゴンを5日間かけて歩いた。
ガイドの噂があまりにも悪いので今回もモロッコに続きガイドはなし。そのかわり、村を訪れるたびに村長らしき人にツーリストタックスと呼ばれるものを払い、村人に村の中を案内してもらうことになった。

日中はなんと43℃をマーク。最も暑い12時から15時は歩くのをやめ、1日15km~20km村を見ながら進んだ。

南のスタートポイント、ジギボンボからトレッキングを開始。約10km離れたテリに着くと、崖の中腹に、かつての住居跡や倉庫群が、そして崖下には今現在も使用中のとんがり屋根の家々のかわいらしい村が見られる。
昔はドゴンの人々は崖下の平地には動物やその他の恐ろしい何かがいるとして、崖の中腹に住んでいたという。今は崖に住むことはやめてしまったが、畑も下にあるし、毎日急坂を上る必要もないし、確かに下に住むほうが便利だもんね。
この崖の中腹、ドゴン人の旧居住区のさらにさらに上に、ドゴンの人々より以前にこの地に住んでいたという「テレム人」の住居跡(というかほとんど洞穴)がある。でもそれは、いったいどのようにそこまで登ったの?って思えるほど高く、今ではアクセス不可能なのである。どうやってそれを掘ったのかさえわからない。この崖の高所に存在する洞穴はドゴン各地で無数に見られる。そのどれもが、あまりに高く、あまりにアクセスが容易でないことから、ドゴン人は今でも「テレム人はマジックを使えた人々で、あそこまでは魔法を使って登っていたのだ」と信じているのだ。

朝飯、昼飯、夜飯はそれぞれ100円、200円、300円でツーリスト用にスパゲッティや、ライス、クスクスが作られる。たまに、新鮮なチキンを殺してもくれる。5日もドゴンにいると、この食事のバリエーションの少なさに少々飽きてもくるが、驚くことなかれ現地の人は30年も40年も毎日同じものを食べている。
それはトゥと呼ばれるもので、ミレット(辞書にはあわやきびなどの穀物類とあった)をすり潰したモチモチしたペースト状の食べ物だ。その主食を乾燥させたバオバブの葉から作ったネッチョリソースと一緒に食べる。
あるガイドは言った。「おれは、スパゲティや欧米の食べ物は嫌いだね。トゥが一番さ」


彼は客のスパゲッティを作り終えると満足そうにムシャムシャとトゥを食べていた。彼は、たぶんこれを30年以上食べ続け、今後も死ぬまでこれを食べ続けていくのだろう。
すごいなぁと心から思う。

今はミレットの収穫時らしく、女が畑から目一杯ザルにつんだミレットを頭に乗せて運んでは、男が村のとんがり屋根の穀物庫に詰めていく。
そして小さな子どもから乳を丸出しにした老婆まで、朝から晩まで永遠に臼と木のこん棒を使いミレットをすり潰している。ドゴンの人々は働き者である。

テリの後は北へと向かい、30分や1時間ごとに現れるドゴンの村々を眺めては、時には崖の上を歩き、時にはハスの花で覆われた川の脇を進んだ。
永遠に永遠に・・・
それはそれは特異な風景だった。
岩の上に広がる非常にすばらしいベニマトの村。
傾斜に広がるとんがり屋根の美しいティレリの村。
5日ごとに行われるという、カラフルなマーケットではミレットワインを飲んだり、朝日や夕日に照らされる村々を屋根の裏から「ホゲー」と眺めたり、本当に素敵な5日間だった。

しかしながらドゴンはもはや神秘的な場所でもなんでもない。
1人で歩いていると、村人の半分以上はクレクレ攻撃をしてくるし(老人=コーラナッツくれくれ。若者=タバコあるか~?子ども=ペンくれ、お菓子くれ!女=何でもいいからくれくれ、全てくれ)ツーリストグループが大金を払えば4月と5月にしか行われないマスクダンスもしてくれるという。ドゴンのこのツーリストずれっぷりに「Dogon is Finished…」と嘆いていた旅人もいた。
でも、トルコのカッパドキアやモロッコのフェスがいくら観光地化されてしまっても依然すばらしい場所には違わないように、ここもおそらくは西アフリカで一番すばらしい場所だと、僕は思った。
ああドゴンすばらしや。


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