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#1-2 旅の途中の空いた時間どうしてますか?

旅の途中。

例えば、散歩がてら喫茶店を見つけたとする。

その時、変に躊躇ったり、ましてやスマホでランキングを調べる必要はない。


通りがかりの店に入る事が肝要。
美味しいかどうかは食べるまでわからない。
事実、スタイリッシュな店構えで不味い店などいくらでもあるじゃないか。
店の前にまで来て、スマホで確認できる「他人と過去」に頼る必要がどこにあるのだろう。
自分の「おいしい」くらいは自分で決める。
「たまたま入った店が不味い店だった」
それがそんなに悪い事とは思わない。
そんな日があったって良い。それも含めて旅だと思う。

そしてカウンターに座ったら「ブレンド」と一言。

見慣れない顔の来客に視線を送るマスターの眼差しを感じつつ、ゆっくりとした時間を過ごす。
たまたま通りかかって入った事を伝えれば気合いの良いマスターなら、その偶然のご縁を喜んでくれるだろう。

話はそこからはじめればよい。

特に何か狙うとか、仕事にするとかは抜き。

只、その時間を楽しむ。マスターの所作や空間など意識してみれば面白い気づきがあるもの。
そして、もしその場所が気に入ったらそこで次の店を教えてもらう。(なるべくそこから歩いていける近い店を聞くのがより良い)
昼飯やショップなど。
それを聞いたら素直にそこへ行く。
その人の推薦を素直に受け入れる事がとても大切。
ここでまたスマホに頼るというのは、その人を信用していないに等しい事を忘れてはいけない。

このスマホに頼らない事で生まれるテンポとリズムを最優先する。

そしてその店なりショップに行ったらマスターの紹介で来た事のみ伝える。
またそこで先程の同様に次の店を聞く。

例えばそこが昼飯の店であれば帰りにお礼を言いに先程の喫茶店に立ち寄れば尚良い。(だからこそ歩いていける店を聞くのが大切)

きっと喜んでもっといい情報をくれるかもしれない。それはひとえにそのマスターから最初もらった情報で素直にそこへ行ったことがキッカケとなっている。そうしたご縁が意外と長く続くご縁になったりするから旅はやめられない。

何を見た買ったではなく、そうしたモノを超えた人と人の瞬間の触れ合いが旅の醍醐味であり、最大の宝物であり記憶となる。

■次回「#1-3 超個人的キャンピングカー考 」に続つづく。


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