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#1-8 安心安全=幸福?んなわけねっ〜!

明日からの始まる「山口〜九州ツアー」に向けて気合が入りすぎたのか。目が覚めてしまった。
ブログの更新を忘れていたのを思い出し、慌ててスマホを手に取りこれを書いている午前3時半。

ある社会学者によると現代人の自由幸福の定義は「幸福=自由=安心安全便利快適」だそうだ。
「ルールと責任」に担保されていた自由はいつしか「快適」である事がそれへと変わっていったようだ。
これについて少し考えてみたらなんとなくある世相感が見えてきた。

それは特にスマホ世代の”働く事への負荷の低減”が根底にある気がする。

かつて「働く」は美徳だった。

サラリーマンであれ自営業であれ、日夜一生懸命に働き、その平日に溜まったストレスや疲れを週末レジャーや趣味、つまり自由な時間に浸る事で癒し解消していた。働く事と自由の相関関係が個々にバランスを取りながら保たれていた時代。
しかし、現代は「働く」事自体がその必要性を問われ始めているようにも思う。
例えば、家を建てる為。車を買う為。
などどちらの欲求も著しく低下しそれらはシェアという言葉の中に溶け始めた。「住まう」もまた然り。
僕の今の生活だってそんな欲求の低下から生まれたスタイルと言えなくもない。
車も乗っているが普通の国産の軽。
かつてはホイールだの何だの拘ったが今はそんなこだわりは一毛もない。純粋な単なる移動手段としての車。
そういったかつての定型欲求を満たすだけの労働だけであれば、働く事に於いて「何のために」が希薄になりつつある。

そんな風に考えていくと、かつてのテンプレート、つまり定型生活欲求の低下(必ずしもこれが悪いと言うわけではない)がその反対の自由も劣化をもたらすのは当然なのかもしれない。
劣化という言い方が正しいのかは別として。

働く事のストレスも低下したと同時に自由が感じづらくなっている。
それが結果としてある種の違和感を感じながらも仕方なく「自由=安心安全便利快適」と言ういい回しになっているだけなのかもしれない。

AIに代替されていくと言われているその多くの仕事。
負担免除された僕たちが進むべき道は何処なのだろうか?何なんだろう?

今、僕たちは「働く事」「遊ぶ事」を改めて時代に問われている。

今の僕は、何処に住んだとしても「目の前の人の笑顔を1つでも多く作っていける取り組み」に携わっていたいように思う。

これについてはもう少し深く考えていきたい。

※今後、更新は不定期とさせて頂きます。

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