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ホームドア

数直線みたいなJR中央線の、三両目に立ちっぱなし。見渡したって楽しそうな人なんか1人もいない。挙動不審な私を咎めすらしない。だって縦軸がないんだもの。

ホームドアなんか作るな。優しさではなくて、冷徹だから。
私はいっかい、見てしまったことがある。現地だったかもしれないし、動画だったかもしれないし、現地で見た動画だったかもしれない。あの子には表情があった。
ホームドアよりいっそ、墓石を建ててしまえばいい。水子地蔵みたいなのでもいい。中央線の駅ごとに立ち並ぶ緩慢な悲しみは、どのみち誤差でしかない。
大して変わらないだろうに…結局面倒事は、起こらない仕組みにしてしまうのが世の常。だから優しさなんかじゃない。

数直線を無表情で突き進むと、数字が変わる。私達の何を示す数字なんだろう。
そもそも、人間であるって何なんだよ?何百万人の命を削った壮大な実験に思えてくる。いや、実験のつもりがあればどんなに可愛かったか。その権利のある者の顔なんて思いつかない。
定規を使った人でもなくて、ショベルカーを操ってた人でもないし、きっと泣いては笑っては皆にたくさん詰られてる偉い人でもない。あるいは案外、私達と同じかもしれない。

右が聞こえなくなったイヤホンで私は、イギリスの陽気なバンドを聴いている。高校で付き合ってた奴が、おしえてくれた。
クラス1の変わり者の彼は、挨拶もしないでイヤホンの左側を押し付け、次の日にチケットを渡してきた。書いてある日付はそのさらに翌日だった。
彼曰く、スゴイものが見れる、らしい。
スゴイものなら行ってみるか…そのときの私は面白半分。マトモに相手にされてない感じの奴を憐れむ気持ちも、少しあったかも。

公演の最初の叫びが聞こえて驚いたままに、中野の狭隘に迷い込んでは、池袋に手を突っ込んだ。
実際、スゴイに間違いはなかった。私はのめり込んだ…音楽に、そして奴に。
歌のある音楽ってずるい。歌詞とか題名とか、ステージネームが催眠みたいな音の揺れに混ざって耳に、立ち入る。不思議と、英語なんて半分もわからないくせに私は感じ入ってしまっていた。
なんでか昨日のことを切なく思ったり、なんでか毎日会ってる奴との待ち合わせが特別な再出発みたく感じたり、その気にさせられたり。

その気にさせられたんだけど、その時間にも奴は音楽を流してた。さすがにヤバい。ヤバいことは間違いないけど、ほんとに好きだったんだと思う。
奴は毎回、私が聴いたことがないのを選んでいたけど、混ざってしまうから(客室ステレオの緩いBGMとか、ね)、奴だけじゃくて音楽もちゃんと好きになっていた私には、ちっともしっくり来なかった。
今度聴いてくるから今やめてよ、って何回言ったって、わかってないな、これがいいんじゃんの一点張り。
私は、その時間がキモくて、その時間の奴がキモくてすぐ別れちゃったんだ。

※※※

会場だった歪な巨大建築、昼も夜もメインもサブも。高架線から見えてくる。
ひろく見渡してみろ、って世の中は。よく言うよ。そのほうが気持ちがいいから、自分がしたいからでしょう?
結局、自分のほうが知っていたいから高いところに行って、都心はそんなビルばっかり。奴と似ているようで違って、何もわかってない。
奴が私にわかってないと言ったときも、私は実際わかってなかったのかなあ(キモかったことには間違いないと思うけど。多分)。

わかってなかった私は、古びた軒並みや陳腐な景色をどこか詰まらないと思っていた。
確かに時々、新鮮で楽しかった…都会の街ってもっと清潔なガラス張りか、カラフルなおとぎの国しか知らなかったから。地べたから見渡しても10とか20の建物やお店しか見えないのに、それも古くて汚くて…どうしてそんな楽しい顔ができるのか。私は退屈になると心から楽しそうな奴の顔を見るようになった。

電車に乗っている間も奴は、あれが何々、白いのはいつ建った、なんて、窓の外に興味を持ったことすらない私に教えてきた。奴の声があんまり大きいから、内心ハラハラしていて車窓どころじゃなかったけど。
でも、言葉の記憶は恐ろしくて、今になって目の端に映る白い塔が何なのか私は知っている。それどころか、見たことがあるって思ってる。
高架から見る陳腐な都会の遠景は、スカイツリーやヒカリエほどキラキラしていないけど。それぞれの建物にどんな役目がある、なんて奴と出会わなきゃ考えすらしなかったことだろう。

※※※

みんなが気づかないうちにカーブを曲がって、電車は世界一忙しいターミナル駅へ。
数学で習った極限値みたく、落ちてく線の接地と同時に皆が皆、降りる。新宿だ。
どこに生きているかわからない人と人に挟まれて歩く乗換通路は、仲間の匂いに釣られて方向を知る蟻みたい。彼女らが姉妹同士だといっても、温もりもしらずにどんな信頼を抱くのだろう?
それはまさしく、大きな同じ巣に生きることだけを知っている私達同士だった。

私達同士の悩みは4つ。私の中でのあなた。あなたの中での私。私の中でのあなた以外。あなたの中での私以外。
私はぜんぶを考えなきゃってこんがらかってしまったのかもしれない。奴はバカだからきっと4つだなんて思いもせず、ただ好きなように巣穴を掘り続けていただけ。

ディグったら見つかったさー…奴の口癖だ。自分の掘り当てたものを私にたくさん押し付けて、その癖そうでないものは、まるで受け付けなかった。
デートの途中、決まってブックオフに寄らされた。私はいまさら気にして、その後のことにめまいがしてくる。

奴以外の理由がなかったもので、新宿での乗り換えは久々だ。
いっつも行きは奴に押されるまま止まらないやつを待って、帰りは疲れたやつを引っ張ってぜんぶ止まるやつに乗っていたっけ。
どっちがいいか、こればっかりは合理的。一回も止まらないでくれる気持ちのいい奴を待つより、いちいち止まってく面倒な奴をサッと捕まえたほうが結局はうまくいくのだから。

※※※

中野、池袋、中野、池袋、中野…池袋で私は別れを切り出した。つまりは三回目だ。
その時を許せなくて打ち止めにしたのは、ぜんぶが結局許せなかった証なのかも、と思うし、ぜんぶにどこか憧れていたのなら、その時ぐらい許せててもいいのに、とも思う。
滑り込んでくる山手線の電車は、ぜんぶ止まるくせにわざとらしくセカセカとしていて、ホームドア越しですら強風で目が乾いてし
まう。
嫌がってたっけな。

奴は死んだ。
あのとき、動画で見たから現地に行ったんだ。画面の端っこのホームの下の空洞に見覚え、いや聞き覚えが、屈託ない声で、工事中とか、電車来るときはあそこに隠れるんだぜ、って言ってた記憶が、バカなりのあてつけみたいに思って、全速力で、快速に飛び乗って、新宿でも走って、埼京線なら、一回も止まらないでくれる気持ちのいい奴なら間に合うかなって…
焦りじゃなくて怒りだった。胃のあたりを殴りつけてくるのが感じられて、私は、奴を抱きとめたいんじゃなくて突き落としたいらしかった。
ゆるせない。こういうときだけ冷徹じゃない池袋の4番線。
ほんとの魂を知っていながら、そうじゃない方を愛してしまう心。

間に合うはずもないどころか…そこには何も残っていなかった。
帰りの電車に乗っている間、私は脳みそをぐちゃぐちゃにしながら、車窓の均質なひろがりを辿っていた。細くて、しょぼくて、まるで私と関わりがないような白い塔の数々。今や私は、彼らが均質なんかじゃないって知っている。
細くて、しょぼくて、まるで私と関わりがないような白い煙。最後の叫び。
君だよね?

※※※

奴が壮大な実験から解放された日の帰り、飛び散った血を見て泣き崩れる芝居を奪われた私を、家で待っていたのはポスト投函のブックオフオンライン。
「絶対名盤」という陳腐の塊みたいなキャッチコピーを帯にたたえて、綺麗な状態のその中古品は、中古品だからとは言えないジャケット画像の古びた質感で私の凪いだ心を俄かにざわつかせた。
気の利いた置き土産をしたのか、気の利いた土産を置き土産にしてしまえと思ったのか。手紙の類は入っていないから、わからない。
奴を振った3日後のことだった。

池袋に到着した私は、蟻の列を逸れて4番線に降りた。
なんでもない顔をしてカバンからCDを取り出す。ジャケットのふやけが、見えていなかった魅力を今更際立たせる。帯はいつだかに破れてしまった。
誰が見てようと関係ない。どうせ挙動不審な私を咎める人は、東京のどこにもいない。
目玉の血管が覚えている画角通りに、私は奴を投げた。

※※※

その音は石のように、薔薇のように、硬くて、柔らかくて、美しいのに、人を寄せつけなくて、陽気で、寂しがり屋で、うるさくて、繊細で、卑猥な気持ちが、いやに清楚で、自分勝手は、時に優しくて、
客室で聴いたような混ざりの、不思議な音だった。

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